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魔導師は、今日も眠たげに

「いらっしゃいませ〜。あ、来た来た。今日の子だ〜」


その声は、空間のどこかから降ってきたようだった。

温度も重さもないのに、はっきりと存在する。

ゼルが声の方向を向くと――そこに、彼女はいた。


椅子かクッションかも判別しづらい布の塊に包まれて、

長い青い髪をふわりと流し、眠たげな目を半開きにして。


着ているのは、ゆったりとしたローブ。

足元には……スリッパ。


明らかに“営業”の体ではない。

むしろ、お昼寝の途中に客が来たから対応しているだけ――そんな空気すらあった。


「え〜と……あの、荷物の……ギルドの依頼で来ました。ええと、『キアラ魔術店』で合ってますよね?」


ゼルは、自分の声が少し震えていることに気づいて、慌てて姿勢を正した。


女は、うとうとしながらも頷く。


「うんうん、あってるあってる。よく来たねぇ……途中、夢みたいな道だったでしょ?」


「え、ええ……まぁ、確かに……いや、夢っていうか、悪夢寄りというか……」


「ふふっ、それなら正解だぁ」


彼女――キアラは、まるで古くからの知り合いにでも話しかけるように、言葉を投げてきた。

威圧もなければ、形式もない。

それでも、ゼルは言葉の奥に“何か深いもの”がある気がしてならなかった。


「荷物、ここに置いていいですか?」


「あぁ、その箱ね〜。うん、そこそこ。棚の左、浮いてる方の台に乗せてくれる?」


ゼルが指示された場所に箱を置くと、台はふよりと沈み、そして吸い込まれるように棚に溶けた。


「……え? 今、棚に……?」


「うんうん、大丈夫。ちゃんと受け取ってるよ。棚さん、今日はご機嫌だからね〜」


「棚に人格あるんですか!?」


「あるときはあるかな〜、ないときもあるかも〜?」


キアラはあくまで、ゆるく、ふわふわとした調子で話し続けた。


棚が箱を呑み込んだのを見届けると、ゼルは肩の力を抜いた。


「……よし、配達完了。報告して帰るだけか」


「帰っちゃうの?」


不意に、キアラがそんなことを言った。


その声に、ゼルの足が止まる。


「え? いえ、一応依頼の品を届けただけなんで……」


「ん〜。でも、ここまで来たのに。君、魔術……やってる子でしょ?」


彼女は、特に問いかけるでもなく、ただ“事実”のように告げた。


ゼルは思わず目を見張る。


「なんで……わかったんですか?」


「ん〜、匂い?」


「匂い……?」


「うん。君、書庫の埃と、未熟な熱の匂いがする。ちょっとだけ泥の記憶もね〜。昨日、足元びしょびしょだったでしょ?」


ゼルは思わず後ずさった。


確かに昨日、ダンジョンの浅層で足元を変異草にとられ、帰る頃には靴が泥まみれだった。


「……観察、鋭いですね」


「観察っていうか、見えちゃうのよね。君が“知りたがってる”こととか、どんな風に魔術と向き合ってるかとか」


キアラは、相変わらず眠たげな目を細めて笑った。


「“知りたい”っていうのは、いいことだよ。何よりも強い。世界の構造はね、“知ろうとすること”で、少しだけ見えてくるんだ」


「世界の構造……?」


「そうそう、魔術の理のこと。あんまり気にしなくていいよ。難しい話じゃないから」


彼女の言葉はふわふわとしていて、それでいて確かだった。

ゼルは、ふと気づく。――この人の言葉は、耳ではなく、“脳の奥”で響いてくる。


「……あの、俺。ギルドの仕事でいろんなとこ回ってるんですけど。まだ、自分の魔術って、よくわからなくて」


「じゃあ、見つけたらいいじゃない」


キアラは、まるで“おやつの味を選ぶような気軽さ”でそう言った。


「見つけるの、好きよ? 君みたいに“面白そうな子”の中に、まだ眠ってる魔術があるって、わくわくするから」


ゼルは、喉が乾くのを感じた。

魔術学院でも、ギルドでも聞いたことのない言い方だった。


「お茶、飲む? 今日のは、甘いよ。たぶん」


ゼルが返事をするより早く、棚の上から**“カップ”が一つ、足音を立てて歩いてきた**。


“カツ、カツ、トト……”

まるで小動物のように器用な動きで、卓の上へ“よいしょ”と登る。


「……歩いた……」


「今日は元気なのよ、この子」


キアラが軽く笑うと、カップの底が淡く光り、

静かに――まるで泉のように、お茶が湧き上がってきた。


液体は空から注がれるのではなく、器そのものの奥から満ちていく。

その瞬間、湯気が浮かび消えていく。


香りは柔らかく、甘く、どこか懐かしい。


「今日のは……不思議な香りだ……」


「君が欲しいって思ってた香りだからね〜」


カップの表面を見ると、いつの間にかそこに模様が浮かんでいた。

三角形が揺らぎ、重なり合いながら形を変えていく。


「……これって……」


「魔術の芽って感じね。まだ形になってないけど、しっかり動いてる」


ゼルは、そっとそのお茶を口に含んだ。


温かい。

甘い。

そして、わずかに――“言葉にならない何か”が、舌から脳に伝わる感覚。


それは彼の中に眠っていた“問い”を、そっと揺らした。


ゼルは、お茶をもう一口啜った。

柔らかな甘さが喉を通り抜けると、胸の奥で何かが“ゆっくりと目を覚ます”気配があった。


目の前の女性――キアラは、ただの店番を自称しながら、

その実、彼の“問い”に、ただ一人で応えるような存在だった。


「……また、来てもいいですか?」


その問いに、キアラはあくびをひとつし、

湯気の向こうから眠たげな目で微笑んだ。


「うん。君が“面白く”なったら、もっといいお茶をいれてあげるよ」


外の世界はまだ、騒がしい。

だが、この店の中では、魔術と理が静かに流れている。


ゼル=サイレスという若き魔術師が、

“本当に知りたいこと”に出会うまで――

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