表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

道標なき都市にて

朝の空気は、少し焦げ臭かった。

たぶん誰かが爆裂術式の実験に失敗したのだろう。

風に混じる薬草と焼けた石の匂いは、アルザリアの“いつもの朝”を物語っていた。


ゼル=サイレスは、路地裏の下宿の窓を開けたまま、食べかけの乾パンを口に押し込み、魔術具製の水筒を腰に装着した。


「……昨日の採取依頼は、さすがにやりすぎたな……」


ダンジョン浅層の探索依頼――素材は採れたが、粘液質の変異草に足を取られ、

魔術詠唱どころか、靴まで溶けかけた。


「今日は……軽いやつでいいか」


そう呟いて、彼は肩の力を抜きながら石畳の坂道を下る。

向かう先は、いつもの“冒険者ギルド”。


ギルドは朝から活気に溢れていた。

依頼掲示板の前では魔術師や冒険者が密集し、

各種素材依頼から怪しい護衛任務、魔物掃討の張り紙がびっしりと貼られていた。


ゼルは、慎重に探す。

昨日の反省を踏まえて、危険度の低そうな依頼を……


■【依頼名】品物の搬送

■【報酬】銀貨2枚+軽食

■【対象】ランクF〜E

■【備考】割れ物注意。目的地は「キアラ魔術店」

■【依頼主】――(未登録店主)


「……店主の名前、空白かよ」


「それ、“キアラ魔術店”だな。新人がよく引くやつだ」


背後から声をかけてきたのは、顔見知りの冒険者、ダミル。

体格が良く、魔術というより腕っ節で仕事をこなすタイプだ。


「何か変な店なのか?」


「いや、変じゃねぇ。むしろ真面目な店。腕もいい。だが、場所がちょっとわかりづらい」


「そんなに?」


「看板が読めねぇし、路地裏のさらに奥だからな。だが住民には評判いいぞ。“魔術具ならあそこへ”って決まり文句だ」


ギルドの事務員魔術師も、デスク越しに頷いた。


「“未登録店主”は、正確には身元確認不能ではありますが……あの店に関しては、都市でも特例扱いです。何しろ――」


「なくなったことがない店、ですからね」と、ダミルが補足した。


ゼルは苦笑した。


「なんだそれ。都市伝説みたいだな」


「でも本当だ。誰がいつ見ても、ちゃんとそこにある。不思議な店だよ。都市の深層と同じでな、あって当然、でも説明できない」


「……面白そうだな。荷運びついでに、覗いてみるか」


依頼品の木箱は、見た目以上にずっしりと重かった。

だが、重さよりも、今のゼルを悩ませているのは――


「……店、どこだよ……」


ギルドでもらった手書きの地図は、抽象画のように曲線だらけで、

しかも「このあたり」「たぶんこっち」という文字が多用されていた。


市場区――通称『灰の回廊』を抜けるはずだった。

だが、商人たちの怒号と客引きの声が飛び交う通りでは、思考を遮るほどの情報量が渦巻いていた。


「そこの兄ちゃん、耳が四つある猫の爪、買わないか? 今朝捕れたてだよ!」


「いらないです……!」


右を見れば、浮遊する屋台。

左を見れば、二階建ての本棚が走っている。


「揺らぎの街方面って言ってたけど……あれ? この通り、さっきも通ったような……?」


道が入り組みすぎて、通りと通りの境目が曖昧だ。

階段を上がるたびに見える風景が微妙に違い、

壁に設置された“自称案内板”は、今日も正確な情報を提供してくれなかった。


「“魔術店キアラ”……知ってます?」


ゼルが声をかけた老人は、親切そうに微笑んだが、


「そりゃあ……あそこの奥の、あっちの角を三回曲がって、その次の右の坂を下らずに上るんだよ。そうすれば近い」


「……えっ? 坂を……下らずに、上る? それって……え、ええと……」


混乱の中で歩いていくうちに、

ゼルは三回同じ猫とすれ違ったことに気づいた。


「……いや、さすがに……ぐるぐるしてない?」


ある小道では、ドアの向こうから異界語が聞こえ、

また別の通りでは、空き地の真ん中で魔術人形が盆踊りをしていた。


心が折れかけたとき――


ふと、風が止まった。


灰色の石畳が続く細い路地の奥。

雑草に隠れかけた階段をひとつ上ったその先に、ようやく、

ゼルは見つけた。


木造の家。小さな鉢植え。干された洗濯物。

看板には、“キアラ”と、まるで墨が滲んだような筆文字が揺れている。


「……あった……」


派手でも、不気味でもない。ただ、ひっそりと“在る”だけの家。

だが、扉の前に立った瞬間、ゼルは直感した。


この家は、街の“日常”の中で、どこか“非日常”の重さを持っている。


ドアノブに触れる指先が、少しだけ震えた。


「……さて、仕事、仕事」


ゼルは、意を決して扉を押した――


扉を押すと、柔らかな音がした。

だがそれは“扉の開く音”ではなく、まるで水面を撫でるような――空間そのものがめくれたような音だった。


「……なに、これ……」


ゼルが足を踏み入れたその瞬間、空気が変わった。


まず最初に感じたのは、温度差。

外よりもほんの少しだけ暖かく、だがそれは火の熱ではなく、

まるで“眠っていた布団に潜り込んだとき”のような、奇妙な安心感を伴っていた。


次に気づいたのは、音のなさ。

街の喧騒が、完全に切り取られていた。

無音ではない。小さな音はある。棚の軋む音、何かが揺れる音、どこか遠くで水が落ちるような音。

だが、それらが妙に“整って”耳に届く。


視界には、不可思議な光景が広がっていた。


棚が宙に浮いていた。

いや、浮いているのではなく、重力の“方向”が違っているようだった。

階段は途中で折れて天井へと突き抜け、天井には――星があった。


天井がない。空がある。

いや、違う。“闇”があった。夜空のように見える黒の天蓋に、星がいくつか、瞬いていた。


「……屋内……だよな、ここ……?」


ゼルは思わず呟く。


壁には無数の時計が並んでいたが、

すべての針が異なる速度で進んでいた。

音はしない。なのに、時が“進んでいる”ことだけは伝わる不思議。


その中で、最も異様だったのは――


空気の“視線”だった。


明らかに誰もいないはずの空間から、

“何か”がこちらを観察している気配。

敵意ではない。好奇心。観察。期待……まるで、試されているような。


ゼルは、恐る恐る歩を進めた。


棚に並ぶ品々は、どれも用途不明。

瓶に詰まった星屑。ふよふよと浮かぶ羽ペン。目が合ったように感じる石像。

すべてが“不確かであること”を当然のように存在させていた。


「いらっしゃいませ〜。あ、来た来た。今日の子だ〜」


不意に、声が降ってきた。


どこからともなく、ゆったりと、眠たげで、

しかし、確かに“すべてを見ていた者の声”。


ゼルは、背筋に微かな震えを覚えながら、ゆっくりと声の主の方へ――

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ