第30話 終わらない運命
「……お前、なに考えてんだ」
「うるせぇ。陸斗だけじゃ見つけらんねぇかもしんねぇだろ」
「そんな訳あるか。お前なんか来ても足手まといなんだよ」
「そんなこと言ってあとで泣きつくなよ」
東京行きへ向かう電車の中で、何故か隣に座っているのは、夏輝。
ハルと夏輝、それにコウの三人は俺を見送ろうとホームまで来ていた。
はじめに一緒に行くと言い出したのはハルだった。それなら一緒に、と夏輝が言い出して、じゃあ自分も行く、とコウまでもが手を上げた。俺は一人で行くと主張するも虚しく、三人は自分が自分がと言い合いをはじめ、じゃんけんで決めようということになった。結局はじめに言い出したハルが勝って、争いは落ち着いたかに見えた。
ハルは電車の中で飲む飲み物を買ってこようと、窓越しに、自販機の前で俺に何がいいかジェスチャーをしてみせた。唇を尖らせる夏輝を宥めながら、発車のベルを聞いた。
けれど閉まりかけた電車のドアに滑り込んだのは、夏輝だった。
ホームには腹を殴られうずくまるハルと、転がり落ちたペットボトルが二本。それから、目を白黒させてハルを支えるコウの姿があった。
「ハル、腹押さえてたぞ」
「そんな強く殴ったつもりはないぞ。コンタクトでも落ちたんじゃね?」
夏輝はことも無げにそう言って、ポケットから携帯を取り出してマナーモードに切り替えた。
かわりに俺のポケットの携帯がけたたましく音を立てて、他の乗客に軽く頭を下げながらポケットから取り出し、開いた。やっぱりというか、ハルからのメールだった。マナーモードにしてからメールを開く。
――夏輝がごめん。迷惑かけるね。何かあったらすぐに連絡ください。
開いたまま夏輝の目の前に持って行くと、夏輝は小さく舌打ちしてから自分の携帯を開いてなにかせっせとボタンを押し始めた。
「携帯電話のご使用は他のお客様の御迷惑となりますので」
「うるせえ、すぐ終わる。てかお前が言うな」
耳元でよく耳にする注意事項を囁いてみたら、夏輝はそう言って顔を顰め、また舌打ちをした。
電車は新幹線に乗り換える予定の東京駅に向かってゆっくりと速度を上げて行く。車内には俺たち二人の他に何組かの乗客が居て、それぞれに本を読んでいたり、小さな子どもをあやしていたりする。
夏輝は俺の隣で体を捻って、窓の外をぼんやりと見ていた。
四角い窓の向こうで、傾きかけた日射しを受けた建物の窓ガラスがきらきらと光る。想だったらこの景色を見てなんて言うだろう。隣で俺の肩を叩いて街を指差し眩しそうに目を細める想が思い浮かんで、頬が緩む。
ポケットに手を突っ込んで、想にプレゼントするつもりで買ったネックレスを取り出した。
駅に来る前に一度家に戻って、机の奥からこれを持ちだした。電車の時間が迫っていたから着替えることも出来なかったけれど、これだけは持って行こうと思った。
結局ストラップになってしまったあのネックレスとは違って、華奢なデザインのものを選んだ。トップには、小さなリング。石もなにも入っていないシンプルなものだけれど、想にはこういうものが似合う気がした。
誕生日にはまだ早いけれど、渡す機会もなくなってしまうのなら。そう思ってしまって、胸の奥が痛んだ。
「何それ。お前っぽくない感じだな」
窓の外を眺めていた夏輝が振り返ってネックレスを見て首を傾げる。
「これ、想に渡そうと思って」
「ああ、そういうこと。あいつ華奢だからなあ。こういうの似合いそう」
「だろ」
なくさないようにネックレスを首に提げて少し笑ってみせたら、夏輝は一瞬だけ眉を顰めて、それから仕方なく笑った。夏輝も、きっとわかっている。これが最後のプレゼントになるかもしれないということを。いや、そもそも俺はこれをほんとうに渡すことができるのだろうか。
夏輝はまた窓の外を見る。遮断機の音が一瞬で通り過ぎた。
そうだ、夏輝の分の切符を買わないと。
「お前、金持って来てんだろうな」
考えてみたらこいつは入場券しか持っていなかった。あとで精算してもらえと言おうとしてまず、そう声をかけた。けれど夏輝は眉を顰めて唇を尖らせ、抗議するような目で俺を見上げた。
「持ってるわけねえだろ。俺の分はいつも兄貴が出すんだよ」
「はあ!?」
夏輝は、何言ってんだよ、と吐き捨ててから、また窓の外に目を移した。
「は? ちょっと待て。俺、持ってねえぞ。往復でぎりぎりの金しか入ってねえよ」
「……は?」
「は? じゃねえよ、お前どうすんの」
「ふざけんなよ陸斗、お前余裕ぶっこいてサクサク乗ってたじゃねえかよ! 持ってるかと思うだろ!」
「人のせいにすんなボケ! お前無賃乗車――ぶっ」
大声を出そうとしたら両手で口を塞がれて、その勢いで後頭部を窓にぶつけてしまった。痛い。
それにしても自分の金は持たないなんて、くそ生意気なガキだ。いや、もしかすると夏輝に持たせると際限なく使ってしまうのかもしれない。いつだったかハルと夏輝を連れて買い物に行ったとき、夏輝は好きなものを好きなように買っていた。ハルはそんな夏輝に辟易して最後は不機嫌になっていた。そうか。俺がハルでもこいつに金は持たせたくないかもしれない。
取り敢えず俺の口座にお年玉貯金がいくらか入っていたような気がする。東京駅で下ろして、こんど三倍くらいにして返してもらおう。
「どうしよう……。兄貴にはあんなことしたから言えないしなあ……」
「そりゃそうだ。どうすんの。次確か川崎か、降りて帰るか?」
「えっ……」
珍しく弱気になった夏輝が面白くて思わずからかってしまう。いつも俺をばかにして楽しんでいる罰だ。ニヤリと笑ってみせたら、唇を尖らせたまま下を向いて黙り込んでしまった。
想がこれをやると可愛くて仕方ないのに、夏輝がやっても何とも思わないどころか何だかむかつくのはどうしてなんだろう。
「……貸してやってもいいけど。東京駅に着いたら金下ろして」
「まじで? それほんと? じゃ貸してもらお! ラッキー」
「……トイチな」
「トイチってなんだ?」
「……」
東京駅に着いてすぐに、改札口の側にあるATMに向かった。
ちょうど学生が下校する時間帯ということもあり、見慣れない制服の集団が固まって動いているのが見えた。
「あの制服かーわいい! スカート超短くねえ?」
機械に向かって慎重に暗証番号を押す俺のすぐ後ろで、夏輝はばかみたいにはしゃいでいる。さっき見かけた制服姿の女子高生は確かに可愛かった。長い脚がやたらと短いスカートから伸びていて、カモシカかと思った。だけど俺の心はそそられない。想のぷにぷにした脚に比べればあんなもの。
「うるせえ。ちょっと黙ってろ。ええと、普通預金……残高照会」
「ブレザーいいなあ。セーラー服も捨てがたいけど、やっぱ、なんて言うかこう……」
「…え」
タッチパネルの残高照会を押した俺は、絶句した。俺の短い呻き声を聞いた夏輝は、俺の隣に回って機械を覗き込む。
「こらっ、見んな!」
「うわ……お前マジ? なにこれ。残高二円って……。俺、一桁の残高とか初めて見たかも」
「……そうだった……、貯金ぜんぶ下ろしてギター買ったんだった……」
そうだ、ちょっと値の張るギターを買おうと母に泣きついたら、お年玉貯金があったわよね、とあっさり見捨てられたのを思い出した。お年玉でも少し足りなかった分は出してもらって、それは今の小遣いから少しずつ引かれている。再び貯金を始める余裕は、なかった。
「どうすんだよ……。もう帰ったら?」
「ここまで来といて?」
「そうだよなあ……」
一瞬、歩いてでも行くかと思ったけれど、無理だ。東京から仙台なんて、いったい何日かかるんだ。どうしよう。どうすればいい。頭の中で何かいい方法がないか、ぐるぐると考えを巡らせるけれどなにも思いつかない。
ベンチに腰掛けて、携帯を開いた。着信履歴をスクロールして最初に見つけたのはハルの名前。だけど出来たら友達に金を借りるようなことはしたくない。コウはそもそも金欠だと言っていたし、母に頼るのも何か癪に障る。そんなことを言っている場合じゃないのはわかっているけれど。
「腹減ったなあ。あ、コンビニ発見! な、パン買うから金ちょーだい」
携帯を持っていないほうの手で夏輝の頭を思いきりぶっ叩いて、気を取り直してもう一度携帯の画面を見る。ふと目に止まったのは、千秋さんの名前だった。
不器用な笑顔が脳裏に浮かんで、上を向いたらあの日の空が広がっているような気さえした。
愛してた、と囁いた声はまだ耳たぶに引っかかっている気がする。思わず目を閉じ、ゆるゆると心に蘇りかけた心地良い感傷を振り払うように電話帳をスクロールさせた。千秋さんの名前は指一本で瞬く間に遠くへ行ってしまう。その様子に、背中がひやりとした。
このまま帰って何事もなかったように過ごしていればいつか、想と過ごした日々も。想の名前をこうやって指一本でスクロールさせてしまえば、いつか思い出になるんじゃないのか。そうしていつか思い出したときに少しだけ胸に痛みが走る、そんな思い出になって、それだけなんじゃないのか。
俺は、何をしようとしているんだ。
考えれば考えるほど冷静になって行く。落とした視線の上半分、たくさんの靴が行き交う。それぞれに現実を見て何かを諦め、何かに妥協して、そうして生きている。
そんなふうに思えて来ると、どこか心の中に大きな隙間ができたように感じる。それはきっと想と俺の距離でもあって、俺はその隙間をなにか他のもので埋めることが出来てしまうんじゃないかと思えてきた。
本当はそういうことなのかも、しれない。
瞬く間に足の力が抜けていく。俺はこのまま引き返すのか。帰って、やっぱりやめといた、と笑って。夏輝もハルも、仕方ないことだと笑ってくれる。コウだって心のどこかでほっとするんだ。やっぱりこんなの間違ってたんだよ、って。
想だってそのうちに俺と過ごしていたことなんか忘れてしまって、いつか大人になったときに、妙に甘やかされて過ごしたこんな日々があったことを思い出して、苦笑いをするのかもしれない。
――それでいいのかも、しれない。
そのときふと、駅の喧騒の中に聴き覚えのある音を聴いた気がして顔を上げた。
聴こえてきたそのメロディーに、想の真っ赤になって拗ねたように俺を見上げた顔と、初めて公園で見た想の真っ直ぐに前を見つめていたまだあどけない横顔が脳裏にはっきりと浮かんだ。
想があのとき反対していれば一緒に暮らすことにはならなかった。
――想は承諾してくれた。一緒に暮らし始めて少しして、初めてちゃんと話したときに父はそう言った。想は向こうに残りたかったんじゃないのかと父に尋ねたんだ。そうしたら父は少し困ったように笑って。想が反対すれば別の道もあった。そう付け加えて、申し訳なさそうに母の顔を見たんだ。
想はあのとき、決意したんだ。思い出がたくさん残る故郷で過ごしたやわらかな日々を過去にして、異国の地で、新しい家で暮らして行くことを。そうして俺たちは出会った。
そうだ、あのときにはもう、始まっていたんだ。
まだ、終わってなんかいない。
終わらせるものか。
意を決して通話ボタンを押すと、一度だけ鳴った呼び出し音。すぐに聞き慣れた声が耳に届いた。
『陸斗?』
「あの、俺だけど。ちょっと金貸してくんない?」
『なにそれ、オレオレ詐欺? ちょっとその手口は古くないかしら』
「や、古いとか新しいとかじゃなくてさ」
昨日の今日で、何も言わずに飛び出した手前気まずさは拭えない。変に緊張して、声が強張る。
「仕事、終わったの」
『ちょうど今帰ってきたとこよ。ほっぺた、どうしたのっていろんな人に訊かれちゃった』
「昨日……、ごめん。何も言わないで出てって。コウん家泊まったから」
『知ってるわよ。コウくんのお母様から電話があってね。心配しないでくださいって。私が言うことじゃないかもしれないけど、あんまり人様に迷惑かけちゃだめよ』
「……わかってるよ。だからその、母さんになら迷惑かけてもいいかなって……」
電話の向こうで、母が小さく笑う。泣いているようにも聞こえた。すん、と鼻をすする音が聞こえて、喉の奥の辺りがぎゅっと詰まった気がした。
リビングのソファーで小さくなって背中を丸めて携帯を握り締める母が脳裏に浮かんで、胸が締め付けられる。ごめん、と心のなかで呟いて、ゆっくりと息を吐き出した。
『想くんに会いに行くんでしょ。気をつけるのよ。お母さんなにも言ってあげられないけど』
「なんでわかるの」
『ばかねえ。あんたの考えてることなんか筒抜けなのよ』
「筒抜け……って」
筒抜けというのは、どこまで筒抜けということなんだろう。まさか俺の想に対する気持ちまでも筒抜けだったとしたら。
背中がひやりと冷たくなって、遠ざかっていた駅の構内の喧騒が一気に耳に入ってきた。
目を白黒させている俺の隣で、夏輝は携帯を弄り倒している。余裕ぶっこきやがって、このガキ。
『筒抜けは筒抜けよ。お母さん立場的に表立って応援はしてあげられないけど、陸斗には幸せになって欲しいと思ってるのよ』
「うわ……。俺そんなわかりやすいのか……」
考えてみたらコウにもハルにも夏輝にも、まあ積極的に隠していたつもりもなかったとはいえ、筒抜けだった。ということはもしかすると想にも。いや、それはないか。あいつは自分のこととなると極端に鈍い。
『もちろん想くんにも幸せになって欲しいと思ってる。最後までお母さんって呼んでもらえなかったけどね』
「……それは、たぶん母さんのせいじゃなくて」
『いいのよ。脳内変換してたから平気』
はじめのうち想に「涼子さん」と呼ばれる度に複雑な顔をしていた母を思い出す。そう言えば最近はそう呼ばれても平気な顔をしていたような気がする。頭の中で「お母さん」に頑張って変換している母を想像して何だかおかしくなって笑った。
『笑わないでよ。そうでもしなきゃ、やってらんないわよ』
「ごめんごめん」
『よし。あんたの口座に振り込んどいたからね。むこう五年分のお年玉』
「ご、五年分」
『じゃあ、想くんに会えたらよろしく伝えてね』
携帯からはすぐに不通音が聞こえて、ため息を吐きながら携帯を閉じた。
「五年分……」
「お金、何とかなったんだろ? 良かった、良かった」
落ち込む俺の肩に手を置いた夏輝が、そう言ってにこにこと善人ぶった笑みを浮かべる。なんだそれは。そもそもこいつのせいで計画が大幅に狂ったって言うのに、どこからその笑いが出てくるんだ。
「トイチじゃねえ。トゴだ。一日でも遅れたらお前の耳ひっぺがしてやる!」
なるべくドスの効いた声を出しながら夏輝の両耳を掴んで上に引っ張りあげたら、夏輝は、トゴってなんだよ、と楽しそうに言った。
「耳は揃えるもんで、引っ張るもんじゃねえだろ」
「うるせえよ。だいたいお前が無理について来なきゃこんなことにならなかったんだよ!」
早速お金を下ろして夏輝の分の切符を買って、駅ナカにあるコンビニで夏輝のパンと飲み物を買ってから改札を通り、ホームに向かう。本気でむかついてはいたけれど、ちょっと冷たい言い方をしてしまったかもしれない。気になって夏輝を振り返ると、案の定肩を落としてつま先を見つめながら歩いていた。しまった。
「あー……、違う、そうじゃなくて。いいんだよ、でも」
「そうだよな……。俺のわがままだもんな。なのに俺すげえ偉そうな態度で、ほんとに……」
「そりゃ、そりゃ偉そうだけどそれはほら、お前はほら、俺の為を思ってついてきてくれたんだろ? だから」
そこまで言った所で夏輝は嬉々として顔を上げ、満面の笑みでさっさと俺の前を歩いて行った。
「……クソガキ!」
吐き捨てたら、夏輝が振り返って楽しそうに笑った。




