名前の氾濫
駅前の大型ビジョン。その前で、偽物の「男」は傲慢に笑っていた。
ハルたちが近づこうとした瞬間、偽物の体がノイズのように激しく歪む。
「……僕を捕まえる? 無理だよ。僕はもう、誰の中にも存在する『イメージ』なんだから!」
偽物が叫ぶと、その体が音を立てて弾けた。
肉体だったはずのものが、無数の「名前の文字」へと分解され、ハルたちの周りを取り囲む。
「うわっ、なんだこれ!?」
クロが爪を振るうが、手応えがない。斬ったそばから文字はバラバラになり、またすぐに別の漢字やカタカナへと再構成される。
無数の「名前」の文字は、空中に巨大な奔流を作り、ハルを飲み込もうと襲いかかった。
「ハル、気をつけろ! そいつら、一文字ずつが質量を持ってるぞ!」
ウツロが警告するが、遅かった。
「佐藤」「タカシ」……男の名前を構成する文字の群れが、硬い石のようにハルの体にぶつかり、彼を地面に叩きつける。
「痛い……っ」
ハルはうずくまり、文字の渦の中で目を閉じた。
四方八方から、自分を否定するような偽物の声が響く。
『お前は何者だ? 名前もない、記憶もない。そんな空っぽの奴に、僕を捕まえる資格なんてあるのか?』
『ただの配達員ごっこじゃないか。責任感? 笑わせるな。お前はただ、居場所が欲しいだけの迷子だろう?』
ハルの心に、鋭い文字の切っ先が突き刺さる。
確かに自分は空っぽだ。あの引きこもりの男と同じ、何者でもない存在だ。
逃げ出したい。怖い。
しかし、その時――ハルの指先が、ポケットの中にある「あるもの」に触れた。
それは、前回手に入れた「白い花の芯」だった。
(違う。僕は迷子かもしれない。……でも、あのおじいさんの涙は本物だった。僕が届けたから、あの花は咲いたんだ!)
ハルは顔を上げた。痣だらけの顔で、吹き荒れる文字の嵐を真っ直ぐに見据える。
「……確かに、僕は空っぽかもしれない。でも、あの部屋で震えている彼は、君じゃない! 苦しくて、醜くて、格好悪くても……あの部屋で泣いているのが、本物の彼なんだ!」
ハルの叫びに呼応するように、首元のペンダントが激しく発光した。
その光は文字の嵐を押し返し、バラバラになっていた「記号」たちの動きを一瞬だけ止める。
「クロ! 今だ!」
「へっ、やっと良い顔になったな!」
クロが黒い疾風となって地を蹴った。人型のまま高く跳び上がり、混乱する文字の渦の中心へ、ハルを放り投げる。
「行け、ハル! 特製封筒を叩き込め!」
ハルは空中で、郵便局から預かってきた「真っ赤な封筒」を取り出した。それは、どんなに暴れる想いも逃がさない、郵便局員の証。
「君を……『家』へ帰すんだ!!」




