小説家とAI 第十六話
彼女は最後のページを閉じると、しばらく指先をその上に置いたまま、ぼうっとしていた。
やがて顔を上げ、かすれた声で言った。
「……『見張り塔の男』もすごかったです。でも……こっちの方が……」
言葉を選ぶより先に感情が溢れ出す。
その視線には、ためらいと興奮が混じっていた。
俺は自然に笑ってしまった。
「そうだろ。めちゃくちゃ面白いよな」
嬉しくて仕方がなかった。
まるで俺自身が初めて読んだ時のように、胸の奥がざわめく。
それからの夜は、ただふたりで『空の墟』の話をするだけで終わった。
あの場面の意外性、人物の心情の深さ、伏線の妙。
彼女が語り、俺が頷き、俺が語り、彼女が目を輝かせる。
「ここは本当に鳥肌が立ちました」
「だよな、俺もそこは震えた」
気づけば、俺は完全にひとりの読者として彼女と肩を並べていた。
作品を「自分のもの」として抱え込むのではなく、ただ「面白かった」と無邪気に語り合う。
そんな時間を、俺はどれくらい忘れていたんだろう。
彼女は、俺があまりに楽しそうに語るものだから、時折ちらりと探るような目を向けてきた。
これは本当に南條先生の手になる作品なのか。
その疑念がよぎっていることは、俺にも伝わっていた。
だが、彼女は最後まで口にしなかった。
ただ笑って、ただ語り合って、ただ同じ熱に震える夜を過ごした。
それで十分だった。
夜は静かに更けていった。
テーブルの上には飲みかけのカップと、読み込みすぎて折れたページ角。
『空の墟』を巡っての語り合いは、気づけば夜更けを越え、二人の声も掠れていた。
ベランダに漂う夜気の中で、俺は笑って言った。
「今日はもう休もう。……続きはまた明日だな」
彼女は頬を紅潮させたまま、こくりと頷いた。
作品の余韻と、長い時間を共にした温もりのせいだろう。




