顔のない男と、賑やかな記号
ウツロの案内で現世の街へと降り立ったハルは、あるアパートの一室にいた。
カーテンが締め切られた薄暗い部屋。そこに座り込んでいる男を見て、ハルは思わず息を呑んだ。
「……顔が、ない」
そこにいたのは、目も鼻も口も、のっぺらぼうのように消え失せた「男だったもの」だ。名前という輪郭を捨てたことで、彼は社会からも自分自身からも認識されない、透明な存在に成り果てていた。
「……僕は、あいつに全部奪われたんだ」
男の喉から漏れるのは、感情の抜けた枯れた声。
「SNSで、もっと認められたかった。特別な誰かになりたかった。でも、結局『僕の名前』なんて、ただの記号でしかなかったんだ。だから嫌になって捨てた……。そしたら、あいつが……『僕の名前』が、僕から飛び出して勝手に笑い始めたんだ」
ウツロがスマホを操作して、ある動画を見せる。
そこには、男と全く同じ姿をした人物が、街中で派手なパフォーマンスをし、大勢の人に囲まれて喝采を浴びている姿が映っていた。
「あいつが、今の『僕の名前』だ。あいつの方が、僕よりも僕らしく、みんなに愛されている」
「そんなの……おかしいよ」
ハルは絞り出すように言った。
自分は、名前も記憶も失くして、こんなにも苦しいのに。この男は、自分そのものを、自ら手放してしまった。
「よし、ハル。理屈は後だ」
クロが不敵に笑い、部屋の窓を蹴破るようにして開けた。
「あいつを捕まえて、こののっぺらぼうの中に押し戻してやる。……ウツロ、場所は特定できてるんだろ?」
「もちろん。今は駅前の大型ビジョンの前。自分の名前を連呼して、最高に目立ってるよ。……行くよ、二人とも。名前が『本物』を完全に追い越す前に」




