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あの音を、もう一度。  作者: 真崎将生
足音
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第22話 海色

 





 夏雲が海の向こうの空にひしめくように浮かんでいる。潮騒が心地よくて、自転車を止めて思いきり深呼吸した。 

 辺りを見回したら、既にレジャーシートに二本もパラソルをたてて麦わら帽子をお腹に被せ、ひっくり返っているコウが見えた。

 波打ち際で水切りをしていたハルと夏輝が俺たちに気づいて手を振る。同じタイミングで振り返り、同じタイミングで手を振った二人を見て思わず頬が緩むと同時に、どこか複雑な心境になる自分がいた。


「……兄弟、か」

「え? なんか言った?」

「んや、なんも」


 笑ってみせると、想は半分笑って、半分怪訝な顔をした。

 想の柔らかな髪が潮風にもみくちゃにされて、思わず手を伸ばす。指で梳いてやると、想は一瞬だけ目を閉じた。長い睫毛が伏せられて、また開いた目の奥に自分の困り果てたような顔が映る。俺は、なんて顔してるんだろう。

 吹っ切れたつもりでいたけれど、どうやっても崩せない壁がある。兄弟、という言葉の重みと、想に向けられるであろう好奇と非難の目。やけにリアルに想像できてしまって、思わず唇を噛み締めた。

 胸の奥が、痛い。


「陸斗?」

「いこっか」

「うん!」


 自転車の籠の中から弁当を取り出して、脱いだサンダルを両手に持って走る想の後ろをゆっくりと歩いた。


 昼時になるまで皆で波打ち際で水切りをしたり、上半身裸になって海に飛び込んだり、砂に埋れてみたいと言い張るコウを首元まで埋めてみたりして遊んだ。

 正午のサイレンが鳴った途端に腹が減ったと騒ぎ出した夏輝に大笑いして、皆で弁当を広げた。


「やべ、このおにぎり美味すぎ。想天才」


 ラップに包まれた、シャケの入ったおにぎりを頬張った夏輝はそう言って大袈裟に喜んでみせる。隣でハルもおかずを口に入れて頷いている。

 服の中まで砂だらけのコウはハルからシートに座ることを拒否された。かろうじてパラソルの影のある砂の上であぐらをかいて、想が小分けした弁当を食べている。


「ちょ、何で俺が作ったって思わねえんだよ!」

「陸斗がこんな繊細な味を生み出せるわけねえだろ。お前どうせこの、真っ黒のわけわかんねえ奴だろ」

「ぐっ……!」


 この、と言いながら夏輝は逆さ箸で俺の作った黒い塊をラップの上からつついた。当たっているだけに、何も返す言葉がない。


「そんなに言うなら食ってやるよ。食ってやる!」

「陸斗、やめたほうがいいって。お腹壊すよ」


 不安気な想を押しのけて、ラップごと掴んで紙皿に広げた。なんか炭の匂いしかしない。


「……」

「うわぁ……。それ、なにで出来てるの?」


 隣で覗き込んで鼻をつまむハルを一瞥して、ほんの少しだけ口に入れてみた。まずい。一瞬考える余裕もないくらいまずい。まずいって言うより、なんか炭だ。あの、焼肉をやったあとに網にこびりついて取れない、あれだ。鉄板でお好み焼きを焼いたあとに出来る、コテで隅に寄せて捨ててしまう、あれだ。

 つまりこれは、炭だ。


「はい、陸斗。水飲む?」

「飲む……」


 俺の向かい側で大笑いしている夏輝をひと睨みしてから、ペットボトルの水を半分ほど一気飲みした。どうやら俺に料理の才能はないらしい。

 コウが持ってきていたゴミ袋にラップに包まれた炭の塊を突っ込んで、想がいつの間にか皿に乗せてくれていたおにぎりとおかずを頬張った。美味い。美味すぎて涙が出そうだ。


「俺さ、一眼レフ持ってきてんの。撮っていい?」


 夏輝がそう言って、持ってきていたバッグを探る。一眼レフを持っているなんて、中学生のくせに生意気だ。なんでも、今年の春に入学祝いだと言って親に買ってもらったらしい。羨ましい限りだ。


「はい、撮るよー」

「えっ、もう?」


 戸惑っている想をよそに、夏輝は一度合図をしたかと思うと次々にシャッターを切り始めた。面倒だからそのまま食べ続けていたら、ばかみたいに大口を開けているところを容赦無く撮られてしまった。


「ほら、陸斗と想並んで」

「え、うん」


 突然そう声をかけられて、ほらほらと急かすコウに押された想が俺の肩に寄りかかるかたちになった。シャンプーの香りがふわりと香る。その香りにつられるように想を見下ろしたら、そのタイミングでシャッターが下りた。思わず夏輝を見たら、夏輝はにやりと笑ってカメラを仕舞ってしまった。


「俺今すげえ間抜けな顔してなかった?」

「お前はいつも間抜けだよ」

「むかつくガキだな……ハル! 弟だからって夏輝のこと甘やかしすぎなんじゃねえの? こいつ、くっそ生意気だぞ!」


 ハルは楽しそうに、陸斗には負けるよ、と言って笑った。


「日焼け止め持ってきてなーい! 焼けちゃう!」


 気色悪いことを言っているコウを横目に、勝負を挑んできた夏輝と二人で波打ち際に走った。


「あの流木あるだろ。あそこまでな」

「望むところだ。お前にゃ負けねえよ!」


 約五十メートルほど先にある流木を指さして臨戦態勢に入ると、夏輝は鼻息を荒くしてクラウチングスタートの体勢を取った。


「ねえ二人とも、食べたばっかで走るとお腹痛くなるよ」

「おう、想見てな! 男と男の戦いだ!」


 夏輝はそう言って、ぐっ、と親指を立てて見せる。


「想くん、止めないほうがいいよ。本能でしか動いてないからね、この二人は」

「ああ……」


 そこで納得しないでほしい。ハルは想を誘って、波打ち際で貝でも拾おうか、なんて乙女な事を言って歩き出した。


「コウ! 合図して!」

「了解! よーいっ、どん!」


 サンダルはとうに脱ぎ捨てた。裸足の裏で湿った砂を蹴って、右手に波を見ながら疾走する。潮風が、肺の中に満ちる。太陽がまぶしい。


「っしゃー! ばか陸斗に勝ったぁ! ざまあみろ!」

「くっそ! なんかの間違いだろ」


 夏輝は流木に跨って、バンザイをしてそのまま寝転んだ。俺は流木を背に座り込んで、切れた息を整えるのに必死だった。最近走ってなかったからか。いや、元々俺に体力なんてものはないのか。


「まあ、あれだよね。現役サッカー部と走っても、どっちが速いかなんて火を見るより明らかだよね」

「お前、喋り方、ハルにそっくり」

「当たり前だろ、兄弟なんだから」

「ぶは。そういやそうか」


 どうして今更当たり前のことを言うんだ、とでも言いたげな夏輝の口ぶりに、思いがけず納得した。そうだ、ハルと夏輝は、兄弟だ。幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた、兄弟なんだ。


「陸斗と想もさ、兄弟だろ? まあ、この言葉がお前にとって嬉しいかどうかは別として、さ」


 寝転んだまま夏輝はそんなことを言った。思わず夏輝の顔を見たら、夏輝はどこか寂しげな目をして俺を見ていた。

 遠くで、想が笑う声がする。潮騒に混ざって、まるで夢のなかにいるような心地になる。ふいに足元に影が出来て、見上げたらハルがパラソルを運んできていた。


「夏輝。こんなとこで寝てたら、誰かさんみたいに熱中症になっちゃうでしょ」

「てめ、一言多いんだよ」


 流木のすぐ側にパラソルを立てて、影になったそこに夏輝とハルと三人で座った。水平線の向こうから小さな波が途切れることなくやってくる。高い空で白い鳥が弧を描いて旋回した。


「めっちゃ癒される」

「陸斗、想くんに話したの?」

「あ?」

「進路のこと」


 ハルは空を見上げたまま呟くようにそう言った。

 今夜にでも想と話してみようと思っていた。想は、どんな顔をするだろう。


「あとでさ、想と話してみる。正直俺もまだ迷ってるし、なんか最近いろいろあってさ」

「いろいろ? まあ実際問題、夏休みが終わる頃にはちゃんと決めとかないと先生たちも困るからね」

「まぁね。そりゃあね。わかってるさ」


 手を砂に差し入れて砂を掬ってみる。指の間からさらさらと溢れ、風に躍る。どれだけ掬っても、全部なかったことのようにきれいに消えてしまう。手を広げて砂の上に置いたら、指先に小さな桜貝があるのを見つけて、指で摘んだ。だけど力を入れすぎたのか、すぐに割れてしまう。


「ハルと夏輝はさ……なんで、なんも言わねえの」

「あー?」


 また流木に寝転がっていた夏輝が間の抜けた声で返事をしてこちらに顔を向ける。ハルはちらりと俺を見て、また空を眺めた。


「気持ち悪くねえの。どう考えたっておかしいじゃん」


 同性愛で、近親相姦で。マイノリティこの上ないカテゴリに分けられる俺の感情を、こいつらは一度だっておかしいなんて言ったことはなかった。友達という立場はあるものの、眉を顰める事すらしなかったこいつらが、改めて考えると不思議で仕方がなかった。


「……じゃあもし、仮に。仮に俺が夏輝にそういう感情を抱いたとして、陸斗はどう思うの」

「ぶっ! 気持ちの悪い例えを出すな!」

「夏輝は黙ってて」


 ハルは目を剥いて抗議する夏輝を腕で制して、空を見上げて目を細める。潮風がさらりと、耳元を擽って行く。


「そりゃ、驚くけど。だけど……なんも、言えねえか。そっか……」

「でしょ。俺たちだってほんとはね。ほんとは、大きな声で応援したい。だけど」


 だけど、と言ったきり黙りこむハルを、夏輝は起き上がって後ろから見つめる。それからゆっくりと息を吐いて立ち上がり、俺の前に回って腰を下ろした。砂が、ぎゅっ、と小さな音をたてた。


「なあ陸斗。俺たち、想のことも陸斗のことも、こう見えてもすげえ好きなんだぞ」

「なに急に。気持ち悪い」

「お前が思ってる以上に、俺たちだってお前らに傷ついて欲しくないんだよ」


 茶化そうとしたけれど、夏輝はこれまでに見たことのないくらい真っ直ぐな目で俺を見つめて言葉を続ける。ハルはそんな夏輝を、やわらかな目で見ている。


「でもお前が想を想う気持ちってすげえ真っ直ぐで、そういうのが間違ってるなんて思えなくてさ。俺も正直どうしていいのかわかんねえ。けど、いつか想もお前もちゃんと真っ直ぐに向き合える日が来ればいいって、そう思ってる」


 ハルは頷く。普段は文句しか言わない夏輝がこんなふうに思っていたなんて。何だか背中が痒くなると同時に、胸の奥が痛くて、熱い。


「そんで、もしぼろぼろになっちゃってもさ、胸張って帰ってくればいい。俺たちはお前らのこと、いつだって待ってるから。そんだけ、覚えてろ」


 言った後、夏輝は目を逸らして、唇を尖らせて俯いた。どうやら照れているらしい。ハルが夏輝の背中をばしばしと叩き、夏輝は顔を上げて、痛い、と抗議する。


「夏輝は陸斗と想くんのことが大好きなんだよね、こう見えても。いつも言ってるんだよ。羨ましいなあって」

「ふざっけんなばか兄貴! そんなこと一回も!」

「言ってた! あいたたた、ごめんごめん!」


 夏輝はハルの手を掴んで指を思いきり広げた。あれは痛そうだ。ハルは顔を顰めて、だけど笑って何度も謝っている。


「……さんきゅ」


 小さく、呟く。もっとなにか言いたかったけれど、なんだか泣いてしまいそうでそれ以上の言葉が出てこなかった。 

 海岸には、傾きかけた太陽の透明なオレンジ色の光が射していた。





 

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