32.逮捕
いきどおったあまり、烏丸はパトカーのボンネットを両手でドンと叩いた。
「車が運転できるけど、車を所持していない、そして赤泊村の住民。たったそれだけの理由で、臼杵梢が犯人であると断定するのは、あまりに推理が乱暴過ぎやしませんか。
それだけの条件だったら、金子亨だって当てはまります。もっともそうなると、金子亨と若林航太が同性愛者だったということになってしまいますがね。
金子は第四の事件の時に、愛車である軽トラックを修理に出していました。車が運転できるけど、車を所持していない、赤泊村の住民、という三つの条件を、金子亨だって立派にクリアしているのですよ」
「でもね、金子亨が犯人であることはないんだ。なぜなら、金子が鬼の面を処分しようと思ったら、決して経塚山の峠へは捨てないからさ。もっと安全な場所があるからね――。船を自由に動かせる金子が鬼の面を捨てようと思ったら、日本海の沖へ沈めちまえばいいんだよ……」
恭助が鴇松に代わって返答した。
「しかし、臼杵梢が一連の事件の犯人だとして、いったい彼女の動機はなんなのですか。仮にも四人もの人間が殺されたのですよ。そんじょそこらに落ちていそうな理由では、合点がいきません」
烏丸がなおも食い下がる。その様子を見て、鴇松も恭助へにじり寄った。
「私も、臼杵梢が犯人だという結論には、今さらですが、納得はしていません。なぜなら、第三の事件において、彼女には鉄壁のアリバイがあるからです。臼杵に市橋殺しは絶対にできなかった。なにしろ事件が起こった時、事件現場から三十キロも離れた赤泊港の喫茶マジョルカに、彼女はいたのですからね。
恭助さん、それについて私が納得できる説明を、あなたはご用意されているのですか」
恭助は少しのあいだ考え込んでいたが、やがて観念したかのごとく、口を開いた。
「正直なところ、俺にも真相は完全に突き詰められてはいないんだ。でもさ、第四の事件の犯人が、臼杵梢であることは間違いない。だから、臼杵を逮捕しちゃって、彼女から直接真相を訊き出しちゃえばいいんだよ」
「そいつは無理です。逮捕するための確固たる証拠が必要です。でも、いま現在、そんなものはありません。臼杵梢が犯人だと断定したのは、あくまでも我々の推測の範疇に過ぎないのですからね」
烏丸がいい張った。
「証拠ならあるよ。たぶんね……」
恭助がポツリとつぶやいた。「第四の事件で臼杵梢は若林とかくれんぼクラブで密会をした。その移動手段は、優雅にタクシーを手配していた可能性もあるけど、おそらくは、若林の愛車で移動していたと推測される。
臼杵と密会の約束を交わした若林は、赤泊村にある臼杵の家まで車で迎えに行く。臼杵は同居している祖母に気付かれないようこっそりと家を抜け出して、外で待っている若林の車へ乗り込んだ。そのまま二人は、かくれんぼクラブへ行き、逢引きを交わす。
ところが、そこでどんないざこざがあったのかは、よく分からないが、結果的に若林は死んでしまう。
臼杵は、仕方なく遺体を台ヶ鼻灯台まで移動させた。その手段は、若林の車を臼杵自身が運転するしか手立てはない。さいわい臼杵は運転技術を持っているし、車の鍵だって若林のポケットの中から取り出すだけだった。
台ヶ鼻で若林の遺体を遺棄した臼杵は、そのまま若林の住居まで車を移動させる。そして、家の中の洗濯籠へ、若林が着ていたシャツと靴下、それに上着とズボンを放り込むと、そのまま、赤泊村の自宅まで県道81号線を歩いて帰った。その途中で、一連の犯行の象徴的アイテムだった鬼の面を、もはや必要がなくなったからという理由で捨てたんだ」
ここで恭助は一息ついた。「若き実業家、若林航太が所有する高級車だったら、さすがにドライブレコーダーのひとつくらい搭載されているだろう。だから、そいつの録画映像を調べれば、運転席で運転をしている臼杵梢の姿が写し出されているはずだよね……」
「なるほど、若林の愛車のドライブレコーダーですか。そいつは盲点でした。早速調べさせましょう」
烏丸は慌ててポケットからスマホを取り出すと、本署にいる部下へ指示を出した。
臼杵梢が逮捕された。決め手となったのは、かくれんぼクラブの防犯カメラに映し出された若林の愛車のナンバープレートの映像と、愛車に搭載されているドライブレコーダーに残された録画映像だった。警察が録画データを調べたところ、運転をしている臼杵梢の姿が鮮明に映し出されたというわけである。
佐渡警察署にて、烏丸巡査部長ら捜査一課の署員たちによる臼杵梢への取り調べが行われている真っただ中に、鴇松警部補と如月恭助はすぐ隣にある控室で待機をしていた。
「恭助さん、正直まだ分からないことだらけですよ。臼杵梢は若林航太を殺害する目的で若林が運転する車に乗ってラブホテルへ移動した。そこで若林を殺して、遺体を遺棄し、衣類は若林の住居に置き去ったのちに、鬼の面を経塚山へ捨てたわけですが、そのあいだ彼女はずっと鬼の面を隠し持っていたことになります。これから逢引きへ向かうのに、鬼の面を入れたリュックサックでも、彼女は背負っていたというのでしょうか」
恭助がくすくすと笑った。
「臼杵のファッションセンスをして、逢引き時にリュックサックはさすがになさそうだね。ということは、臼杵は自宅を出る時に鬼の面を持参してはいなかった、と結論付けてもいいんじゃないかな」
「すると、鬼の面はどこにあったのですか」
「おそらく、若林の車の中だろうね」
「どうして鬼の面が若林の車の中に……」
「それはね、今回の四つの殺人事件において、若林航太が臼杵梢の共犯者だったからさ!」
鴇松の顔にさほど驚きの色は見られなかった。まるで恭助の答えを待っていたかのような、それは穏やかな表情であった。
「第二の犯行、計良美祢子殺しでは、若林航太に完璧なるアリバイがあり、第三の犯行、市橋斗馬殺しでは、臼杵梢に確固たるアリバイがあった。
連続殺人の犯行が単独犯だったという先入観にとらわれてしまうと、犯人が特定できずに迷路へ迷い込んでしまう。でも、この二人が共犯だったら、その答えは実に単純なものと化すよね。
交換殺人――。すなわち、第二の犯行は臼杵が行い、第三の犯行は若林が行った……」
「第二の犯行ですが、臼杵は計良美祢子を深夜に沢崎鼻灯台までどうやって呼び寄せたのですか」
「犯行が行われたのは、実は深夜ではなかったんだよ。十月十二日は土曜日だった。勤務休業日だった臼杵は、計良美祢子の家を訪れ、昔話なんかを交わしながら、計良が運転する車に同乗して、二人切りでどこかへドライブにでも出かけたんだろう。夕刻になって、臼杵が夕日を見たいなどといって、夕焼けの名所である沢崎鼻灯台へ誘導する。こうして誰もいない断崖絶壁に、まんまと計良美祢子を連れ出すことに成功した臼杵梢は、隙を見計らって背後から計良美祢子を突き飛ばした。
俺が調べたところ、十月十二日の日の入り時刻は午後五時十七分だから、犯行が行われたのは、おそらく五時半頃だったろう」
恭助が、例のA4版ノートをペラペラとめくりながら、返答した。
「しかし、検死によれば計良美祢子の死亡推定時刻は十月十三日の深夜零時から二時までのあいだでしたが……」
「たしか、死因は溺死だったよね。だから、犯行が夕刻に行われたにもかかわらず、被害者の死亡時刻が深夜であることが、実際に可能となるんだよ。
こいつも調べたんだけど、十月十二日の干潮時刻は午後八時三十分で、満潮時刻が深夜の二時二十分だ。
崖下へ突き落された時に、身動きが取れなくなるほどの重傷を負った計良美祢子だが、まだ事切れてはいなかった。そして、突き落された時には、潮がまだ引きかけだったから、岩の上にうつぶせで倒れている計良美祢子は、呼吸をすることができた。でも、深夜二時近くになって、潮が満ちてくると、いよいよ顔面が海面へ沈んでしまい、彼女は呼吸ができなくなって、そのまま溺死をした」
「すると、犯行時刻は、深夜ではなく、宵の口だったということですか……」
鴇松がうなだれた。
「だけど、計良美祢子を突き落した臼杵梢のなさねばならない任務は、それだけではなかった。相棒である若林のアリバイを裏付けるために、誰か通りすがりの人物に鬼の面をかぶった姿を目撃される必要があった。さらに念を入れて、鬼の面とともに持参していた新品のリコーダーを、美祢子を突き落した断崖の地面へ突き立てた。それから、県道を走ってくる車の真正面となる曲がり角の高台に立って、鬼の面をかぶり上半身だけが見えるようにしながら、わざとド派手なゼスチャーを振舞う。
鬼の面とリコーダー。この二つが今回の連続殺人事件を象徴する重要アイテムであり、一方で、第一と第二の事件の内容の詳細が、マスコミでほとんど報道されなかったことから、犯人しかこのアイテムのことを知らないはずだと、警察は思い込み、結果として、相重なる犯行が同一犯でなければならないという錯覚に、みなが陥ってしまったんだ。でも、共犯者同士なら、それらの情報は筒抜けなわけだし、臼杵と若林はそれを上手に利用して、まんまとアリバイ工作に利用したということだね」
「第二の計良美祢子殺しは臼杵が行い、第三の市橋斗馬殺しは若林が行った。そして、第四の事件の犯人は、生き残っている臼杵となりますが、最初の本間柊人を殺したのは、いったいどちらなのですか。
もし、本間柊人を殺した犯人が臼杵でしたら、彼女が連続殺人の主犯であり、その動機は、本間柊人から脅迫を受けていたことになります。さらには、第二、第三の犯行を行うことで、互いに共犯者同士のアリバイ工作を図り、見事に鉄壁のアリバイが完成しました。そうなると、用済みとなった若林は、あっさりと臼杵に見限られて、始末されてしまったこととなりましょう。
逆に、本間柊人を殺したのが若林でしたら、本間柊人から脅迫を受けていたことが動機となりますが、なぜ最後の土壇場になって、若林は臼杵に殺されてしまったのでしょうか? この点がどうしても説明ができません」
「その答えはおそらくこうだろう。
第一の犯行で犯人は、本間柊人の遺体をかついで、弾崎灯台の真下まで、小径を歩いて運んでいる。一方で、第四の事件では、臼杵は若林の遺体を台ヶ鼻灯台の真下までは運ぶことができなかった。自分よりも体重が重い人間をかついで運ぶことは、力が弱い臼杵にはとうてい無理だったってことだね。だから、第一の事件の犯人は、若林航太だったと考えるのが自然だ」
「すると、第一と第三の事件の犯人が若林で、第二と第四の事件の犯人が臼杵ということになりますね。しかし、動機はいったい何だったのですか。本間柊人から脅迫を受けていたのなら、彼を殺すだけで事は済むじゃないですか。たかがアリバイ工作のために、計良美祢子と市橋斗馬は犠牲にされてしまったということですか」
「ここから先は、ある程度の推測はできても、断定まではできない。結局、臼杵本人から訊き出すしか真相は分からないのかもしれない。
たださ、臼杵梢には市橋斗馬を殺したくなる動機があったんじゃないかな。
臼杵は中学一年の時から不登校になった。理由ははっきりしていないけど、なにか学校へ通えなくなるほどの耐えがたき精神的ショックを受けたと考えられる。臼杵梢といえば清楚な雰囲気を醸し出す美少女だ。それは、十七年前に自殺を遂げた神楽澪や、赤玉のレイプ事件の被害者の少女とも、共通した特徴だ。赤玉事件の犯人は、逃げる時に足を引きずっていたそうだけど、小田心愛の話によると、市橋斗馬はかつて猪に体当たりされて、膝の前十字靭帯を損傷している。
以上を総合的に解釈すると、臼杵梢は中学一年の時に強姦されていたんだと思う。そして、赤玉の事件と同じく、当時は犯人が誰なのか分からなかったんじゃないのかな。まさか小学校の恩師が犯人だなんて、誰もが考えつかないシナリオだろうからね」
鴇松と恭助が話をしていた控室へ、血相を変えた烏丸巡査部長が飛び込んで来た。
「大変です。取り調べ中に臼杵梢が吐いてしまいました」
鴇松がキョトンとしながら訊ねた。
「そうですか。割と早かったですね。やはり彼女が犯人だったということですか」
烏丸が大きくかぶりを振った。
「いえ、吐いたといったのは、別に自供を始めたという意味ではありません。本当に胃の中のものを嘔吐したのです。
おそらく、つわりではないかと推測されます。どうやら、臼杵梢は妊娠をしているみたいですね……」