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佐渡島連続殺人事件  作者: iris Gabe
出題編
24/35

23.恩師の葬儀にて

 市橋斗馬の葬式が行われている会場ホールの入り口付近に、プロレスラーのような図体をした強面こわもての男が立っていた。佐渡警察捜査一課所属の巡査部長、烏丸からすまる千陽ちひろだ。いつもは鴇松警部補とコンビを組み、捜査に携わっていた烏丸であるが、今日は一人ぼっちだ。鴇松はというと、昨晩急に熱を出して、今は寝込んでいる、との連絡がスマホに入っていた。連日の捜査で溜まり募った疲労が、火山のごとく一気に噴き出した、とでもいったところか。

 たしかに、鴇松は頭が切れるし、温厚で人当たりもすこぶる良く、尊敬に値する人物であるが、今回の事件が未解決状態のまま、依然として捜査が難航している現状を考えると、彼に全面委任をしていても、もしかしたら事件の早期解決には至らないではないか、との疑念が、どうしても脳裏をかすめてしまう。ここはひとつ、自分が起死回生、八面六臂はちめんろっぴの活躍をせねばならぬと、烏丸はひとり、いきり立っていた。それに、今回の事件は佐渡で起こったのだから、最終的に真相を解明できるのは、佐渡出身者でなければならない、とも烏丸は感じていた。だからこそ、今は会場を行き交うあまたの人々に、目を光らせているのだ。ひょっとしたら、この人だかりの中、犯人がのうのうと歩いているかもしれない。

 烏丸がとりわけ注意しているのは、川茂小学校の出身者たちである。事件の被害者、本間柊人、計良美祢子、そして、市橋斗馬は、いずれも川茂小学校に関連していた。そして、川茂小学校に絡んだ人物といえば、若林航太、臼杵梢、金子亨、そして、本間桃佳ということになる。果たして、この四人の中に、狡猾な真犯人はいるのだろうか。

 心情的に最もあやしい人物といえば、若林航太ということになろう。しかしながら、計良美祢子殺害時に、彼には鉄壁のアリバイが存在する。佐渡の沢崎鼻灯台で犯行が行われているさなか、彼は海の向こうの新潟市にあるラブホテルで泊まっていたのだ。ならば、計良美祢子の殺人だけは、別の人物が行った犯行なのだろうか。いやいや、それはあり得ない。なぜならば、第一の事件である本間柊人の殺害は、警察の慎重なる配慮の下、マスコミに捜査の詳細はいっさい秘密にしていたはずだから、報道も単なる変死事件として扱ってしたし、鬼の面をかぶった不審な人物の存在や、遺体のそばにそっと置かれた謎のリコーダーのことを、世間の人たちはなんら知る由がなかったわけである。一方で、第二の計良美祢子殺害事件では、鬼の面をかぶった謎の人物が横行していたし、リコーダーも崖の上へ置いてあった。これは、第二の犯行を行った人物が、第一の犯行の詳細を熟知していなければなせない離れ業であって、そんなことが出来るのは、第一の事件の犯人以外にはあり得ない、というわけだ。

 しかしながら、その推論を換言すれば、第二の犯行を行えなかった若林航太は、必然的に、第一の犯行もしていなかった、という結論が導かれてしまうのである。

 ならば、犯人は臼杵梢だろうか。細身で清楚な、ギリシャ神話の女神を彷彿させる、実に美しい女性である。一見か弱そうな彼女が、果たして冷酷無残な連続殺人事件の犯人となり得るだろうか。第一の殺人は可能だと思う。彼女の美貌を持って本間柊人に迫れば、たとえ普段は冷静沈着な本間柊人といえど、いくらかの隙もできよう。ならば、計良美祢子の殺害はどうだ。結論は可能だ。臼杵梢は、本間柊人の通夜の日に、計良美祢子と会っていた。つまり、最近になって、二人の間には接触があったことになる。臼杵梢が計良美祢子を犯行現場である沢崎鼻灯台までだまして誘い出すことは、十分にあり得る話である。だが、第三の犯行となった市橋斗馬殺しが問題だ。この事件で犯人は、屈強な市橋斗馬と互角に格闘をしたのちに、鉈を市橋の脳天に叩き下ろしているのである。こんな残酷な仕打ちが、果たして女性にできるものだろうか。いや、何か想像を絶する怨恨があれば、女性でも残忍になれるかもしれないが、体力的に市橋と格闘したところで、勝てるはずもない。たとえ、市橋がぐでんぐでんに酔っぱらっていたとしてもだ。検死の結果、市橋の体内からは相当量のアルコールが検出されているが、四肢の自由を奪うほどの強力な睡眠剤や薬物等は、何も検出されなかった。市橋殺しが臼杵梢の細腕で出来る業でなかったのは、明白である。

 同じ理屈が。本間桃佳にも当てはまる。臼杵梢も、本間桃佳も、女性としては背が高い方だから、鬼の面をかぶれば、姫崎灯台で市橋斗馬を殺した鬼に扮していても、矛盾はないのだが、やはり、市橋斗馬と対等に格闘したことが、問題となるのだ。とても、女性ができる業ではない。つまり、本間桃佳も犯人でないことになってしまう。

 そもそも、鬼と市橋斗馬は、本当に格闘をしていたのだろうか。この点に関して、烏丸は大いに疑問を抱いていた。というのも、事件の目撃者であった四人の大学生のうち、格闘をしていた、とはっきり証言したのは、関口櫂という男子学生だけなのだ。他の三人は、その点に関してはノーコメントであった。さらには、この関口という学生であるが、いくぶん、調子に乗って話を誇張する性格であるように、職業柄なんとなくだが、烏丸は感じ取っていた。

 すでに意識を失っていた市橋斗馬を、犯人はうしろから羽交い絞めにして、身体を揺さぶりながら、あたかも格闘しているかのように装って、それから無抵抗であった市橋斗馬の脳天を叩き割り、手すりから真下の地面へ突き落したのではなかろうか。この可能性は十分に考えられると、烏丸は思っていた。しかし、そうだとしても、この犯行を女性が行うのは、やはり無理があると結論付けざるを得ない。市橋の身体を抱きかかえて、振り回し、肩の高さくらいもある手すりの上まですんなりと持ち上げて、放り投げる芸当をするためには、やはり男性並みの体力が要求されるからだ。

 以上の推論に間違いがなければ、消去法により、――不可能を排除していけば、いかにありそうになくても、残ったものこそが真実である――、とかの名探偵シャーロックホームズもいっていたではないか、今回の事件の犯人は、金子亨ということになってしまう。

 しかし、そうだとすると、動機はいったい何なのだ。それに、なんのために犯行現場を灯台に限定したうえで、わざわざリコーダーを置いていったのだ。金子亨がそんな面倒なことをする用意周到な人物だとは、少なくとも、これまでの彼の証言を総合すると、とうてい思えない。


 恩師の葬式に、川茂小学校にいた当時の児童たちは、果たして、誰が来て、誰が来ないのか。烏丸巡査部長は、絶えずそれを気にしていた。

 若林航太はどうやら姿をあらわさないようだ。代わりにこれ見よがしの献花が、でんと置かれている。

 金子亨がそこにいる。きょろきょろと辺りを見回しながら、焼香を済ませると、遺体との対面はせずに、さっさと引き上げていった。相変わらず挙動不審な人物だ。烏丸にとって、金子亨は真犯人のド本命であるのだが、ここで呼びかけて尋問をしたところで、得る物は何も無さそうに思われた。まあ、鴇松もいないことだし、このタイミングでの軽率な行動は控えるべきであろう。

 臼杵梢と本間桃佳の二大美人は、ともにまだ姿を見せてはいない。臼杵梢は、律儀そうな感じがするから、こういう場にはまっ先に姿をあらわしそうに思われるのだが。

 すると、ホールの入り口から現れたのは、本間桃佳だった。黒のワンピースを身にまとっているから、弔いの意思表示はしているものの、いかんせん、スカート丈が、膝がギリギリ隠れる程度の長さまで切れ上がっているため、喪服姿でありながら、場内にいるあまたの男たちの視線を、なにげに惹き付けてしまうファッションでもあった。まあ、若々しいといってしまえばそれまでだが、それだけ桃佳が魅力的な女性であるということに間違いはない。

 桃佳は、まず市橋斗馬の妻である小田心愛のもとへ行き、軽く挨拶をすると、とたんに、心愛が感極まって泣き出したので、彼女を優しく抱き留めた。すると、母親が泣き出したのを心配したのか、心愛の二人の子供たちも、桃佳の足元にべたべたとまとわりついてきたのだが、桃佳は一向に嫌がる素振りも見せずに、子供たちがしたいようにさせていた。

 心愛がいったん落ち着くと、桃佳は行列へ加わって、焼香を済ませたが、焼香をしている時も、遺体との対面の際にも、いっさい、涙を流すことはなかった。

 それから、小田心愛としばらく言葉を交わしたのち、帰り支度を整えて、本間桃佳は会場の出入口まで戻ってきたのだが、その戸口には、腕を組みながら仁王立ちする烏丸の姿があった。

「お待たせしました――」

 桃佳は、烏丸の前で立ち止まると、なにやら皮肉めいた言葉を唱えて、挑発をするかのようににっこりと笑った。まあ誰だって、殺人事件に関して、警察関係者となんか話したくもなかろうが。

「あら、今日はお一人? もう一人のお連れさんはいらっしゃらないみたいね。この会場で刑事さんが待ち構えていらっしゃるのは、だいたい察しが付いていたのよ。だって、うちの店長がね、ええと、小木の土産みやげ売り場の店長のことだけど、私が熱を出している最中から、電話越しに、気を付けろ、気を付けろって、口やかましくまくし立ててね。パパよりもずっとしつこいのよ、あの店長は」

 そういって桃佳は、ふんわりとした栗毛色のショートボブヘアを、軽くかき上げた。無意識の行動であろうが、間近にいる男性にとっては、ついついそそられる仕草である。

「熱の方は、下がったのですね」

「ええ、まあね……」

「それは良かった。ところで、あなたに少々お伺いしたいことがありましてね。市橋斗馬先生がお亡くなりになった四月十一日のことですが、あなた、あそこにおられる小田心愛さんのご実家で、たしか月布施にあったように思いますが、彼女とお会いしましたよね」

「ええ、そうよ。久しぶりだったから、とても懐かしかったわ」

 桃佳は、悪びれる様子もなく、すまし顔で答えた。

「たしかその日は、お仕事の勤務日だったとうかがっておりますが」

「そうね。あの日は水津のお祭りで、心愛から久しぶりに会わないか、と誘われたんです。ああ、いちおう年休は取りましたよ。まあ今の時期だったら、お店もそんなに忙しくないしね」

「そうですか。水津祭りは存分に楽しめましたか」

 桃佳と肩を並べて歩きながら、烏丸が訊ねた。二人はすでに葬儀場の建物から外へ出ていた。今日は晴天が広がる、とても心地の良い日である。

「ええ、それはもう。だって、市橋先生が鬼の面をかぶって踊るのよ。おかしいったら、なかったわ。あら、ごめんなさい。そういえば先生はもう故人だったわね」

 そういうと、桃佳は、少しだけ申し訳なさそうに、顔をうつむけた。

「でもね、刑事さん。知ってる? 心愛はね、本当のことをいうと、市橋先生の教え子だったのよ。松ヶ崎小学校で心愛の六年生の担任が、市橋先生だったんですって。なんでも、心愛が高校生の時にバイトをしていた喫茶店に、市橋先生がたまたま訪れたのがきっかけらしいわ。まさに禁断の愛よね。あーあ、憧れちゃうな」

「教師と教え子が結婚をするって、そんなに珍しいですかね」

「いやだ、刑事さん。常識的に考えてよ。絶対にあり得ないわ。だって、市橋先生は四十三歳でしょ。心愛と年の差が十九もあるのよ」

「なるほど。すると、桃佳さんなら、どのくらいまで許されるのですか。そのお、ご結婚相手としてですけど」

 話の流れに任せて、本末転倒といわれても仕方のないことを、思わず聞いてしまった烏丸は、腹の中で大いに後悔していた。

「私? そうねえ。私なら、五歳までかなあ。それ以上はまず無理ね」

 その答えを聞いて、烏丸は少し肩を落とした。本間桃佳は、小田心愛と同じ年齢なのだから、つまりは二十四歳ということになる。一方で、烏丸は三十二歳である。

「それにさあ、どうにも計算が合わないのよね。刑事さんは気が付いたかしら」

 烏丸の思考に気付く様子もなく、桃佳はいたずらっぽい表情で、烏丸の顔を、下からのぞき込んできた。

「何の計算が合わないのですか」

 反射的に、烏丸は顔を赤らめた。

「なんでも、先生と心愛は、心愛が佐渡中央高校を卒業した翌日に、籍を入れているという話じゃない。私はその事実を高校を卒業してから一年後に知ったんだけどね。つまり、先生と心愛が入籍してから、今年で六年目。間違いないわよね。そして、心愛の上の子供の蓮斗れんと君が、今は五歳だけど、彼の誕生日が七月なのよ。

 どう、分かったかしら。

 そうよ。心愛と市橋先生は『できちゃった婚』だったってわけ。だから、もしも二人が結婚しなかったら、市橋先生は懲戒免職ものだったってことよ。ねえ、おかしくない?」

 そういって、桃佳はくすくす笑い始めた。その時だった。遠くに見える山すそを、白いさぎのような鳥が、群れを成して飛んでいった。

「あら、刑事さん。あれって朱鷺ときじゃない? わー、素敵。私、初めて見たわ」

 子供みたいに桃佳がはしゃいだ。その様子を見て、目を丸くする烏丸に気付いた桃佳は、少し顔を赤らめて言い訳をした。

「あら、ごめんなさい、刑事さん。おかしいでしょ。生まれてこのかた、ずっと佐渡に住んでいるのに、私ったら、朱鷺を見たことがないのよ。小木の方へはなかなか飛んでこないから」

「そうですね。朱鷺が主に解き放たれているのは、ここ国中平野ですからねえ」

 烏丸が優しく応じた。

「ところで、心愛さんのおうちでしばらくお話をされてから、あなたは帰宅されましたけど、その時刻がいつだったか、覚えてはいませんかねえ」

「さあ、いつだったかしら。三時くらいまではしゃべっていたような気がするけど」

「それから、あなたはどうされましたか」

「ええと、どうしたんだっけ。ああ、思い出した。私ね、心愛の家を出たあと、津神つがみ神社へ行ったのよ。姫崎灯台のちょっと先にあるんだけど、赤い架け橋が掛かっていて、なかなかきれいな神社よ」

「どうして、そこへ行かれたのですか」

「えっ、どうしてっていわれても、特に理由なんかないわ。だって、久しぶりに水津までやって来たら、誰だって立ち寄ってみたくなるんじゃないかしら」

 確かに、水津地区といえば、姫崎灯台か津神神社が象徴的なランドマークである。

「姫崎灯台へは行かなかったのですか」

「ええ。行かなかったわ」

「どうして?」

「どうしてっていわれたって、そんなの答えようがないじゃない。たまたまの気まぐれよ。

 あっ、そうだわ。もし私がその日に姫崎灯台へ行っていたら、市橋先生の殺害現場を目撃していたかもしれないわね。あはは」

 何も考えずに、思ったことを口にしたようだが、それに対して烏丸が黙っているので、本間桃佳も少し違和感を抱いたみたいだ。

「どうやら、私が犯人として疑われているみたいね。刑事さん。まあ、無理もないけど。

 だとしてもね、私がこの犯行をするのは、土台無理な話なのよ」

 物怖じすることなく、桃佳が堂々といい返した。

「なぜですか?」

「だって、犯人は市橋先生と格闘してから、先生を灯台の真下へ突き落したみたいじゃない。

 だから無理なのよ。ええ、先生と互角に格闘するのが無理といっているわけじゃないのよ。たとえ、私が女でも、相手がぐでんぐでんに酔っぱらっていれば、話は別だわ。それに、こっちが武器を持っているんだったら、戦えないことはないと思う。

 でもね、犯行が灯台の手すりの上で行われたっていうじゃない。だから、私には無理なのよ。だってさ、刑事さん。私、高所恐怖症なんだもん」

 想定外の本間桃佳の主張に、烏丸は拍子抜けをした。

「あなたは高所恐怖症なのですか」

「ええ。生まれてこのかた、生粋のね」

 みずからを高所恐怖症だと説明したところで、犯人でない証拠とは全くならないわけだが、逆に烏丸にはこの一言で、本間桃佳が犯人でありそうな気持が、すっかりふっとんでしまった。

 烏丸にはもう一つだけ、本間桃佳に訊いてみたいことがあった。でも、鴇松がいないことだし、もしもこの質問が空振りに終わってしまえば、鴇松から叱咤されてもいた仕方ない内容であるのは重々承知だが、もう我慢の限界だ。それに、桃佳がさほど警戒心を抱いていない今こそが、訊き出す千載一遇のチャンスなのかもしれない。

「ところで、桃佳さん。前々から気になっていたのですが、弾崎灯台でお兄さんのご遺体をご覧になって、お兄さんを殺した犯人にどなたか心当たりがありませんか、と我々が問いかけた時、たしか、あなたは、『それならきっと……』と、とっさにご返答をなされました。その時のあなたは、いったい誰を犯人だと思われていたのでしょうかねえ」

 本間桃佳は、一瞬、眉を吊り上げたが、すぐにもとの笑顔を取り繕った。

「まあ、刑事さん。そんな細かいこと、よく覚えていたわね。ええ、たしかに私はそういいました。否定はしません。でもね、刑事さん。それはもう忘れてちょうだい。私の軽はずみな発言だったのよ」

「そうはいわれましても、犯人の早期逮捕のためにも、どんなことでもかまいません。今は手掛かりが一つでも望まれる段階なのです。どうか、お考えになっていたことを、ここでお教えいただけないでしょうか」

 桃佳が大きくため息を吐いた。

「負けたわ。あの時、お兄ちゃんを殺した犯人を、なぜか私は、臼杵梢だと思っただけなのよ。でも今は、冷静に考えてみて、その推理に何の根拠もなかったことを自覚しているわ」

「でも、どうしてまた、臼杵梢さんがあやしいと判断されたのですか」

 烏丸の追求に、少し向きになったのか、桃佳の語調が強くなった。

「だって、あの女はお兄ちゃんの人生を台無しにしたのよ。恨んでも恨み切れないわ」

「お兄さんの人生をですか……。いったい、臼杵さんが何をしたのですか」

 見た感じ清楚で人畜無害な臼杵梢が、本間柊人の人生を台無しにしていたなんて、烏丸はにわかには信じられなかった。

「お兄ちゃんは、小学校時代に臼杵梢のことが好きだったのよ。ええ、それは認めるわ。でも、川茂小学校が廃校になると、お兄ちゃんは羽茂中学校へ進み、梢は赤泊中学校へ進学するから、二人は離れ離れになってしまったの。同じ小学校だったのに、変でしょ? でも、中学生になっても、お兄ちゃんは梢のことが忘れられなくて、ずっと想いを抱き続けていたのよ」

「そのお、お兄さんがみずからそうおっしゃったのですか」

「いいえ、お兄ちゃんはその手の愚痴をこぼすような人ではないわ。でもね、見れば分かるのよ。だって、私はお兄ちゃんのたった一人の妹なんだもん」

「なるほど、そうでしたか。お話しをお続けください」

「お兄ちゃんは、高校へ進学する時にも、悩んでいたわ。お兄ちゃんの学力なら、本土にある新潟第一高校へ入学してから、東京大学へ進学することだって、できたのよ。だって、川小でお兄ちゃんより成績が悪かった若林航太でさえ、それができたじゃない。お兄ちゃんにしてみれば、きっと、たやすいことだったはずよ。だけど、お兄ちゃんは新潟第一じゃなくて、佐渡中央高校を選んだ。佐渡島の中では、唯一、大学への進学が可能な高校だけど、さすがに全国屈指の難関大学への進学となると、どの先生もそこまでは教えてくれないから、いくらお兄ちゃんだって、地元の地方大学への進学で、妥協をせざるを得なかったのよ。でも、若林航太が東京大学へ進学したことを知らされた時には、お兄ちゃんは口には出さなかったけれど、さすがにちょっとだけ悔しがっていたわ」

「でも、東京大学へ進学をしたかったのなら、そのような受験指導をする体制の整った新潟第一高校へ進めば良かったのではないですか」

「だから、お兄ちゃんは大学よりも、臼杵梢と一緒になるチャンスを選択したのよ。可哀そうなお兄ちゃん。臼杵梢が進学する高校は、彼女の学力から判断して、佐渡中央高校であろう、ってお兄ちゃんは考えたの。閉校間際の川小って、児童数が圧倒的に少なかった分、どの生徒もしっかり面倒が見てもらえて、みんな学力がそこそこ高かったわ。だから、臼杵梢が進む高校といえば、佐渡中央高校しかあり得ない、というわけ。でもさあ、とんだお笑い種じゃない。臼杵梢が進学したのは、どこだったと思う? まさかの、ハモ高よ。うちからすぐ近くにあるね。こういっちゃなんだけど、誰でも入れる学校じゃない。あーあ、赤泊中学で、臼杵梢さまはいったい何をお勉強なされていたのでしょうね」

 なるほど、そんな理由で本間桃佳は臼杵梢のことを嫌っていたんだ。ブラコンの桃佳にしてみれば、親愛なるお兄さんのエリート人生を、奈落の谷のどん底へ叩き落した臼杵梢は、いくら恨んでも恨み足りない仇敵、といったところなのだ。それにしても、とんだ逆怨みもいい話である。

 本間桃佳の帰宅を見送ったのち、烏丸は再度葬式場へ戻って見張りを継続したが、臼杵梢は最後まで恩師の会場へ姿をあらわすことはなかった。

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