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あの音を、もう一度。  作者: 真崎将生
車輪の音
40/51

第40話 垣間見えたもの

 





 大型犬と聞いて真っ先に思い浮かんだのは陸斗の顔だった。

 早川が僕に、公園で拾った犬を見せてくれると言う。どうしてそんな気になったのかはわからなかったけれど、早川が今にも笑い出しそうな顔をしてそんなことを言ったから、とりあえず行ってみようという気になった。


 ブラスバンドの演奏会の途中、暑さにやられたのか三上咲希がふらふらと体育館を出て行った。演奏会の後のホームルームのときに先生から、気分が悪くなったから早退したと聞かされた。

 この学校の体育館はどうにも風通しが良くない。まだ昼前だというのに強い日差しを浴びた屋根が熱せられて、中はどんどん蒸し暑くなる。

 三上咲希のことは苦手だけれど、早川と話をするためとはいえ静かにしろと追い払った手前、少し気にはなった。


 教室を出て玄関に下りたら、早川が校舎に背中を向けてポケットに手を突っ込んで突っ立っていた。金髪が風にふわふわと揺れて触れたら気持ち良さそうで、思わず後ろからそっと近付いて、背伸びをしながら手を伸ばしてしまった。面食らった早川は振り返って僕の顔を見る。なんだよ、と大きな目を細めて人懐っこく笑った。なんだ、こんな顔も出来るんじゃないか。


「じゃあ行くか」

「うん」


 早川はさっさと前を歩き出して、昨日と同じように自転車の後ろに乗れと僕を促した。遠慮無く後ろに座って早川のシャツを掴んだ。ぐい、と後ろに引っ張られるような感覚がして、自転車は進みだす。


「三上さんが」

「あ?」


 今日は風が強い。後ろから話しかけても聞こえないと思ったけれど、意外と耳が良いみたいだ。早川は返事をしてから、一度自転車を止めた。それからポケットのサングラスを取り出してかけた。色素が薄いから目が弱いのかもしれない。でもなんだか制服にサングラスは、わりとシュールだ。


「三上さん、早退したって」

「あー。いい気味だよ。あいつ血の気が多いくせに貧血だって」

「貧血。そんなこといつ知ったの」

「え? えっと……まあいいだろ。てか、あいつ生意気」


 そう言ってから、早川はまた自転車のペダルを踏んだ。車道を走る車がどんどん僕らを追い越して行く。真昼の太陽が容赦なく降り注いで、アスファルトで熱された風は熱い。


「早川が、やくざと繋がってるって」

「ばかじゃねえの。こんな品行方正な中学生のどこにそんな影が」

「あはは。面白いよねえ」

「面白くはねえよ」


 面白くはないと言いながら、その声は笑っている。思ったより早川は、三上咲希のことを嫌いではないようだ。考えてみたらあのクラスで早川に話しかけているのは僕と三上咲希くらいだ。見たところ、色々言いながらも山下と他のクラスメイトとの垣根を取り払おうとしているようにも思える。早川はもしかしたら、それがわかっているのかもしれないと思った。

 やがて自転車は川を渡る。透明な風が髪を梳いて、思いきり息を吸い込んだ。


「いい風だねえ」


 思わず呟いたら、早川が、うん、と頷いた。

 橋を渡り終えた自転車は道路を横切りまっすぐに進んで、コンビニの前で止まった。早川はサングラスをポケットに仕舞って僕を顎で促した。どうやらそこで昼食を調達するつもりらしい。

 店に入って、早川はカゴの中に二人分のお弁当と、カップラーメンを四種類突っ込んだ。


「……一人でそんなに食べるの?」

「え? ああ、いや、は……犬がね。犬が食う」

「……そう。でも犬って味のついたもの食べないほうがいいんじゃなかったかな。僕おにぎりでも買おうかな」


 コンビニを出て更に進んで、途中で細い脇道に入る。すぐに大きな公園が見えてきて、そこで拾ったのかと聞いたら、早川は一瞬言い淀んで、そう、とだけ言った。


 早川の家は公園のすぐ側の、二階建てアパートの二階にある角部屋だった。早川は自転車を停めて、ここでちょっと待ってて、と言い残してから階段を上がった。その様子を見上げながら、おにぎりのついでに買ったお茶を開けて飲んだ。

 ペットボトルの蓋を閉めかけたとき、かばんを持った早川が困り果てた様子で下りてきた。僕の前までくると、首を傾げながらカゴの中に鞄を押し込んだ。


「どうしたの」

「なんか、朝ジュース買いに出てから戻ってないって。あいつ、足怪我してんのにどこ行ったんだろう」

「え? 足? 犬って、ジュース買えるの? 随分と賢い犬なんだね」

「何言ってんの? だってあいつお前に会うためにわざわざ……」

「え?」


 わざわざ、と言った後口を抑えて、黙り込んだ。きょろきょろと視線を泳がせて、気まずそうに苦笑いをうかべてみせる。


「え? 僕に会うために? 犬が? 意味分かんない。どういうこと?」


 犬に知り合いはいないはずだけど。そこまで考えて、あり得ない答えに行き着いた。息を呑む。早川は苦笑いの顔をかためたまま、自転車のカゴに押し込んだかばんに目をやった。もしかして、あのかばんは。


「……あの、まさかとは思うんだけど」

「うん?」

「犬って……陸斗?」

「……正解。会えるまで内緒にしとこうと思ったんだけど」


 早川はそう言って、気まずそうに笑う。

 どうして。何がどうなって今、陸斗なんだ。陸斗がこんなところに居るはずがないのに。


「なんで陸斗が? 僕に会いに来たの? どうして?」

「どうしてって……だから。お前を追って、ここまでやって来たんだってさ」

「足怪我してるって」

「散々歩き回ったみたいでさ。そこの公園で腹減って動けなくなってたとこを、拾ったんだよ」

「拾った……」

「そう、拾った」


 頭が混乱する。陸斗は、公園で拾われた。早川に。それで、僕を捜して歩きまわったから足を怪我して、動ける感じじゃなかったのに、どこかへ行ってしまった。


「ちょっと待って。ちょっと待って、だから、なんで陸斗は」

「だから、なんでとか俺は知らねえよ。お前に会いに来たって、捜してるって言ってたぞ」

「だって、僕は、だって」


 ――僕はどこかで。

 僕はどこかでほっとしていたんだ。もう陸斗に会うこともなくなれば、こんな気持ちもいつか消えてくれると思った。会いたいと思うけれど、会えばまた、離れたくなくなる。

 簡単には会えない距離に居れば、僕は陸斗をただの兄弟として見ることができる日が来るかもしれないと、どこかでそう思っていたのに。


「……もしかして、会いたくなかった?」


 早川はそう言って、僕を覗き込む。困惑した表情を見せて、ぽりぽりと頭を掻いた。


「それだったら俺、適当に陸斗見つけて適当に家に帰すから……」

「違うよ、会いたくないわけないじゃん。違うって。そうじゃなくて」

「じゃ、取り敢えず後ろ乗って。捜そう」


 早川は自転車に跨って、顎で僕を促した。


 なに考えてるんだよ、陸斗。どうしてこんな所まで来たの。どうして。

 考えれば考えるほど訳がわからなくなって、がたがたと揺れる自転車に合わせて揺れる空が、重く重くのしかかった気がした。





 

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