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佐渡島連続殺人事件  作者: iris Gabe
出題編
7/35

6.赤泊村の平穏なる日常

 柊人君は本当によくできる子だったなあ……。

 布団に入ってうとうとしかけていた計良けら美祢子みねこは、ふと昔の出来事を回想していた。校長を務めていた川茂かわも小学校は十六年前に閉校したが、本間ほんま柊人しゅうとはこの時の六年生だった。その雄姿を鮮明に覚えている美祢子にとって、今夜のお通夜は、まさしく青天の霹靂へきれきであった。まさかこんなに若くして死んでしまうとは……。

 当時の川茂小学校には、臼杵うすきこずえもいた。たしか閉校時には五年生であったはずだ。ひな人形のような可愛らしい女の子だったけど、お通夜の会場で呼び止められて、一目見た時、すぐに梢さんだと判った。おかっぱだった黒髪も、今ではすっかり長くなって、当時から予想はされていたけど、息を飲むようなすごい美人となっていた。でも、話を交わした雰囲気だと、まだ独り身みたいだけど、好きな人はいるのだろうか? もっともあれだけのべっぴんさんなら、引く手あまたなのは間違いないから、こちらがわざわざ心配するほどのことでもなさそうだけど……。

 そのほかに、誰がいたかしら? 本間柊人と臼杵梢がいた高学年のクラスには、たしかもう一人児童がいたような気がする。年を取ってしまい、そんな簡単なことが思い出せない。

 美祢子は布団から起き上がると、右手で蚊帳かやの端をそっとめくって、外へ出た。裸電球の電灯スイッチをひねって点灯させると、老眼鏡をかけてから、戸棚へ向かい、中からアルバムを一冊取り出した。これは川茂小学校が閉校になった時の卒業アルバムで、卒業生だけでなく、当時の在校児童全員の写真が載っている。

 ああ、航太君だ、若林わかばやし航太こうた――。この子は運動も勉強も両方ともできる子だったな。でも、同期の相手が悪かった。本間柊人に勉強では、誰であろうが太刀打ちはできなかった。言い方は悪いけど、ある意味で化け物みたいな、とてつもない存在だったのだ。おかげで、航太君はやられてばかり。いつもしょげていたっけ……。

 でも、もしかしたら、柊人君も航太君も、梢さんのことが好きだったのかしら……。

 そうそう。高学年クラスの担任をしていたのは、市橋いちはし斗馬とうま先生だった……。若いスポーツマンの市橋先生は、子供たちからとっても人気があったわね。一方で、私は低学年クラスを受け持っていたけど、子供たちからはうざったがれていたと思う。

 低学年クラスにいた児童は、誰だっけ? 自分が担当していたクラスなのに、児童の名前どころか、そのイメージすら思い出せない。アルバムをめくると、ああ、そうだ……。本間柊人君の妹の桃佳ももかちゃんが、たしか一年生で入ってきた年だったわね。もう一人は、ええと、四年生の金子かねことおる君……か。はて、どんな子だったっけ?

 当時の写真を見ても、美祢子は、この子がどんな児童だったか、全く思い出せなかった。逆にいえば、高学年クラスにいた三人の個性がとても強かったということなのだろう。

 そういえば、梢さんが在籍していた時期よりもちょっと前だったけど、梢さんに負けず劣らずの、周囲の目を惹き付けてやまない、可憐な少女が、かつての川茂小学校にいたような気がする。

 あの子の名前は、ええと、たしか……。


 赤泊あかどまり郵便局員の田中慶子は、今日も窓口にずらりと並んだ客の多さを見て、うんざりしていた。順番待ちのカードは、開業と同時に、一瞬で19番まで発券されてしまったのに、さっき呼び出されたのが6番だ。窓口は、実質二つしか開いていないので、いま最後で待っている客の応対ができるのは、一時間くらい先となりそうなのだが、客たちの顔に悲愴感は感じられない。いやむしろ、落ち着いている雰囲気さえ漂ってくる。

 四十五歳の慶子といっしょに、もう一つの窓口を担当しているのが、臼杵梢という若い女性だ。滑らかでスリムな顔に、清楚な長い黒髪。ちゃらちゃらした気配は微塵もなく、ときおり接客時に垣間見せる、はにかむような笑顔は、すべての男性客のハートをとりこにしている。今ここで待つ男性客のほとんどが、窓口で仕事をしている梢の姿を、じっと観察しているのだ。応対は、カードの順番に従って、慶子と梢の二つのうちどちらか手が空いた窓口へと回される。手が空くタイミングはその時しだいだから、待っている客はどちらの窓口で呼ばれるのかが全く予測できないのだが、慶子の窓口で呼び出された途端に、ちっと舌打ちするのが聞こえてくるのには、つくづく嫌気がさしている。そういう客に限って、依頼の案件もどうでもよい内容が多く、単に梢の姿を眺めるためにここへ通う口実を取り繕っているに過ぎないのである。いっそのこと、梢が円満退職でもしてくれれば、この長蛇の列も自然消滅してくれて、本来あるべく平穏な業務へと戻れることであろうに……。

 そういえば、梢は今いくつなのだろう。見た感じは女子大生といわれても十分に通用しそうだが、長年勤務していることから考えて、少なくとも二十五にはなっているはずだ。そろそろ結婚したって、ちっともおかしくない年ごろだ。


 帰りのバスで、窓の外に移りゆくいつもの景色を眺めながら、臼杵梢は一人で考え事をしていた。今日、同僚の田中慶子からお見合いを紹介されたのだが、相手は年齢が三十九で、子持ちのバツイチということだった。写真も見せてもらったが、頭髪も薄くなりかけて、くたびれているおじさんである。いつもの要領で、丁重に断った梢だが、これまでにもいろんな人から矢継ぎ早に、見合い相手を紹介されている。そろそろ選り好みをしているわけにはいかない年齢にはなっているのだが、せめて紹介されるのが、三十前後で好みのタイプだったら、梢にも考える余地はあるのだが、こんな田舎で持ち込まれる話など、ろくなものがあろうはずもなかった。

 そうこうしているうちに、バスは梢が毎日利用している鍛冶屋かじや停留所まで近づいて来た。この辺りは近くに牛舎があって、窓の外から牛糞の臭いが鼻を突いてくるが、慣れてしまえばそれほどいやな臭いでもない。すると、開けた田んぼのど真ん中に、ポツンとたたずむ一軒家が見えてくる。

 『一家ひとつや』だ――。

 この家の当主は、中道文勝という佐渡市の市議会議員で、この近辺では極めて評判の良い人物であるが、同時に、梢はこの男がとんでもない悪党であることも知っている。

 あれはもう七年も前の、夏が終わろうとしていた頃のことである。梢は当時二十歳になったばかりだった。

 深夜、自分の部屋で一人寝ていた梢は、なにか丸いもので顔をさすられているような感じがして、ふと目を覚ました。

 狭い八畳間に、梢のほかに、もう一人誰かがいる。しかも、梢の上へ覆いかぶさるように、マウントを取っているから、驚いた梢が両手を突いて押し返すと、相手は少し後ずさりをした。

 暗くてはっきり見えないが、少なくとも祖母ではなさそうだ。それに、触れた感じが地肌そのもので、服を着ていないようだった。

 叫ぼうとした瞬間、猛禽類のような太い指がぬっと伸びてきて、かよわい梢の口は簡単にふさがれてしまう。男の吐く息が、容赦なく梢へ降りかかってくる。

「梢ちゃん……、どうかおとなしくしてくれ。別に怪しいもんじゃねえっちゃ。

 一家ひとつやの中道文勝じゃ。ほれっ、市議会議員をしているな」

 みずからを怪しいものではないと口にしながら、深夜に女性の寝室に忍び込んできて、しかも素っ裸でいる。これのどこが怪しくないというのか? 

「梢ちゃん。お願いじゃけ、今晩、一発だけでええから、やらせてくれ。心配はいらん。痛くないようにやさしゅうするけんな……。

 もちろん、ただとはいわねえぞ。小遣いもたんとくれちゃる。

 なあ、わしゃ、無花果いちじくかおうてくるこの時期になると、いつもあんたのなまめかしい裸体はだかを想像しちまって、もう我慢できんのちゃ。ほれ、見てみい。こいつもこんなに元気になっとるでよ……」

 暗闇とはいえ窓が開いているから、月明かりがこうこうと差し込んでくる。中道は鼓舞するように、股間を開いて梢に向けてきた。父親は梢が幼い頃に死んでいるから、梢が男性器というものを目の当たりにしたのは、実はこの時が初めてだった。さっき寝ている時に頬に押し付けられていたのは、まさかこれだったのか……。

「帰ってください。それ以上近づけば、大声を出しますよ。すぐに祖母が飛び出してきて、警察へ通報することでしょう。そうなれば、あなたがこれまでに築きあげた政治家としての地位も名誉も、ぜんぶおしまいです」

 実際のところ、祖母は耳が遠いから、ここから叫んだところで、気付くかどうかはあやしかった。それでもパジャマ姿の梢は、精一杯に気持ちを奮い立たせて、鏡台の上にあった乳液の壜をつかむと、今にもあなたへ向けて投げますよとばかりに、右手を高く掲げて、抵抗の素振りを示した。

「分かった、今日のところは、帰らせてもらうっちゃ。でも、また機会があればやってくるで、そん時はよろしゅう頼むわな。梢ちゃん。ほんに俺はあんたのことが好きでたまらんのちゃ」

 梢の剣幕に圧倒された中道は、慌てて、置いてあった服を抱え込むと、素っ裸のまま外へ飛び出していった。

 佐渡では夜這いの風習が依然として残っていると、うわさには聞いていたが、まさかこんなだとは……。布団の上にぺたんと座り込んだ梢は、力が抜けてしまって、しばらく立ち上がれなかった。

 あれからもう七年が経つが、梢が中道文勝と顔を突き合わせることは一度もない。


 二階からかすかにうめき声がする。どうせ、文彦がまた自慰行為をしているのであろう。九月になって、世間では新学期が始まったというのに、この子ったらいつまで経っても……。

 音をたてないよう注意しながら、中道春代は階段を上って、息子の部屋の扉にそっと耳を近づける。中からは、はあはあと、品のない喘ぎ声と、時折、好きだー、とか、ひとりで部屋にいるにしては不自然な言葉がいくつか聞こえてくる。やがて、甲高いうめき声があがって、途端に物音一つしなくなる。

 終わったようだな……。春代は状況を冷静に把握すると、気付かれないよう、階段を静かに下りていった。年頃の男の子だから、こんなことが多少あっても、我慢をしなければだめだ。感情に任せてうっかりしっ責しようものなら、文彦はもっといじけてしまい、ますます部屋に閉じこもってしまうことだろう。

 文彦が高校へ行かなくなってから、はや三年が経つ。まだ二年生として学校に在籍はしているものの、年は二十歳となってしまった。春代は、文彦が今の高校を早々に退学をして、通信制の高校へ入ってから、高卒認定試験を受けてくれれば、それで良い、と思っているのだが、夫の中道文勝が、世間体が悪いとかやたら難癖をつけて、断固として転学を認めないから、ここまでひどくこじれてしまっているのだ。

 翌朝になると、朝食を済ませた夫は、なにもいわずに出勤していった。夫は佐渡市の市議会議員である。聞いた話では、定例議会が開かれないこの時期は、赤泊支部の議員事務所まで出向いて、地域のためになる何かの仕事をしているらしい。

 屋号が『一家ひとつや』というだけあって、四方を田んぼで囲まれ、ポツンと一軒だけたたずむ我が家は、道路を通行していく車からも、とりわけ目立って見える。選挙時には大きなポスターが家の壁に貼られ、夫の当選に少なからず貢献をしていた。

 その夫が家からいなくなると、掃除に取り掛かるのが春代の日課だが、文彦の部屋の前までくると、中に人がいそうな気配が消えていた。

 引きこもってからというもの、文彦が自分から朝食時に台所へやって来ることはない。春代は文彦のために朝食の支度はするけど、いつも台所へ置きっぱなしにしておく。掃除を済ませて、十時になると、春代はいつも車で赤泊の町まで買い物へ出かける。買い物から帰ってくると、台所へ置いておいた朝食はすっかりたいらげられてある。夕食も同様で、毎晩七時に部屋の前まで食事を持っていき、廊下へそっと置いておく。九時頃に行ってみれば、空っぽになった食器が廊下に置いてある。それ以外でも、文彦は腹が減った時には、春代たちがいない隙を見計らって、勝手に冷蔵庫からなにかを持っていく。その際、親子の間で交わされている暗黙の取り決めは、生ごみをきちんと分別して捨てることで、それさえなされていれば、春代は文彦を叱らない約束になっている。まるで飼い猫のごとき文彦であるが、実は最近、朝の八時頃には、どうも家を留守にしているみたいなのだ。しばらくすれば、玄関から入って来て、二階へ逃げ込む音がするから、心配はしていないが、まあ、朝に散歩をする習慣が付いたのは、決して悪いことではないだろう。

 それにしても、昨日もうめき声を発していたけど、いったいあの子は、何を見ながら自慰行為に走っているのだろうか。親として、息子がどんなタイプの女の子が好きなのかは、少なからず興味がある。以前はアイドルの大きなポスターが部屋の壁に貼ってあった。なんとか46とかいうグループの一人が、文彦のお気に入りみたいだ。それが、昨年あたりから、そのポスターがなくなってしまい、部屋の中が殺風景となっている。

 そっと扉を開けてみると、やはり文彦の姿はそこになかった。時刻は八時十分か……。文彦は少なくとも八時半までは帰ってこないはずだけど、探してみるのなら急ぐ必要がある。

 教科書すら置いてない勉強机の引き出しを開けてみる。猥褻な本の一つや二つは出て来るのかと思いきや、そのたぐいの品物が何も出てこなかったのは、春代の想定外であった。

 屑籠の中をみれば、丸めたティッシュがいっぱい捨ててある。上の方にあるのをつまんでみると、まだ湿っていて、精液の生々しい匂いがする。最近、夫とはトンとご無沙汰しているから、春代にとって久しぶりに嗅ぐ匂いだ。昨晩の射精で文彦が出したものであるのは間違いないのに、それを誘発するために使用したアイテムがないのが、春代は気になった。まさかあの子が、本物の女の子を部屋に招いて、本番行為をしていたというのか。いやいや、あの子に限って、彼女がいるはずないし、ましてや、夜這いをするような度胸も持ってはいない。

 そういえば、夫との出会いは、夫からの夜這いがきっかけだったっけ。ここ何年も寝室を別にしているけど、性欲のはけ口を夫はどう処理しているのだろうか。息子は若いから、毎日のように自慰行為に走っているけど、もうじき五十になる夫なら、溜まって困るようなことがないのかもしれない。

 机の上に置かれたタブレットパソコンが春代の目に留まった。そうか、文彦のずりネタは、きっとこの中に……。

 どきどきしながら、春代はタブレットのスイッチを入れた。もしもパスワードがかけられていたら中は覗けないが、幸い、デスクトップ画面が直接表示された。

 『お気に入り画像』というホルダーがあるからクリックをしてみると、さらにその中に『嫁』というサブホルダーが置いてあった。怪しいと思った春代は、それを開いてみた。

 百枚を超す大量の画像ファイルが、サムネイルで一気に表示される。予想通り、女の子の画像ばかりだ。もはや疑いの余地はない。これを見ながら、文彦はあさましい行為に走っていたのだ。

 それにしても、ここに写っている女の子はいったい誰だろう……。

 明らかに、以前貼ってあったアイドルではない。気品が感じられる女性で、アイドルというよりも、どちらかといえば女優さんにも見える。少しは文彦も大人に成長しているのかなと、春代はちょっと安堵したが、ピントぶれで画質が乱れている画像ファイルもいくらかあって、とてもプロのカメラマンが撮った画像とは思えない。

 あれっ、この画像の背景に写っているのは、すぐそこにある、鍛冶屋バス停の待避小屋ではないのか? まさか、こんなところにまで有名な女優さんがわざわざやって来るとも思えないけど……。

 いや待てよ。この娘の顔、たしか以前に、どこかで見かけたことがある。でも、どこだったかしら……。

 次の瞬間、中道春代は愕然とその場で立ち尽くすこととなる。


 この人は……、采女うねめの一人娘のお嬢さん――じゃないの?

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