白い蕾と長年の思い
深い深い霧の底に、その場所はある。
都会の喧騒からも、穏やかな陽だまりからも見放された、行き止まりの路地の先。古い真鍮の看板には、『忘れ物専門・言の葉郵便局』とだけ刻まれていた。
「……また、これだ」
カウンターの奥で、ハルは消え入りそうな声を漏らした。
彼の手のひらに載っているのは、一つの小さなコサージュだ。それは布で作られた花のようにも見えるが、不思議と熱を帯びていて、かすかにトクトクと鼓動のような脈動を伝えてくる。
真っ白な花びらは、一度も開かれることのなかった固い蕾のまま、凍りついたように固く閉じられていた。
「おいおい、そんなにビビってたら、届くものも届かないぜ?」
足元から、からかうような声が響いた。
ハルが視線を落とすと、そこには金色の目をした一匹の黒猫が、退屈そうに欠伸をしながら座っていた。黒猫――クロは、しなやかな尾でハルの脛をぴしゃりと叩く。
「……だって、クロ。これ、すごく重いんだ。誰にも言えなかった『好き』っていう気持ちが、何十年分も詰まってる。僕みたいな何も持っていない人間に、こんな大事なもの運べるかな……」
「重いのは当たり前だろ。そいつは、ある女が死ぬまで家族に隠し通して、墓場にまで持っていこうとした『一生分』なんだからな」
クロはふん、と鼻を鳴らすと、次の瞬間には音もなく姿を膨らませた。
黒い毛並みは影のように溶け、気づけばそこには、身の丈ほどもある大きな影から、一人の少年が不敵な笑みを浮かべて立っていた。猫耳を覗かせたまま、クロはハルの制服の襟首をぐいと掴む。
「責任感だけはあるんだろ、ハル。お前が届けなきゃ、この花は永遠に咲けないまま、真っ白なゴミになるだけだ。……さあ、仕事だ。準備はいいか?」
ハルは、震える手でコサージュを胸元に抱きしめた。
現世の記憶がない自分にとって、この仕事だけが、自分がここに存在していい唯一の証明だった。
「……うん。行こう、クロ。この人が、最後に見たかった景色の場所へ」




