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忘れ物専門、言の葉郵便局  作者: 輝久実


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12/16

硝子越しの残影

その日の依頼品は、「誰にも送れなかった誕生日カード」だった。


 ハルとクロは、現世の賑やかな商店街を歩いていた。今回のターゲットは、街の小さなパン屋で働く若い女性だ。


「ハル、あっちだぜ。……おい、聞いてんのか?」


 クロが猫の姿でハルの肩を叩く。しかし、ハルの足はピタリと止まっていた。


 視線の先には、街角のカフェの大きなガラス窓があった。


「……え?」


 窓際の席に、一人の青年が座っていた。


 少し乱れた髪、伏せられた睫毛の影。そして、考え事をする時に無意識に指先でテーブルを叩く癖。


 それは、鏡を見るよりも鮮明な、自分自身の姿だった。


 ハルは息をすることさえ忘れ、その青年を凝視した。


 あちらは「生きた人間」としての確かな色彩を持ち、周囲の風景に溶け込んでいる。対して自分は、透き通るような境界線の存在だ。


「……クロ。あの人、僕だ。僕が……あそこにいる」


「……チッ、見つかっちまったか」


 クロの声が低く響く。その声には、驚きよりも「ついにこの時が来たか」という苦い諦めが混じっていた。


「ハル、見るな! 追うな! 今のあいつに触れれば、お前の存在は一気に不安定になるぞ!」


 しかし、ハルの足は勝手に動いていた。


 青年がふと顔を上げ、窓の外――ハルがいる方を見た。


 一瞬、視線が交差する。


 青年の瞳には、深い「空虚」と「諦め」の色が沈んでいた。彼はハルの姿が見えているわけではないはずなのに、何かに導かれるように、自分の胸元――ハルがペンダントを下げている場所と同じ位置――を、苦しそうに押さえた。


「あ……」


 その時、ハルの体が激しいノイズに襲われた。視界が歪み、指先が霧のように透けていく。


「言っただろ! 今のお前は、あいつが切り離した『良心』なんだ。近づきすぎれば吸い込まれて消えちまう!」


 クロが人間の姿になり、無理やりハルの腕を引いて路地裏へと連れ込む。


 ハルは荒い息を吐きながら、壁に背を預けて座り込んだ。


「……あ、あの人……すごく、悲しそうだった。僕という『心』を切り離してまで、彼は何を耐えてるの……?」


「それを知るのがお前の役目だ。……だが、今はまだその時じゃない。ほら、カードを配るんだろ。仕事をしねえ奴に、答えを知る資格はねえぜ」


 ハルは震える手で、預かっていた誕生日カードを取り出した。


 自分の正体に対する恐怖と混乱で頭が割れそうだったが、カードから伝わってくる「誰かを祝いたい」という温かな脈動が、ハルをかろうじて繋ぎ止めていた。


(……仕事をしなきゃ。僕は、このために生まれてきたんだから)


 ハルたちは、ターゲットの女性が働くパン屋を訪れた。


 彼女は、かつて亡くなった妹に宛てて書いたカードを、出すことができないまま「忘れたい過去」として仕舞い込んでいた。しかし、その想いは消えることなく、彼女の笑顔から少しずつ色を奪っていた。


 ハルは、彼女が一人で閉店作業をしている店内に、そっとカードを置いた。


 カードが彼女の指先に触れた瞬間、店内に優しい花の香りが広がる。


「……あ」


 彼女はカードを読み、声を上げて泣いた。けれど、それは悲しみの涙ではなく、ようやく妹への愛を肯定できた、浄化の涙だった。


 その様子を影から見守っていたハルのペンダントが、ひときわ強く、澄んだ青色に輝く。


 ハルの透けていた指先に、わずかだが確かな「実体」が戻っていた。


 帰り道、ハルは先ほどのカフェをもう一度覗いたが、そこにはもう、あの青年はいなかった。


「……クロ。僕、決めたよ」


「何をだ」


「僕を切り離したあの人は、きっと自分の『優しさ』が重すぎて、生きていくのが辛くなっちゃったんだと思う。……だから、僕がたくさんの『ありがとう』を集めて、もっと強くなって……いつか、あの人を助けに行く。半分に割れた心を、もう一度一つにするために」


 クロは何も言わず、ただハルの隣を静かに歩いた。


 郵便局に戻ると、局長が廊下の奥で待っていた。


「……自分の『核』を見たようだな、ハル」


「……はい。怖かったけど、今は少しだけ、自分がここにいる意味が分かった気がします」


 局長は蓄音機の仮面を揺らし、深く頷いた。


「よろしい。……だが忘れるな。想いを取り戻すことは、痛みを取り戻すことでもある。準備をしておきなさい。」

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