第34話 噂の金髪
「水本優です。よろしくお願いします」
新しい学校の新しい教室に案内されて、担任に促され教壇の前に立ち挨拶をした。こんな時期の転校生は珍しいのか、にわかに教室がざわめく。心なしか女子の黄色い声が多い気がする。ざっと見回したところ女子も男子も同じ数ほど居るように見えるけれど。
ぐるりと視線を巡らせると、一人の男子と目が合った。やけに目立つ金髪で、学校指定の白いシャツの下に派手な色のTシャツを着込みネクタイのかわりに長いネックレスを下げている。腕組みをして鋭い眼光で僕を見ていた。
「水本。早川には気をつけろよ」
まだ二十代前半に見える担任が声を潜め、そう耳打ちする。思わず顔を上げたら、そのときにはもう担任は僕の座る席を指差して、そこの席を使って、と言ってにっこりと笑った。なんだか気持ちの悪い教師だ。
指定された空いている机に荷物を置いて椅子に座ると、さっき僕を見ていた金髪の男子はもう机に突っ伏していた。
「ね、どこから来たの? 可愛いって言われない?」
「え、別にそんなこと」
「嘘! 絶対可愛いって! あ、ごめんね、男の子に可愛いって失礼か!」
左隣の席に座った、髪を後ろでひとつに纏めて三つ編みにした、いかにも真面目そうなルックスの女子がそう言って手を合わせる。別に可愛いと言われて悪い気はしないけど、妙に高いそのテンションに若干引いた。
「私、三上咲希、よろしくね。このクラスの委員長してるの」
「あ、うん。よろしくね」
三上咲希と名乗ったその女子は僕のほうに右手を伸ばす。仕方なく握手して愛想笑いをしてみせたら、三上咲希の頬が一気に赤く染まった。
「可愛いわ、これは」
三上咲希はそう言って両手で顔を隠すと、ばたばたと数学の教科書とノートを机の上に置いてにやけながら前を向いた。なんていうか、テンションについていけない。
教室の前にある日課表を見て、昨日制服と一緒に小西さんが届けてくれた教科書を取り出す。まだ名前を書いていなかった。筆箱からサインペンを取り出して名前を書きながら、陸斗のことを思っていた。
小学生のときは、六年生に進級すると同時に名前を書き換えた。大内という母の姓に縦の二本線を書いたときの気持ちはきっと一生忘れることが出来ないんだろう。水本、と書く手が震えた。僕が僕でなくなる気がした。
父の、離婚することになるという言葉が本当なら、次にその気持ちを味わうのは陸斗だ。水本という姓に二本線を書き、陸斗はどんな気持ちになるんだろう。できることならあんな悔しさは味わって欲しくなかった。
朝のホームルームが終わるチャイムが鳴ると同時に、僕の机の周りにはたくさんのクラスメイトが集まってきた。これは面倒だと辟易して、トイレに行ってきますと席を立って教室を出た。廊下に出たところで、例の金髪とぶつかってしまった。僕が前を見ていなかったせいじゃない。金髪が誰かと話しながら後ろ向きに歩いてきたんだ。
「あ、ごめん」
僕が悪い訳じゃなかったけれど、思わず謝った。金髪はゆっくりと振り返って僕を上から下まで舐め回すように眺めてから、ふうん、と言った。近くでよく見ると目の色が薄い茶色だ。真ん中の瞳孔だけが目立つから目付きが悪く見えるのか。それに、背が高いから威圧感もあるような気がする。陸斗と変わらないくらいか。
金髪は僕の脇をすり抜け、そのまま廊下を歩いてどこかへ消えてしまった。
「あいつ、早川! あいつに目つけられたら大変だから、気をつけてね」
そう言って僕の目の前に再び姿を現したのは、三上咲希だった。そうか、あいつが早川か。でも、気をつけろって一体どういう意味だろう。
「気をつけろって、どう気をつけたらいいの」
「そりゃ! あいつはね、髪だってあんなだし、態度だって悪いし、陰で煙草吸ってるらしいし、やくざと繋がってるって噂なんだから! 関わるとろくなことないって!」
思ったことを素直に口にしたら、三上咲希はまくしたてるようにそう言って、得意気に腕組みをして早川の歩いて行った方向に勢いのあるため息を吐き出した。
「ええと……僕トイレに行きたかったんだ」
「あ、そうだったね。お手洗いはそこ真っ直ぐに行った左手にあるからね。気をつけてね」
満面の笑みでひらひらと手を振る三上咲希に苦笑いを浮かべてみせて、言われた通りトイレに向かった。
完全に苦手なタイプだ。トイレの手洗い場に入って蛇口を捻ってから、鏡の前で大きなため息が出た。僕はこの学校でうまくやっていけるんだろうか。
一限目から六限目までをどうにか熟して、帰りの準備を済ませる。早川のほうを見たら、相変わらず机に突っ伏してだるそうに過ごしていた。
このクラスの生徒は誰も早川には近付かない。休み時間には他のクラスから早川と似たような風貌の生徒が何人かやってきて、その光景をこのクラスの生徒は遠巻きに見てなにやらヒソヒソと噂をしていた。時折り早川は顔を上げ、クラスを見回す。僕と視線がぶつかると、一瞬だけ目を細くしてすぐに向こうを向いた。
ホームルームを終えて教室を出ようとする僕に、また色んな生徒たちが話しかけてくる。部活に入らないかという声が多かった気がする。運動は苦手なんだと言い訳をしたら、こんどは文化部の勧誘が始まった。絵も楽器も写真もあまり興味はないと告げて、なるべく感じが悪くならないようににっこりと笑いながらお断りすると、集まった生徒の何人かが頬を染めて、無理には誘わないよ、と快諾してくれた。
やっとの思いで解放されて玄関を出たら、視界の端に自転車置き場が映って、そこで何かやっている早川を見つけてしまった。
僕が利用する学校の正門から出るには、自転車置き場を通って行くルートがいちばん近い。どうしようかと思いながら早川の後ろを通り過ぎようとしたら、早川が突然大きな声をあげて自転車を蹴り飛ばした。
「……!? なにやってんの」
思わず声が出た。一台一台車輪止めがついている自転車置き場は早川が蹴り飛ばしたところで他の自転車が倒れる事はなかったけれど、早川はそれでも構わず自転車を蹴り続けていた。意味がわからない。一体どうしたっていうんだろう。
「……あの、もしかして自転車が引っかかってんの?」
「あぁ!? なんだお前!」
早川が蹴っている自転車はどうやら早川のもので、車輪止めにスタンドが引っかかってしまっているらしかった。だからって蹴ったところでどうにもならないのに。
「これ、ここをちょっと戻してから引っ張ったらいいんじゃないかな」
憤慨している早川をどけて、自転車のハンドルを握る。少しだけ前に戻して後ろに引っ張ったら、いとも簡単に自転車は出てきた。スタンドを立ててから早川に向き直ると、早川は後ろ頭をぽりぽりと掻いて、小さく頭を下げた。
「なるほど、よくわかった。助かった」
「気をつけて帰ってね」
「……おう」
憮然としてハンドルを握る早川に軽く手を上げて正門に向かったら、後ろから呼び止められた。声の主は、三上咲希だった。無意識に短いため息と苦笑いが出る。
「水本くん、こっちなの? 偶然! 私もこっちだから一緒に帰ろうか!」
「え……そうなんだ」
苦笑いを消さずになるべく迷惑だということが伝わるように素っ気なくしてみたけれど、三上咲希には効果がないようだった。女子って怖い。三上咲希は僕の顔を見ずに、少し前を歩きながら自分の事をあれこれと話し始めた。
学校から徒歩十五分の大きな公園の側に住んでいると言うこと、兄が二人いること、両親は地元の大きな企業に勤めていること、将来の夢はお天気お姉さんだということ。まだ正門にたどり着いてもいないというのに、僕は三上咲希の色んなことを知ってしまった。それでも、三上咲希の話は尽きない。
短いため息を吐いて顔を上げたら、空一面にねずみ色の雲がかかっていた。雨の匂いがする。
「水本くんは、好きな子いる?」
「え」
三上咲希が振り返ってそう言ったとき、僕の前に自転車が止まった。言うまでもなく、早川だった。三上咲希は目を見開いて眉を顰め、力任せに僕の腕を握る。女子とはいえ、痛い。
「何よ早川! 水本くんに何かする気じゃないでしょうね!」
「うるせぇブス! 水本、後ろ乗れ」
「え、いいの?」
助かったと思った。この先橋を越えるまで三上咲希の話に付き合わされると思ったら頭が痛くなっていた。早川は頷いて、親指で僕に乗れ、と示す。かばんを前の籠に入れてから、遠慮なく後ろに座らせてもらった。
「ちょっと早川! 水本くんをどこに連れて行く気なの!」
わあわあ騒いでいる三上咲希を尻目に、早川は思いきりペダルを漕いだ。風が、気持ちいい。
「さんきゅ。助かった」
「そりゃ良かった」
早川は無愛想な声でひとことそう言って、正門を出て橋を渡り終えるまで口を開かなかった。
「お前んち、どこらへん」
「えっと……、ここ曲がってずっと真っ直ぐ行ったあたり」
「あー、じゃあここでいいか。またな」
早川は僕にかばんを手渡すと、にこりともせず青になった信号を渡って真っ直ぐに行ってしまった。
「ありがとう!」
大声で叫んでみたけれど、早川にこの声が届いたかどうかはわからない。
川から吹き付ける夕暮れの風が頬に心地良かった。




