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あの音を、もう一度。  作者: 真崎将生
夢の音
19/51

第19話 ある夏の日

 





「陸斗、今日生徒会で遅くなるから先に帰ってていいよ」

「え」


 朝食の席で、焼きすぎた食パンの焦げて黒くなった部分をフォークで削っている俺の横で、想は程良く焼けたパンにバターを塗りながらそう言った。

 いつもなら遅くなろうがなんだろうが何も言わないのに今日はそんなことを言う。何だか気になって想を見ていたら、想は目を丸くして首を傾げた。深い意味はないのか。


「想くん生徒会って、なにやってるの?」

「書記です。まだ一年なんで、ほんとだったらまだあまり仕事は貰えないんですけど、先輩方が気を使って分配してくれて」

「そうなの。すごいじゃない。三年生になったら生徒会長ね!」


 大袈裟なほどに喜ぶ母に想は曖昧に笑ってみせて、バターの溶け始めたパンにかぶりついた。


 玄関を一歩出ると外は快晴で、朝の透明な光が緑の濃くなった葉に降り注ぐ。公園の楠にとまった蝉が、大きな声で鳴き始めた。


「昨日遅くなったじゃない、学校」

「ああ」


 想は空を見上げて眩しそうに目を細めて片手で胸ポケットを探り、校章を取り出す。アイロンのきちんとかかったシャツに安全ピンで付けながら、かばんを脇に挟んで立ち止まった。

 荷物を持ってやろうかと手を伸ばすと、カバンは素直に俺の右手に渡った。なにが入っているのか、やたらに重い。


「涼子さん、心配してたみたいで。今日はもっと遅くなりそうだから」

「なんだ、そういうことなら待ってるし。てか、母さんに直接言えばいいんじゃねえの?」


 言ってから、しまったと思った。未だにそんなことに拘る想に少しだけ疑問を抱いていたのは確かではあるけれど、だからと言って今すぐに考えを改めさせることでもなかった。


「……そっか、そうだよね。ごめん」

「あー、いや、なあ想」

「そろそろ、ちゃんとしなきゃね。陸斗だって……」


 陸斗だって、いなくなるんだし。

 きっとそう言いかけたんだろう口を噤んで、荷物を奪うようにして剥ぎ取り俺の前を歩き出す。


「想」


 ぐんぐん距離が開いてゆく背中に声をかけたけれど、返事はなかった。

 自分で選んだことだ。自分で選んで、こうして少しずつ結果が見えてきている。だから俺は後悔なんてしちゃいけない。






 ――本当に、待たなくていいから。帰りは生徒会の先輩が同じ方向だから心配しなくていいよ。

 昼休み、教室で珍しく問題集を開いていた俺に、想からメールが届いた。

 ハルはひとつ後ろの席で参考書片手に難しい顔をしている。一度携帯のゲームをしようとしたら、ハルに咳払いをされたうえに大袈裟なため息を吐かれてしまった。それで、たまには問題集くらい開いてやろうかという気になった。なったはいいが、さっぱりわからないからあまり意味はない。


「生徒会の先輩、ねぇ」


 窓際の席はグラウンドがよく見渡せる。その向こうに見える堤防の草が、風に吹かれて波のように揺れていた。濃い灰色の混ざった夏雲が、みるみるうちに形を変えてゆく。遠くの空で、雷鳴が聞こえた気がした。


「うわ、雨降るのかなあ。傘持ってきてないよ」

「夕立ちだろ、すぐ止むんじゃないの」


 教室のあちこちから不安気な声が聞こえてくる。そういえば、想も今朝は傘を持っていなかった気がする。教室の後ろにある自分のロッカーを見ようと、体を捻って目を凝らした。あった。折り畳み傘だ。

 以前、誰かに貰ったものだった。後輩の女子だったか、どうだったか忘れてしまったけれど。


 校舎の玄関先で止む気配もない土砂降りを呆然と眺めていたら、これ使ってください、と、どう見ても新品のそれを差し出された。

 隣で様子を見ていたコウが言うには、今そこのコンビニで買ってきたんじゃないかと。確かに、値札を引きちぎった跡のプラスチックの紐が付いたままだったし、柄にはコンビニの支払い済みのテープが貼ってあった。

 いくらなんでも悪いと思って翌日に返そうと学校に持ってきて、そのまま忘れていたものだ。もう、傘を差し出したその子がどんな顔をしていたのかさえ思い出せない。


 了解、先に帰ってる。想にそうメールを送って、玄関で待つことにした。待つと返事を返せば俺が帰ると言うまで何度でも説得にかかるだろう。まあ、待っていてもし雨が止んだら、帰ろう。



「え、お前帰らないの」

「想くん待つの? 今日って生徒会で修学旅行の話し合いあるって聞いたけど。いつもかなり遅くなるって噂だけど、大丈夫?」


 用意周到に傘を持ってきていたハルとコウのふたりは、やれやれと苦笑いして、待つと言い張る俺を残してスコールみたいに降り続く雨の中を帰って行った。

 真っ黒な雲が空を覆い尽くして、グラウンドはすっかり水浸しになってしまっている。ため息を吐いて、玄関にふたつ並べて置いてある、何を模したのか想像すら出来ない椅子のように見えるオブジェにどっかりと腰を下ろした。


「こら! 水本、それ椅子じゃないぞ!」

「うっす。了解っす」


 何度か玄関前の廊下を通り過ぎる先生にそう声をかけられて、腰を浮かせた振りをしてまた座った。

 脚を組んでぶらぶらさせながら携帯を弄っていると、えらく落ち込んだ様子の男子生徒がひとり、目の前を通り過ぎてはため息を吐いて戻り、通り過ぎては戻りを繰り返した。


「何やってんのお前」

「ひっ!」


 気になったというより目障りで思わず声をかけると、男子生徒は丸眼鏡を片手で抑えながら素っ頓狂な声を上げて肩を揺らした。そんなに大きな声でもなかったはずだけど。


「みっ、水本先輩。いつからそこに」


 眼鏡はたじろいで、三歩後ずさりをした。どうして俺の名前を知っている。


「は? 俺お前と知り合いだっけ?」

「あっ、いえ、知り合いとかそういう訳では、ないんですけども、その」

「ああ?」


 眼鏡は消え入りそうなほど小さな声で、あの、その、と繰り返してから、ポケットからハンカチを取り出して額の汗を拭った。そう暑くはないはずだけど。


「そのっ、想くんの、お兄さまですよね」

「ああ、なんだ。想のクラスメイト?」

「いえっ、違うんですけど、僕二年なんで、全然、そういうのじゃないんですけど」


 イライラする。なんだこのめちゃくちゃむかつく喋り方は。面倒になって、放置することにした。

 開け放った玄関から、激しさを増した雨音が聞こえる。いつになったら止むんだ、この雨は。


「あの……、水本先輩」

「なんだよ」

「隣、いいですか」

「だめ」


 ふたつ並んだ意味不明なオブジェのもうひとつに腰掛けようとした眼鏡を、下から睨み上げて牽制した。眼鏡は、そうですよね、と引っ込んで、俺から少し離れたロッカーに寄りかかって俯き、ため息を吐いた。

 特に隣に座ってほしくないということもなかったけれど、何だかむかついたので断った。何だろうこの、不快感。

 インテリくさい丸眼鏡の奥で、開けているのかいないのか判別が難しいほどの細い目がしばたいている。もしクラスにこういう奴がいたら、友達にはなれないタイプだろう。いきなり得意げな顔をしてうんちくを垂れてドヤ顔しそうな。勝手なイメージだけど。

 再び携帯に目を落として、メールの画面を開く。今、待っているとメールを送れば、会議中の想は返事を送ることはできないんじゃないだろうか。いや、でももう少し待ってからにしようか。

 メール画面を閉じて、メモを開く。秋の文化祭でやる曲の作詞が微妙に進まない。途中まで書きかけては消してを繰り返していた。


「あの……、水本先輩」

「ああん?」

「う……、あの、僕、小橋と言います」

「それで、なに」


 こはし。聞いたことはないな。そんな事を考えながら文字を打っていたら、画面に「こはし」と出て速攻で消した。


「てめえ、人の思考回路に入って来んじゃねえ!」

「すっ、すみませんっ! でもあの、想くんから何も、聞いてないんですか?」

「は? 想がどうしたって?」


 思わず携帯を閉じて小橋の顔を見た。小橋は眼鏡の向こうから、細い目で俺を見据える。何だろうこの感じ。何だろう、この不安感。


「いや、あの、何も聞いていないのなら、いいんです」


 小橋は顔の前で手を振って、ついでに首までぶるぶると横に振る。

 いいんです、と言われると妙に気になってしまうのが人情というものだろう。ロッカーに寄りかかっていた小橋は立ち上がった俺に怯えたのか、玄関の外に向かって後ずさる。


「気になるだろ。ふざけんなよお前、言えよ」

「いえ、ご、ごめんなさい、た、たいしたことじゃないんで」


 そう言われても気になってしまったものは仕方ない。これは、ちゃんと聞くまで帰れそうにない。小橋の目の前三十センチまで寄って、両手をロッカーについて小橋の動きを止めた。よし、射程距離だ。


「たいしたことないなら言えるだろ。言えよ」

「いいいい言えないです! 想くんが言ってないなら僕にそんな権利は」

「あとで許可取る。俺が許す、言え」

「そんなめちゃくちゃな」


 めちゃくちゃだろうが何だろうが、そこまで聞いておいてなにも追求せずに帰れるほど俺は呑気じゃない。

 想が俺に隠さなきゃいけなかったようなことを、こいつは知っているんだ。そう思うと増々イライラしてきて、思わずロッカーを蹴った。小橋はびくっと肩を震わせて、みるみるうちに涙目になった。


「……おま、泣くことじゃねえだろ。あっ! こら待て!」


 油断した。両手の力を緩めた瞬間に、小橋は隙を突いて走り出した。玄関の、外に向かって。


「おま、ふざっけんなコラー!」

「ほんとすみませんっ! 無理ですっ!」

「あああもう、むかつく!」


 どうせ傘を差してもこの雨なら全身が濡れてしまう。思い切って上履きのまま校舎を飛び出して小橋を追いかけた。瞬く間に雨は髪を濡らし、肩を濡らした。

 校舎から少し離れた木の陰に隠れていた小橋は、俺がここまで追いかけて来るとは思わなかったのか、驚いた顔をして、泥水を蹴ってまた走り出した。


「てめえ! 逃げんな!」

「じゃあ追いかけてこないでくださいいい!」

「じゃあ逃げてんじゃねええ!」

「ぎゃああ!」


 遠くで雷が鳴って、稲妻が走る。稲光が、グレーチングの上で滑って転んだ小橋の怯えた顔を浮かび上がらせて、一瞬怯む。泥水が、吹き出した血のように見えなくもない。ホラー映画か、これは。

 小橋はその場にうずくまって、ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返した。いったいこいつは、想に何をした。





 

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