25.マスターの証言
「えっ、警察の方ですか。分かりました。話は外でいいですかね。
おーい、夏帆ちゃん。ちょっとカウンター離れるけど、あとは頼むよ。何かあったら、すぐ外にいるから、声を掛けてね」
すると、店の奥の方から「はーい、マスター。ごゆっくりー」、とのんびりした声がした。
鴇松と烏丸がやって来たのは、赤泊港の近くにある喫茶マジョルカという店である。そこの店長、小杉悠二は、川茂小学校の卒業生で、学年は若林航太と本間柊人の一つ上だ。
「市橋斗馬先生はご存知ですよね」
「ええ、小学校の担任でしたから」
「その市橋先生ですが、先日お亡くなりになりましてね。それはご存知で?」
「ああ、知っています。なんでも、水津祭りで悪漢に襲われて殺されたそうで、お気の毒でしたね。まだ、お子さんは幼いようにうかがっておりますが」
あまり顔色を変えることなく、小杉は答えた。
「先生のご葬儀はおととい行われましたけど、あなたはご参加をされなかったのですか」
「いやあ、申し訳ないです。なんでも新穂の会館で行われたそうですね。僕は仕事の手が離せなくて、出ることが出来ませんでした。本当に、お悔やみ申し上げます」
淡々と答える小杉に対して、鴇松はちょっとした手裏剣を投じてみた。
「そうですか。何か式に出たくない理由でもありましたかねえ」
「えっ、僕にですか。いえいえ、とんでもない。暇であれば、ぜひ出席したかったですよ。川小時代に先生からは、何かとお世話いただきましたからね」
「なるほど。では、一つ下にいた若林航太さんですけど、覚えていらっしゃいますか」
「もちろん、覚えていますよ。若林航太君に本間柊人君。学年こそ僕より一つ下ですけど、二人とも何でもできる優秀な子供たちでしたからねえ」
「その若林さんですが、彼は市橋先生のお葬式には出席したくなかった、といっていましたよ」
「へえ。どうしてですか」
「なんでも、小学校時代に市橋先生からこっぴどく叱られたことを、根に持っているみたいでしたな」
「ああ、そういうことですか。まあ、分からなくもないですね。市橋先生にはちょっとしたアスペルガー症候群チックな一面がありました。周りの空気を読むのが下手というか、ちょっと気に触れてしまうと、ブレーキがかからず、直情的な行動を取ってしまうんです。いえ、決して本人に悪意があるわけではないんですよ」
「ほう、なかなか心理学にお詳しいようで」
「いえ、そんなことはないです。高校を卒業してから、僕はいったん看護の専門学校へ通いました。その時に色々習いましてね」
「看護学校ですか。では、看護士になれていたと」
「はははっ。途中でギブアップしました。あまり、介護のような仕事には性格が向いていないようですね」
「そうですか。でも、看護学校を出て看護士にならないとなると、就職とかが何かと厳しそうですね」
「そえ、その通りですよ。ましてや、ここは絶海の孤島、佐渡島。若者が就ける仕事なんて、あったところで第一次産業です。僕はね、刑事さん、汗水たらして働くとか、力を要する仕事ってのが、どうも嫌いなんですよ」
「それで、ここを経営されているわけですね。どうです、ここのお仕事は順調ですか」
「ええ、ぼちぼちといった感じですかね。一年前から、バイトの高校生も雇えるようになりました。これからが勝負どころって感じですよ」
「ほう、バイトの女の子は高校生ですか」
「ああ、このことはくれぐれも内緒にしておいてくださいね。彼女が通う高校は、アルバイトを禁止していますから」
「まあ、たいていの高校はそうなっているでしょうね」
「僕も同じ高校出身ですけどね。羽茂高校です。通称、ハモ高。
いやあ、僕たちの通っていた頃のハモ高は、荒れていましてね。いわゆる、校舎の裏で煙草をふかして、見つかれば逃げ場もない、ってやつですよ。学校を途中で止めた同級生で、地元の暴力団に入った者もいましてね。中には、他グループとの抗争に巻き込まれて、命を落としたやつもいたくらいです」
「それはまた、物騒な」
「でも、今のハモ高はとってもいい学校です。刑事さん、僕はそれに関しては太鼓判を押しますよ。入学時の偏差値は決して高くはありませんが、生徒たちは一生懸命に学校活動をしています。それに、優秀な子たちは大学へも進学していますからね」
「そうですか。それは良かった」
ほこらしげに後輩を語る小杉の目は、きらきらと輝いていた。
「バイトの鈴木夏帆ちゃんですけど、なんでも、ハモ高で成績トップだそうですよ。学校の先生たちはそろって、内地の国立大学へ進学させようと意気込んでいるらしくて、そんな彼女がこんなところでアルバイトをしていることがバレてしまえば、内申点にも影響してしまうことでしょう。でもね、刑事さん。そうはいっても、彼女は四人兄弟の末っ子で、父親が二年前に病気を患ってろくに仕事ができなくなってしまい、母親が夜の仕事でどうにか生計をつなげている有り様ですよ。現状を考えれば、悠長に大学へ進学できる経済状況ではないんです。
はははっ、皮肉なもんです。学校側は、大学へ進学させるため、少しでも勉強に身を入れられる方が良いと思って、アルバイトを禁止するわけですが、一方で、家庭の方では、大学へ進学させたいから、わずかなお金を工面するためアルバイトをしなければならない。とかく世の中って矛盾だらけですよね」
そういって小杉悠二は、陽を受けて穏やかに光る海へ目を向けた。
「ところで、今日我々がこちらへ伺いましたのは、川茂小学校の卒業生であるあなたから、当時のことをいくつかお聞きしたかったからなんですよ」
「そうですか。ええ、なんなりと質問してください。警察の捜査のためになら、全面的に協力を惜しみませんよ」
そういって、小杉は髭下の口元を緩ませた。
「当時の川茂小学校に勤務していた教員は、校長先生である計良美祢子さんと、若手教員であった市橋斗馬先生のお二人だったと伺っておりますが」
「そうですね。でも、市橋先生は僕が四年生の時に、新任の先生として、川小へ赴任されたのですよ。それまでは、ご年配の鶴間先生という男性教員が見えましてね。でも、鶴間先生は定年を過ぎていて、ほかに教員がいなかったから、嫌々ながらも川小で仕事を続けられていたそうですよ。本当かどうかは分かりませんけどね。
鶴間先生がいた頃は、川小にはまだ子供がそこそこいました。僕が一年生の時は、全校児童は十八人もいたんですよ。でも、僕の一つ上の学年に児童は一人もおらず、僕の学年も僕一人だけでした。そのあたりからかなあ、川小を廃校にする話が浮かび上がってきたのは。市橋先生が赴任されたのは、そんな頃の川小でした。
僕が四年生と五年生の時の担任は計良先生でした。でも、六年生になった時に、市橋先生も、初任から三年を経過したので、高学年の担任を受け持つこととなり、僕たちの担任となりました。その時の児童は、六年生が僕と神楽澪さん。五年生に、本間柊人君と若林航太君の二人がいました。柊人君と航太君の二人は、ひそひそ話で『なんで市橋が担任になるんだよ』と怒っていました。最初はその意味がよく分かりませんでしたけど、日を追うごとにだんだんそれが分かってきました」
そういって小杉はふーっとため息を吐いた。
「あなたの同級生の神楽澪さんについてお伺いしたいのですけど、どんな女の子でしたか。その、あなたから見て、という意味ですけど」
鴇松がさりげなく本命を切り出した。実際、小杉から訊きたいことは、川茂小学校の当時の様子や、自殺した美少女、神楽澪のことであるのだから。
「神楽さんのことですか。そうですね。何を話せばいいのかな。
彼女が川小に転校してきたのは、僕が五年生の時。たしか九月だったかな。夏休みが終わってちょっと経った時でした。
ええ、そりゃあ、僕たちはびっくりしましたよ。転校生っていうだけで珍しかったのに、東京からやってきたという話だし、しかも、とびきりの可愛い女の子でしたからね。
その時のクラスのメンバーは、僕と柊人君と航太君の男子三人でした。突然仲間となった女の子に、三人ともどう対処していいのか全く分からず、途方に暮れましたよ。それに加えて、神楽さんもあまりしゃべらないタイプの人でした。僕たちと神楽さんのあいだに会話はあまりありませんでしたけど、何か困った時に神楽さんが聞いてくるのは、いつも僕でしたね。今にして思えば、同じ学年ということで、ちょっとだけ気を許してくれたのかもしれません。
いつも無口で寂しそうにしている神楽さんを喜ばせようと思ったのか、ある日、航太君が気を利かせたんです。いきなり神楽さんのそばに行って、顔の近くに手を差し出したんです。お姉さんにプレゼントをあげます、といって、開いた航太君の手の平に入っていたのは、クワガタムシ。学校の裏の雑木林で捕まえてきたらしいのですが、神楽さんが初めて大きな声を張り上げましてね。いや、ほとんど悲鳴でしたけど、走って教室の外へ逃げてしまいました。航太君に決して悪気はなかったんですけど、彼にしてみれば、クワガタムシは最高の宝物ですからね。神楽さんを何とか喜ばせてあげたかった行為なんです。まあ、それからでしょうかね。僕たちと神楽さんのあいだで、少しだけ打ち解けた雰囲気が生まれました。
そんな時、神楽さんから音楽室へ行きたい、といわれたので、僕が案内しました。川小の音楽室は時計塔の三階にありまして、一番奥の部屋でした。当時はあまり使われてはいなかったんですよね。計良先生はピアノが弾けませんし、もちろん市橋先生も音楽を教えることができません。音楽の授業の時間は、何らかの理由をこじ付けて、国語とか算数の授業にすり替わっていましたね。
音楽室にはグランドピアノが置いてありました。神楽さんはピアノを見ると、足音も立てずにすっと近づいて、椅子に腰かけてから、蓋を開けました。
そのお、なんていうんですかね。彼女が椅子に腰かけた瞬間、周りの空気がピンと張り詰めた気がしました。白いブラウスの中で背筋の影がきれいに伸びていて、背中まで届くくらいの黒くて長い後ろ髪――。何となくそんなようなオーラがあったんですよね。
神楽さんがその時に弾いたピアノの調べ。当時の僕は音楽のことが全く理解できませんでしたが、とにかく心地よかったです。いつまでも聴いていたいと思いました。そして、本当にびっくりしましたよ。神楽さんがその時に笑っていたんですよ。とても嬉しそうにね。
それから神楽さんは、よく音楽室に行って、ピアノを弾いていました。彼女のピアノの音は僕たちがいる教室まで届きます。放課後に帰るのを僕たちは少しだけ遅くして、彼女のピアノによく耳をすませていたものですよ。
やがて僕は彼女のことが好きになりました。小学生なりの恋愛感情ってやつですね。でも、神楽さんは僕のことを相手にはしません。僕が気をひこうとしても、毅然たる大人の態度で、切り返されるので、取り付く島はありませんでした。
でも、彼女の帰り道に、強引にいっしょに歩いていったことがあります。僕は羽茂方面からバスで川小へ通っていましたけど、彼女の家路は同じ方向だったんですよ。川小前のバス停でバスには乗らずに、神楽さんのうしろをじっと歩いてついていくのです。今にして思えば、ストーカーですよね。でも、当時の僕は真剣そのものでした。
神楽さんが振り返って、どうしてついて来るの、と訊ねます。僕は、身体を鍛えるために、ちょっと先のバス停まで歩くことに決めたんだ、と答えました。すると、神楽さんは、じゃあ勝手にすれば、と返事しました。それを何回か繰り返すうちに、ついに神楽さんが申し出てくれたんですよ。そんなについて来たければ、うちに来ない、ってね。まさに天にも昇らん心地でしたね。
それから、神楽さんの家まで、僕はついていきました。神楽さんの家は、川小から歩いて二十分ほどの場所だったように思います。わりと近いんですよ。川小へ通う児童はいろんな場所に家が点在していますから、そのたいていがバス通いでした。神楽さんと本間兄弟くらいかな。歩いて学校まで通っていたのは。
神楽さんの家には年配の女性がいて、神楽さんが男の子を連れて来たのを見て、驚いた表情をしていました。神楽さんは、同じクラスの友達よ、とあっさり告げて、階段を上っていきます。僕は頭を下げてから、神楽さんについていきました。でも、あとから聞いて驚いたのですが、てっきり神楽さんのお母さんだと思った先ほどの女性は、どうやら神楽さんのおばさんだったみたいです。神楽さんは、おじさんとおばさんの夫婦の家に住んでいて、ご両親がどうしているのかは、神楽さんは最後まで話してはくれませんでした。
神楽さんの部屋には、地球儀が置いてある勉強机と、ベッドがあって、小さな白の本棚には数冊の文庫本が並んでいました。壁に貼り紙は特になくて、子犬の写真がうつった月めくりカレンダーが、ポツンと掛かっていました。
神楽さんはあまり学校で話はしない子でしたけど、ときどき低学年の梢ちゃんが教室へやってきて、あどけない雰囲気で話をしたり、柊人君がさり気なく気を利かせて話しかけたりしていました。でも、僕自身は、教室の中では周りの目が気になってしまい、あまり話しかけることができなかったし、航太君は、例の一件で彼女から遠ざかってしまいましたから、二人の間にほとんど会話は交わされなかったように思います」
「先生たちとのやり取りはどうでしたか。その、神楽さんとのですけど」
鴇松の問いかけに、小杉は少し考えてから答えた。
「そうですね。神楽さんは基本的にドライなタイプで、成績も良く、特に問題をひき起こすような子ではありませんから、先生たちも手のかからない子供という感じで、特にトラブルとかはなかったと思いますよ。まあ、そうはいっても、市橋先生は、彼特有の熱血ぶった言動に神楽さんがほとんど無反応だったので、なんとか気をひこうと、無理をしていたような気がします。もっとも、市橋先生に対する神楽さんの対応は大人でしたけど、むしろ、市橋先生の方が駄々をこねる子供みたいでしたね。その様子を見て、必ず航太君と柊人君が市橋先生をからかうので、しまいには、彼ら二人に市橋先生のげんこつが落ちて、それで一件落着って感じでした。
でもね、航太君や柊人君がちょっかいを出したのは、行き場を失って困惑している市橋先生に逃げ場を提供するための、彼らなりの機転だったと思いますよ。彼らの方がよっぽど道理が見えていたってことですかね」
「なるほどね。あなたのお話しから当時の川茂小学校の様子が目に浮かんできますよ。ところで、小杉さん、あなた、四月十一日の午後ですけど、どこで何をされていましたか」
「四月十一日ですか。それはまた、だいぶ前のことですよね」
「ええ、土曜日です」
「それって、もしかして、市橋先生が殺された日ですか。まさか、この僕が先生を殺した犯人として、警察から疑われているのですか」
「いえ、そういうことではありません。でも、お話をうかがった方には必ず確認を取っております」
いつもの台詞であるが、さりげなく鴇松が返した。
「そうですか。十一日の土曜日ですね。ああ、そうか……。
刑事さん、その日でしたら、僕には岩のように動かせざる鉄壁たるアリバイがありますよ」
突然、開き直ったかのように、小杉悠二がうなずいた。
「ほう、どんなアリバイですか」
「いやあ、偶然だよなあ……。その日は梢ちゃんが、ああ、川茂小学校でいっしょだった臼杵梢さんのことですけど、この店へ来ていましてね。彼女といっしょに、ずっとこの店にいましたよ。嘘だと思うなら、梢ちゃんに聞いてみてくださいよ」
臼杵梢が市橋殺しの犯行時に、ここ喫茶マジョルカにいた――。
想定外の小杉の発言に、鴇松と烏丸は思わず顔を見合わせていた。
「たしか市橋先生が殺されたのは、水津でしたよね。その時に、僕はここ赤泊にいたわけですから、僕に市橋先生を殺すことは、絶対にできません!」
小杉が得意げに主張する。
「しかしですな、小杉さん。あなたと臼杵梢さんは幼なじみの間柄ということですよね。だとすると、二人で口裏を合わせて嘘を騙っている可能性も、否定はできませんね」
まるで取って付けたようなアリバイだけに、鴇松は小杉へわざと揺さぶりをかけてみた。
「そ、そんな。僕と梢ちゃんがグルだなんて……。刑事さん、それは考え過ぎというものですよ」
小杉が予想以上にうろたえていた。案外、分かりやすい性格のようだ。
「そ、そうだ。夏帆ちゃんがいる。刑事さん、夏帆ちゃんもその日僕たちといっしょにこの店にいたのですよ。今から夏帆ちゃんに聞いてみましょうよ。さあ、いっしょに来てください」
小杉悠二は、店内で仕事をしているアルバイトの高校生、鈴木夏帆のもとへ、鴇松と烏丸を連れて行った。
「夏帆ちゃん、ちょっといいかな。ここにいる刑事さんたちに、夏帆ちゃんから説明をしてもらえないかなあ。
先々週の十一日の土曜日のことだけどさ。僕はたしかにこの店にいたよね」
突然、マスターが血相を変えてやって来たものだから、アルバイトの鈴木夏帆はやや当惑した様子だった。
「マスター、いきなり先々週の土曜日といわれたって、私、よくは覚えていませんけど」
「そんなあ、夏帆ちゃん、大事なことだから、思い出してよ。お願いだからさあ」
「でも、土曜日だったら、マスターはいつも仕事をしていますよね。きっと、その土曜日だって……」
鈴木夏帆があいまいな返事をした。
「ああ、そうだ、夏帆ちゃん、たしかその日は用事があるからって、早く切り上げたじゃないの。ほら、四時少し前にさ。そのあとで、彼氏とデートでもしていたんじゃないのかなあ?」
小杉悠二が必死になって思い出させようとしている。
「ああ、私が早番で帰った日ね。思い出した。でも、マスター。お言葉を返すようですけど、私、高校を卒業するまで彼氏は作らないって決めてるんです。その日は、友達と会う約束をしていたから、早く切り上げただけです」
童顔丸顔の夏帆が、頬を膨らませて反論をした。
「ということは、十一日の四時頃にマスターさんがこのお店にいらしたことを、あなたははっきりと覚えていらっしゃるのですね」
鴇松が割り込んで確認をせまった。
「ええ、そうですよ。でも、私よりもマスターの方がずっと怪しいんです。だって、私がお店を切り上げた時に、お店には女性客が一人いました。最近時々顔を見せる、女優さんみたいにとってもきれいな人なんですけど、マスターとはちょっとした知り合いだそうで、その日もマスターったら顔を真っ赤にしながら、でれでれとその人に話しかけていたんですよ。私、しっかりと目撃していましたからね。私がいなくなってから、マスター、その女の人となにをしていたんですか。逆に、報告をしてもらいたいわ」
鈴木夏帆がこっぴどくやり返す。小杉はたじたじだ。
「すみません、お嬢さん。そのお店の客としていらした女性ですが、この方ではありませんか」
烏丸がスマホを取り出して、臼杵梢の画像を見せた。
「ああ、この人、この人。ねっ、すっごい美人でしょう?」
そういって、鈴木夏帆が梢の画像を指差す。
「ありがとう。それでは、お仕事をお続けください」
鴇松はアルバイトの高校性を解放した。再び外へ出ると、鴇松は、再度小杉へ質問を継続した。
「それで、夏帆さんが帰宅をしてから、臼杵梢さんと二人切りで、あなたはいつまでお話しをされましたか」
「一時間ほどは話をしていましたかねえ。夏帆ちゃんもいっていましたけど、実際に、僕にとっては、梢ちゃんと二人きりになれる千載一遇のチャンスでした。いえ、それについては否定はしませんよ。
思えば梢ちゃんがしとやかになったのは、神楽さんと出会ったことにあるのかもしれません。神楽さんが川小へ来る前は、梢ちゃんは元気で活発な女の子で、どちらかといえば、木に登ったりして遊んでいるような子供でしたからね。でも、神楽さんが来てからは、彼女と話を交わしているうちに、何か考え方が変化したというか、神楽さんの真似をしようと思ったんじゃないですかね。それからですよ。梢ちゃんが髪を伸ばすようになったのは。
でもね、刑事さん、残念ながら、見事に玉砕しましたよ。僕は話の途中で、梢ちゃんに結婚を申し込みましたけど、速攻で振られてしまいました」
小杉悠二が正直に告白をした。
「それは、梢さんにはもうお相手がいらっしゃるということですか」
「さあ、それはどうか分かりません。とにかく、僕にふさわしい女性ではないからと、もっともらしい理由を付けて丁重に断られました。僕にふさわしいかどうかなんて、梢ちゃんが決めることではないのですけどね。まあ、女性ならではの気遣いがなれさた言い訳とでもいったところでしょうか。ですから、直後の数日間は、僕は相当に落ち込んでいたんですよ」
「臼杵さんとは、ほかにどんなお話をされたのですか」
「計良先生が殺される前に、僕たちに手紙をよこしたんです。でも、その内容がちょっと変でしてね。僕たちの中に平成十四年の六月十日の出来事に関与した『悪い子』がいる。これからその子をあばき出すつもりだ、なんてことが書かれてありました。もちろん、その出来事とは、神楽さんが自殺したことです。
でも、その手紙を投函した直後に、計良先生自身が殺されてしまったわけですよね。
僕と梢ちゃんは、その手紙に関して色々意見を述べ合いました。僕は、計良先生が手紙を出したことがきっかけとなって、先生が殺されてしまったのではないかと意見しましたが、梢ちゃんは、あの手紙を書いたのがそもそも計良先生ではなかったのではないか、と主張しました。とはいえ、はっきりとした根拠が見つかるわけもなく、議論はそこで終わってしまいました」
小杉は右手に手にしたグラスの水を一気に飲み干した。それから、思い出したように一言を付け足した。
「だってそうじゃないですか。よりによって僕たち川茂っ子の中に、悪い子なんかいませんって……。
そうですよ、刑事さん。絶対に……」