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あの音を、もう一度。  作者: 真崎将生
夢の音
18/51

第18話 満月の夜






「……くと、陸斗――」


 想の声がする。どうして。想は今授業中じゃないのか。確か一年は午後イチで体育の合同練習があるとかなんとか言っていた気がする。


「陸斗! 大丈夫!?」

「は?」


 背中が、中途半端に固い。どうして俺はこんな固いベッドに寝ているんだ。目の前には想がいて、心配そうに俺を覗き込んでいる。誰だ、こんなシチュエーションを用意したのは。理性が保てなくなったらどうしてくれる。

 ゆっくりと視線を動かすと焦点の合わない視界のなかに、消毒液の入った棚や事務机の上に乗った包帯なんかがぼんやりと見えてくる。

 開け放った窓から校庭のホイッスルが聞こえてきた。小学校のチャイムと「校内に残っている生徒は速やかに下校しましょう」なんて放送が聞こえる。いまは昼休みが終わったところのはずだけど、俺はタイムスリップしたのか。


「なに、保健室? ……なに、なんで? 今何時?」

「びっくりしたよ、熱中症だって言うから。ほら、これ飲んで」

「熱中症? 誰が? 想が?」


 起き上がりながら、スポーツドリンクを差し出す想の顔色を覗きこんだけど、悪くはない。俺の額に乗っていたのか、氷嚢がぼとりと床に落ちた。想はそれを拾いながら俺を覗きこむ。そうして、唇を尖らせて少し睨んだ。


「陸斗だよ。なんでこんな暑いのに屋上なんか行ったの。ばかじゃないの。はい、飲んでってば」

「飲むよ。おま……、ばかとか言うな。これでも色々考えて」

「ハルがここまで陸斗を担いてくれたんだからね。あとでお礼言っときなよ」

「あー……、了解。そら、悪いことした」


 屋上に出て、そうだ、チャイムが鳴ったんだ。それで教室に帰ろうとして、そこからの記憶がない。

 スポーツドリンクを一気飲みして、空になったペットボトルを想に渡す。

 ため息を吐いて枕に頭を沈めたら、今寝ていた筈なのに猛烈な眠気が襲ってきた。頭が重い。目を閉じるとどこまでも沈んでいきそうだ。


「陸斗、眠い?」

「うーん……なんか、この枕きもちいー」

「いいよ、寝ときなよ。僕これから生徒会あるから、終わったら迎えに来るね」


 薄目を開けると、想は携帯電話を片手にそう言って眉を下げたまま笑う。

 生徒会。いつの間に想はそんなもの。

 学校で想に会うと、家にいるときと同じようにあれこれと世話を焼いてしまう。夏輝にそれとなく人目を気にしたほうがいいと言われてからは、どうにも学校で顔を合わせづらい。だから必然的に、想が学校でどう過ごしているのか疎くなってしまう。

 そういえば最近帰りが遅かった。どこかで遊んで帰っているんだとばかり思っていた。あと、図書館とか。なんだ、そういうことか。

 生徒会ってまさか生徒会長じゃないだろうな。あ、会長は早くても二年からか。てことは……。

 考えている間に深い眠りに入ってしまった。まどろみのなか、細い指が髪を撫でた。

 体温がゆっくりと近づいて、なにか柔らかな暖かさが唇に触れた気がした。






 ――夢のなかで想は、いつものように笑っている。

 手を取って歩き出すと、想は俺を見上げて名前を呼んだ。もう片方の手で髪を撫でたら、今そこにいたはずの想が忽然と姿を消してしまった。


(……想? どこいっ…た――)


 何故だかうまく声が出せなくて、言葉がかたちにならない。歯痒くて地団駄踏んで辺りを探しまわるけど、想がいない。

 場面はいつの間にか学校の側の堤防で、足元のアスファルトから雑草がどんどん顔をだして足首にからまる。動けなくなってしまった俺は必死に雑草を引きちぎろうともがくけど、どうにもならない。これじゃ想を探せない。


(ああもうこれ何だよ! ふざっけんな!)


 生ぬるい風が吹く。空は千秋さんのアイスコーヒーのように白い雲がぐるぐると広がって、みるみるうちに灰色に染まってゆく。

 もしかすると想もこんなふうに雑草に足をつかまれて動けなくなってしまっているんじゃないか。そんなふうに考えると怖くなって、辺りを見回す。目に入った深い川の中に想が沈んでいるんじゃないかと想像してしまう。

 まさか。そんなのは、嫌だ。


(返事しろよ! ばかじゃねえのコレほんっといい加減に……想、どこだー!)

(陸斗、僕なら平気だよ。大丈夫だから心配しないで。だって陸斗は僕から離れたいんでしょ?)


 いつの間にか目の前に現れた想はそう言ってにっこりと笑う。腕を掴んで抗議しようとすると、一瞬でその顔がハルに変わった。驚いて目を見開いていたら、ハルは恐ろしく冷たい目をして俺を見下ろした。


(自業自得だよ。陸斗が言ったんだよ? 離れたいって)

(いや、でもそれは!)

(仕方ないよ、君たちは兄弟だもんね)

(そりゃ、だけど)


 背中を、冷たい汗が流れる。息苦しい。想はどこに行ってしまったんだ。


「想!」

「てめ、いてえんだよクソが」

「は」


 蛍光灯の灯りが瞳孔に突き刺さった気がする。痛くて目を閉じたら、額をぶっ叩かれてしまった。なんだ、これはどういう状況だ。


「夏輝……なんでここに」

「いいからコレを離せ」


 改めてゆっくりと目を開けると、ベッドの横に置いてある椅子に座った夏輝が思いきり眉間に皺を寄せて自分の手首を指差していた。そうか、俺が掴んでいたのは夏輝の腕だったのか。

 額に張り付いた髪をすくったら、手の甲にべったりと汗が貼り付いた。夏輝からタオルを渡されて顔や首元の汗を拭く。窓から入る生ぬるいはずの風が冷たかった。


「ごめん。なんか……夢みてた」

「迷惑な奴。寝言めっちゃうるさかったぞ」

「え、何て言ってた」


 夢のなかでは何度も想の名前を呼んだはずだ。あんなもんこいつに聞かれてたら。夏輝はにやりと笑って、今あったことを思い出すように視線をぐるりと巡らせる。


「想、どこにも行くな、俺が悪かった! って」

「ちょ、それほんと!? え、そんなはっきり聞こえてんの?」

「嘘だよ、ばぁか!」

「は?」


 夏輝は大袈裟なくらい深いため息を吐くと、椅子に腰掛けた背を丸めて俺を見上げた。なんというか、同情の目ってこういう感じじゃないだろうか。俺はかわいそうな子なんだろうか。

 それにしても夢の余韻がまだ残っていて、胃のあたりがえらく重い気がする。


「寝言なんか、ごにゃごにゃなに言ってんだかわかんねーんだよ。想の名前呼んでたのは確かだけど、あとはしらねー。そもそも今来たばっかだし」

「今……、てかお前なんでここにいるの。部活は」


 ベッドの上で胃を摩りながら上半身だけ起こして辺りを見回すけれど、想はまだ来ていないようだ。

 窓の外はもう暗い。


「とっくに終わった。想があと少しで終わるから先に行って様子見ててってさ。お前なんか地獄に放置しても平気な顔で這い上がって来そうだけどな」

「地獄に行く予定は今んとこねえよ。お前どうせ行くんだろうから来世で土産話でも聞かせろや」

「嘘ついてんのはお前だろ。舌引っこ抜かれちまえ」


 思わず夏輝の顔を見る。そうだ、夏輝は気づいているかもしれないって、ハルが言っていた気がする。でも嘘ってなんだ。


「お前、俺が気づいてねえとでも思ってんの?」


 黙りこんだ俺に夏輝はそう言って片眉を上げて、もう片方の眉を下げる。だけどどこか、寂しげな目で。

 ああ、確かハルもこんな目で俺を見ていた。やたら似やがって、本物の兄弟ってやつは。


「……ハルが、お前はわかってるかも、って」

「ああ。俺はさいしょっから知ってた。だってお前、ばかみてぇなんだもんよ」

「最初から?」


 夏輝に言わせれば、四六時中想のことばかり構って甘やかしまくって、想が動けば俺の視線も後をくっついて、想が喜ぶことなら何でもやっちゃう俺は、どこからどう見ても兄弟の域を超えていた、らしい。

 そんなふうなのに想が俺に頼るといきなり背を向けて兄貴面していったい何がしたいんだと、見る度に腹が立って仕方がなかったそうだ。


「それにさ、家、出るんだろ?」

「ああ……」

「好きだから離れるんだろ。古くせぇよ、そーいうの」

「そうかな」

「そうだよ。流行んない」


 まあ確かに古臭いと言われてしまえばそれまでなのかもしれない。好きだから離れる、なんて使い古されたフレーズは、好きじゃない。好きじゃないけれど、いまの俺の心境にぴったりで困る。

 夏輝は唇を尖らせて、下からじっとりと俺を見上げる。


「責任取れねえなら最初から期待させんなよ。ずるいぞお前」


 夏輝はそう言って目を細めた。

 自分がずるいっていうのもわかっている。だから、俺はこんなにずるい人間なんだって想に教えてやりたい。だからもう、俺なんかに頼るのはやめろと言ってやりたい。


「お前、自分勝手なんだよ。お前のやってることは、捨て猫拾ってきてうまい餌やって散々懐かせてから、やっぱり飼えませんでした、って捨てに行くのと同じだろ」

「うわ、なにその例え。俺そんなことしないし」

「一緒だっつってんだよ。少なくとも想にとってはな」


 このまま掴んだ手を離さずに居ればきっといつか傷つけてしまう。だからと言って離れてしまえば、それもまた想を傷つけてしまうことになる。


「じゃー、どーすりゃいいんだよ……」

「知るか! そんなもん自分で考えろ!」

「なっちゃん冷たーい」

「気色悪い! なっちゃんとか言うな!」


 こんなふうに俺や想のことを心底気遣ってくれる仲間のこともきっと、傷つけてしまうんだ。

 本当は、誰かを傷つけることで自分が傷ついてしまうことが怖くて仕方がないんだって、わかっているけれど。


「夜は意外と冷えるな。あ、今日満月だ」


 夏輝が窓の側まで行って、空を見上げて呟く。頭を少し下げて覗き込んだら、真ん丸の月がきれいに見えた。

 かなり前だけど想に、月ではウサギが餅つきしてるんだって言ったら、月に生物はいないよ、と大真面目に返されてしまった。あいつは意外と夢がない。


「そーいやさぁ、こないだ兄貴に教えてもらったんだけど」

「うん?」


 夏輝はカラカラと窓を閉めながら、名残惜しそうに月を見上げる。振り返って、片手でクレセント錠を引っ掛けながら言った。


夏目漱石(なつめそうせき)は『I love you』を、月が綺麗ですね、って訳したんだってさ」


 かちん、と鍵が閉まった次の瞬間ポケットの携帯が震えた。想からのメールで、今終わったからすぐ行くね、と書いてあった。





 

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