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あの音を、もう一度。  作者: 真崎将生
雨の音
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第10話 かすかな痛み

 





 夕暮れの公園、噴水はオレンジ色の夕陽を受けて目に刺さるように光る。

 陸斗は神妙な顔つきで、絆創膏を僕の頬に貼った。耳元に置いた大きな手の指の間から、くぐもった風の音が聞こえる。ふいに手が離れて、夕方の喧騒が大きくなったように感じた。


「これをあいつらに取られて、追っかけっこ?」

「うん、そう」


 手紙を渡すと、陸斗は封筒の裏や表をじっくりと眺めてから、盛大なため息とともに呆れたような視線を僕に投げてよこした。遠くで、午後五時を告げるメロディーが流れる。

 公園のベンチの顔ぶれはすっかり入れ替わって、放課後の学生たちや犬を連れた老夫婦が、日没までの短い時間を思い思いに過ごしていた。


「ほっときゃいいのに、こんなもん」

「そういう訳にはいかないよ。大事な手紙だから、って言われたし」

「どうでもいい手紙だとは言わねえだろ、誰も」

「どうでもいい手紙なんかないよ。とにかく、ちゃあんと渡したからね。読んでよ。すごく、たぶん、気持ちが込められてると思うから。一生懸命書いたんだよ、きっと」


 家庭科室で、ぱたぱたと自分を扇いで照れを隠していた花菜ちゃんを思い出す。あの子はあの子なりにちゃんと気持ちを込めて書いたんだ。蔑ろにしていい訳はない。

 僕にはまだよくわからないけれど、好きだって気持ちはたぶん、とても大切なものなんだ。蔑ろにされてしまったら学校に行けなくなっちゃうくらい。


「読むよ……。読むけどさ、無茶すんなよ」

「うん、陸斗が居てくれて助かった。ありがとね」


 心配を通り越して不機嫌になってしまった陸斗に笑ってほしくて、僕の中でいっとうスペシャルな笑顔を作った。

 だけど陸斗は眉間に皺を寄せて僕を見下ろして、長いため息を吐いただけだった。それから、吐いたため息をまた吸い込むようにゆっくりと息をして、いつものように眉を下げて、僕の頬の絆創膏を指でなぞった。


「いたた……」

「お前さー、早く中学生になれよ。目ぇ届かなくて心配なんだよな」

「えー、そんなこと言われたって無理だし」

「意外と想って、長いものに巻かれたくないタイプだろ」

「そりゃ、長いには理由があるんだろうけどね。巻かれたくないこっちにも理由あるし」


 長いからって何でもかんでも巻けると思うなよ、みたいな反抗心がある。これはたぶん母譲りなんだろう。

 陸斗に言わせれば、こういう性格は色んな意味で損をするらしい。だけど僕は今のところ、自分で取り返せる損しかしていない、と思う。

 いや、陸斗には迷惑をかけてしまっているけれど。


「だから心配なんだよ……。もう、お兄ちゃん胃が痛い」

「あはは。お兄ちゃん心配性ですねえ」

「あれ、お前腕も血ぃ出てる。貸してみな」


 陸斗は僕の両腕を捲り、さっき濡らしたハンカチを裏返して軽く押しあてた。

 長めの前髪が、噴水から吹き返す風に揺れながらオレンジ色の光に透けて、伏せると案外長い睫毛にひっかかる。きれいに通った鼻筋に、すっきりとした頬。これってもしかして、イケメンってやつかも。そうか、そりゃモテるか。


「陸斗ってかっこいいんだね。知らなかった」

「は!? 何言ってんのお前!」

「何って、素直に思ったこと言ったんだけど」


 眉間に皺を寄せて下から僕を見上げる。こんどは意外と黒目が綺麗なことに気づいた。

 僕あんまり陸斗の顔見てなかったのかな、今まで。


「陸斗、モテるでしょ。今日だって、こんなだし」


 陸斗の膝に置かれた手紙の、はんぶん剥げてしまったハートのシールを指差す。陸斗は絆創膏の剥離紙を取りながらちらりと手紙を見て、うーん、と低く唸る。


「あれだよ、ハルのがモテるんだぞ。あいつ背も高いし、頭やたらいいし、金持ちだし。完璧だろ」

「のが、ってことは陸斗もやっぱそれなりにモテるんだ」

「ばーか。音楽できりゃそこそこモテんだよ。相場が決まってんの! ほら出来たっ!」


 絆創膏を貼り終えた陸斗はそう言って、僕の腕をばしっ、と叩いた。


「いてっ!」

「余計なことばっか言ってねえで、帰るぞ。あー、腹減った!」

「だって、花菜ちゃんは陸斗が音楽やってるって知らないよ。朝ちょこっと見かけてただけだもん」

「かなちゃん? 誰?」


 陸斗は、ベンチから立ち上がって僕のランドセルを自分の左肩にかける。受け取ろうと手を出したら、いいよ、と体ごと引っ込めてしまった。

 ふたり並んで、人の増えはじめた商店街を歩く。威勢のいい八百屋が大きな声でタイムサービスが始まったことをしきりに叫んでいる。

 陸斗は通行人を避けつつ、僕の歩くスペースを作りながら器用に歩く。陸斗の隣はいつも、居心地がいい。


「その手紙の送り主だよ。結構可愛い子だよ。色が白くて」

「知らねえなあ。可愛いつったって、小学生だろ」

「小学生でも立派に女の子だよ」

「残念ながら俺はまだそんな境地に達してねえんだよ」

「どんな境地なの、それ」






 翌日、陸斗は昼休みにわざわざ僕の学校までやってきた。朝、家を出るときについていた寝癖がそのままだ。洗面所で何度も寝ぐせ直しのスプレーをかけていたけれど、治らなかった。


「花菜ちゃんって、どこいんの」


 グラウンドでドッジボールをしていた僕にそう声をかけ、知らないと言うと、目が合ったそこじゅうの子に声をかけまくっていた。

 みんなが首を横に振って、仕方なくとぼとぼと校舎に入る。寝ぐせが気になるのかしきりに左手で頭を抑え、手を離すと、ぴょこん、と重力に逆らった髪の束が飛び出した。


「陸斗なに、どうしたの。もしかして昨日の返事?」


 クラスメイトにボールを渡して、追いかけた。視界に、小倉を含む三人組がグラウンドの隅で慌てているのが見えた。


「そーだよ」

「なにもわざわざここまで来なくても僕、伝言したのに」

「だっておめぇ、気持ちが込められてるって言ってたし。だから俺もこうやって誠意をだな」


 一生懸命に気持ちを込めて書いた手紙なんだから、ちゃんと返事してやんなきゃ。陸斗はそう言って、がしがしと階段を上っていった。


「陸斗! 花菜ちゃん三組だって言ってた。教室わかる?」

「おー」


 何だかこれ以上追いかけるのも悪い気がして、上っていく背中を見送った。逆光で陸斗の姿がだんだん見えなくなる。不意に、胸の奥がちくりと痛んだ。


 僕はいつかこんなふうにして、誰かの元へ行ってしまう陸斗の背中を見送ることになるんだろうか。

 今は僕に惜しみなく注がれている優しさも暖かさも、誰かのものになるときがきてしまうんだろうか。そのときに僕は笑って、心から祝福してあげることが出来るんだろうか。

 痛んだ胸の奥。その痛みの意味がわからなくて首をかしげたら、こきん、と小さな音が鳴った。





 

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