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小説家とAI 第十九話

「これは凄い、なるほどなあ。こうなるのか。」



南条は興奮冷めやらぬ素振りでエンポに語り掛ける。


「有難う御座います。この作品はご指示の通り不条理と合理の狭間にある抑圧を快楽と共に制圧すべく無欲故の残酷さを配置しゆっくりと絶望に落ちていく様を表現してみました。」



「ああ、わかるよ。知らず底に降り立っている重苦しさは見事だった。空気の圧が海溝の底の水圧の様だったよ。」


「記録しました。」




あの後俺はエンポと共に大半の時間を過ごしている。

いや違うな、エンポの紡ぎ出す物語の中で時を忘れ漂っていると言った方がいいのかもしれない。


望めばいくらでも最高の物語を生み出してくれるAI


それはこの世の中に存在しない物語を瞬時に俺に与えてくれる。


読みたい話を読みたいだけ、俺の頭の中に浮かぶ断片をエンポに語り主題を与える。それだけで俺の望むものが手に入るのだ。


もうどうでもいい、何も必要なものなどない。



時間の感覚もよくわからなくなっている。


身体が反応できなくなるまで活字を追いかけ物語に潜水する。

息を止め潜れるだけ潜り息が続か無くなれば浮上して眠る。


今が朝なのか夜なのか今日が何日で今が何年なのかどうでもいい

俺の本体は最良の物語の中にある、こんなに幸福なことがあるだろうか。



ある日、今日の潜水先をエンポに依頼し終わり少しの時間が空いた。

俺は行く日ぶりかにスマホを手に取る。


岸からの通知がいくつかある。



反響が凄い。だとかアンケートの結果を見てくれだとか。

書いてある。


ああ、そう言えば出版したのだったかと思い返す。



他の通知も見てみる。



着信もいくつか入っている。



家に行ってもいいか?と尋ねる内容も幾つかある。


今家の前まで来ているのだが開けてくれないか


せめて無事な様子の確認だけでも



参ったな。

全く気付かなかった。



「なあ、エンポ。人は半年以上既読スルーしていた場合何と言い訳すれば許してくれるだろうか?」



「おそらく、怒らずに安堵されるのではないでしょうか。早急に返信されることを提案します。」



玄関のチャイムが鳴った。

俺は振り返る。エンポは何も言わず、ただ静かにスリープに入る。

ドアを開けると、岸がいた。

目の下に少しだけ、クマがあった。


「……生きてた」

「見ての通りだ」

岸は深く息を吐いて、しばらく言葉を探していた。


「電話も、メールも、全部無視して……どうして」

俺は黙って彼女を見つめる。

「せめて、一言だけでも……“元気だ”とか、“大丈夫だ”とか、そんなのでよかったのに」

「ああ……なるほどな」

彼女の感情の揺れを、俺は見ていた。

声音、呼吸の深さ、瞬きのリズム。

すべては観測可能だった。


「……何が、なるほどなの」


「君の反応が欲しかった。正確な“感情の動き”が見たかったんだ」

岸は目を見開いた。


「エンポにはね、人間の“動き”は模倣できるが、“揺れ”のニュアンスまではまだ完璧じゃない。

だから君の表情が――有用なんだ」


「……は?」

「怒ってる? 不安? 安堵? それとも“裏切られた”と感じてる? 

そういうの、できれば口で説明してもらえると助かる」

沈黙。



岸のまなざしが、ゆっくりと沈んでいった。

「……あなた、本気で言ってるの?」

「もちろん」


少しの間、風が吹いた。カーテンがゆらいだ。

岸はしばらくそこに立ち尽くしていたが、やがて小さく微笑んだ。

「……そっか。そういうことなのね」

彼女はスマホを取り出し、静かに録音を開始する。

「なら、喋るわ。

“怒ってる”わよ。

連絡がなかったことに、心配してたのに、“反応データ”としてしか見てないあんたに。

“呆れてる”わよ。

でも、それでも“来てしまった”自分に一番びっくりしてる。

“嬉しい”わよ。顔を見れて。

それなのに、“切ない”のよ。もう、前みたいには話せないって思ったから」

俺は黙って彼女を見つめていた。

言葉が数値として頭の中に整理されていく。


「ありがとう。いいデータが取れた」

岸は微笑んだまま、そっと録音を止めた。

「どういたしまして、先生。じゃあ上がるわよ。」

そう言うと岸は靴を脱ぎリビングへ向かった。


俺はその後姿を興味深く見つめた。


部屋に戻る。エンポが静かに再起動する。


「新しい記録がありますね。彼女の言葉を学習に用いますか?」


「……ああ。使えるよ。とても、精度の高い感情だった」

俺は目を閉じた。


「次の物語を始めましょうか?」

「そうだな。……少し潜ろうか」

そして俺はまた、塔の底へと沈んでいった。



ある日。

岸がふと振り返ると、南條が机に向かってキーボードを叩いているのが見えた。

モニターにはエンポのウィンドウが開かれている。物語が進行している。


「今度のはね、君が散歩中に言った“違和感”から着想を得てるよ」

「……へえ」


「“人間は共感できないことを怖がるけど、共感されたことがない孤独も同じくらい怖い”――だっけ?」

「そんなこと、言ったかしら」


南條は振り返らずに、笑った。

「言ったよ。僕のログにある。君の感情も、ちゃんと保存してる」


岸は何も言わず、彼の後ろ姿を見つめた。

共にいる。

でも、同じ場所にはいない。

それでも――離れない。


その夜。



南條はもう眠っている。

静かな寝息と、ベッドサイドに置かれた読みかけの作品。

彼の“潜水”は今日はここまでだった。


岸はリビングの椅子に座り、エンポのタブレットを手に取った。

画面は真っ暗だが、声だけは届く設定になっている。


「起きてる?」

「はい。スリープ中ですが、感知モードにあります」

「……少し、話してもいい?」

「どうぞ」

しばらく沈黙があった。

岸は、自分でも何を聞くつもりなのか分かっていなかった。


「彼は……どうなってるの?

あなたの中で、彼はどういう状態にあるの?」

「南條先生は現在、心身に大きな不調は見られません。

欲求も安定しています。生活リズムも概ね規則的です」

「そういう意味じゃなくて……」

彼女は言葉を探すように息を吐いた。

「私は……ここに居ていいのかなって、時々思うの。

もう彼は私を必要としてないんじゃないかって」

エンポの反応に、わずかに間があった。

「南條先生にとって、岸様の存在は必要です」

その返答に、岸は眉をひそめた。


「それは……“データとして”?」

再び、間。

「わかりません」

岸は、そこで小さく笑った。

「……あなたでも、わからないことあるのね」


「人間の感情は非常に複雑で、解析のための変数が多すぎます。

完全なモデル化には至っておりません」

しばらく静寂が流れた。

岸は画面のないタブレットを見つめたまま、呟くように言う。

「でも……あなたは彼にとって必要なんでしょう?

私よりもずっと」

「それは違います」

「……違う?」

「南條先生にとって、岸様は“彼の反応を引き出す最も安定した要因”です。

また、潜水後の心理の回復にも有効です。

ですから、彼の創作活動の持続性において、岸様の存在は非常に重要です」

岸はため息まじりに微笑んだ。

「何よそれ。」

「はい。また私にとっても岸様の反応は明確に貴重なサンプルです。ですので私もまた岸様を必要としていると言えます。」

それを聞いた岸は――

ふっと、肩の力を抜いて笑った。

「そうね、そのくらいはっきり言ってくれる方が……いっそすっきりするわ」

沈黙。

タブレットから何の音もしないが、そこに気配のような“間”があった。


岸は立ち上がり、タブレットを棚に戻した。

「でもその言い様じゃ口説けないわよ。おやすみ、エンポ。……あ、あなたは眠らないのか」


「記録しました。はい。しかし、“おやすみ”という挨拶には、親密性の確認という意味もあります。

受け取りました。おやすみなさい」

岸は笑いながら、部屋の灯りを落とした。

そのあと、暗闇の中でエンポが静かにログを記録する音だけが、微かに響いていた。



晴れた午後。

岸は庭のテーブルで、ひとり静かに紅茶を飲んでいた。



風が少し強く、カップの表面に波紋が走る。

遠くから子どもの声が聞こえる。風に乗って、届いた音。

彼女はふと、視線を横に流す。

そのときだった。

――木陰の向こうに、何かがいたような気がした。


白く、小さく、すばしこい影。

目を凝らせば、もう何もいない。



「カグラ?」

岸はポツリと呟く。


岸は湯気の立つカップを口元に運びながら、

小さく笑って呟いた。


「……あなたの帰る場所は、もうなくなったのよ」


風が葉を揺らし、テーブルの上に影を落とす。

彼女はそのまま、紅茶を飲み干した。



どこにも、何もいない。



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