北の国から・3
ケブラフ北の関所では、配属された総監騎士と兵士たちが口を開けて呆然と空を見上げていた。
今まさに、はるか上空をムドラの塊が通過しようとしているからだ。
何百何千ものムドラが宙に浮き、一まとめにされたような塊を形成していて、それがその集合体のまま移動している。推進力も何もわからない。
それでもあれをこのままケブラフに行かせてはならない、と誰もが感じていた。
「有効な魔法は見つかったか!?」
険しい表情の騎士が見張り台から魔砲台へと叫ぶが、砲手たちは全種類の魔弾を前に首を振る。
「ダメです、火も水も光も、命中した個体が死亡もしくは落下するだけで、進行は止まりません」
「即死させられない技術や魔力の者は手を出さない方がいいかと。あの高さから落下したムドラは死にますが、それは下にいる人間も同じことです」
関所の柵付近にムドラが落ちた地点にはクレーターが出来ている。あのムドラは幻影などの類ではなく、通常個体だった。
「ケブラフに使いは!?」
「もう到着している頃です!!」
「……上空を通過する!各員魔防壁の中へ入れ!」
関所の全員が一旦の対処を諦めて、不測の事態に備えてシェルターとして用意されている魔方陣のうち、一番近いものの中へ入って備えた。
「なすすべないのかよ……!」
悠々と塊は関所上空を通過してケブラフ方面へ進んでいる。関所やそこにいる人間には向こうからのアクションは何も無い。ならば狙いはケブラフか、と騎士は最初に魔防壁の範囲から出て叫ぶ。
「街までは民家も無い!少しでも数を減らすぞ!砲手、持ち場に戻ってくれ!」
関所から放たれる魔法とそれを受ける塊はケブラフからも見えていた。伝令から情報を受け取ったケブラフ駐留騎士たちは砲火の度にボロボロとムドラが落ちて、ほんの少しずつ塊が小さくなっていっている様子も確認できていた。
「地道にこうして外殻のようなムドラを剥がしていけば……」
誰かが言った言葉に、誰もが疑問符を浮かべる。確かに、あれは外殻なのだ。そのように見える。
では中心に何かいるのか?
そしてあるムドラに砲弾が命中し、連鎖的にその一角のムドラがバラバラとこぼれるように落ちていく。地面に落ちた衝撃音がいくつも聞こえてきて、塵になり消えていく。
一瞬空いたムドラの壁の穴から、何かが這い出てきた。
ゾンビのような風貌のドラゴンだった。
肉が腐っていて、骨が見えていたり、カビのようなものが生えている部分もある。そのため全体的に赤黒くありながら濁った緑の斑点が不気味な印象を底上げしている。
そして両翼だけでなく、背中にヒレのようなもう一枚の翼があった。
穴から滑り落ちるように出てきたそのドラゴンはその三枚の翼を広げ、腐肉をまき散らしながら街の上を飛んだ。そしてあっという間にテントに降り立とうとするが、バリアに阻まれた。
「マナの爆発等に備えて事前に貼っていたバリアです。街の各所には防護壁の魔方陣もあるのでしばらく持ちこたえてくれることを祈りましょう。その間にガラクテア様、何かわかることは」
「とくにない……」
テントの中で身を低くしていた四人は、膝を付き合わせて話し合いを開始したが、すぐさま座礁した。
「とくにないのかよ!何竜かは」
「わからん」
いっそ清々しいほど申し訳なさが無い。
「何が狙いだ?」
「恐らくじゃが、このマナじゃ。おい仮面の男。これを凝固し安定状態にしろ」
「はいただいま」
地面に落ちたままだった萎んだマナを、アルジェンは拾い上げた。
彼の魔力がマナを包むと、大きな飴玉のような透き通った丸い玉になり、それをさらに二十角形の青い魔力でコーティングした。
それを受け取ったガラクテアは、嫌そうな態度を隠しもしないで低い声で唸る。
「妾がこれを一時的に体内に保管する。おっと、このマナは流石に喰らおうとは思わんぞ、絶対やばいことが起こるじゃろうし。そして妾たちは街から離れる。奴らはこれを追ってくると思うから、総監騎士を集めて平地でドラゴン退治じゃ!」
「わかった、じゃあ」
まとまったところでアエミリアと中年の騎士がテントに飛び込んでくる。綺麗にまとめていた金髪がところどころ乱れているいて、事の重大さが見て取れた。
「さーせん緊急事態につき不法侵入!あのさぁ、外の……」
「それなら把握してる!騎士全員になるべく伝達!これからオレたちは敵を引き付けるために街から出る、だから」
シトロンの言葉を遮るように、バリアにドラゴンがぶつかり地震が起きて、全員その場につんのめり倒れる。テントの外からも何かが崩れる音や壊れた音が聞こえている。
「……あれ?」
アルジェンは起き上がると、自分の身体をぺたぺたと触る。
「あー!あの!ともかくじゃ!決戦の地はどこがいいんじゃ!?」
あからさまに動揺するガラクテアだが、今はツッコミを入れる場合じゃない。
「南!この通りはまっすぐ南平原に続いております!そこには基地などの備えがあるし、街からの砲撃も届きます!我々が護衛します、どうぞ!」
テントを開いた先に見える道を騎士は指さした。長い真っすぐな道の先に、確かに建物が途切れて緑色が増えていっている。
「この人この街のわりと偉い騎士だから多分言うこと聞いた方が良い感じ!!」
「わかった、オレたちは移動する!頼んだぞアエミリア!あとビカラと館の研究員も頼む!」
一瞬だけアエミリアの目が泳いだ。そしてシトロンを見つめ返し、小刻みに頷いた。
「……総監騎士と協力とか、ほんとはマジで嫌だけど、頑張る……」
アエミリアは館へと走り、シトロンたちもすぐに南へ向かうため出発する。
その間もドラゴンは何度もバリアに身体を打ち付け、街のすぐ上に腐肉が飛び散っていた。そしてその飛び散った腐肉が徐々にバリアを溶かしていく。
時間の問題だ、とシトロンは敵の観察よりもこの場から離れることを優先した。
「港の方は!?」
交易街と接岸街の間には整備された道路が通っているが、街中からはそれは見えない。
「姫たちもオレらの異変には気づいているとは思うけど、合流はどうすかね」
「ガラクテア様がいるからその縁を辿ることができます。竜と契約者は互いの存在をいついかなる時にも感じることができますからね」
「え、知らん」
返事をしたのはシトロンだが、ガラクテアもそのような顔をしている。シトロンはつい「いやお前も知らんのかい」と投げかけてしまい、銀河の女王は笑って誤魔化した。
「走りながらでもお教えしましょう!ビームを撃つ時の力の流れを薄く細く束ねて一本の線を創るイメージをしてください」
アルジェンの指示通り、走りながらそのようにしてみる。自分の内側の深く、それよりも深く、裏側。それがビームを撃つ時の力の根源のようだった。そこから光をつまみあげて伸ばしていく。そうしていると、自分とガラクテアを結ぶ白い糸が途切れながらも見えてきた。あまりにも細く輝くために途切れがちに見えるが、確かに二人の間に存在している。
そしてあと二本、ガラクテアと自分から出ている白い糸が同じ方向へと伸びているのも確認できた。三人を繋ぐささやかだけど輝かしいその絆のようなものを、シトロンはしっかりと見ることができたのだ。
「……レウカも南に移動している!」
「すげぇ!わかったのか!」
コウジロウの素直は褒めに気を良くした瞬間、意識が逸れたのか糸は見えなくなった。
「三人で契約しているからでしょうか、面白いですね。複数契約者の感覚にはいまいち疎いので今度研究にご協力ください」
「……ん?その言い方だとまるで」
街の中央にある市庁舎の前にさしかかった一行であったが、窓から空を見ていた市民の叫び声に思わず振り返り空を見た。
空には、ムドラの塊が市庁舎塔にぶつかる直前の光景が広がっていた。
あ、と声を出すよりも先に、いっそスローモーションのようにムドラたちが高い塔にぶち当たった。塊から何体ものムドラが弾け飛ぶ。
最初こそ魔防壁で耐えていたものの波のように次から次へと質量のある生物がぶつかるため、ついに魔防壁が壊れて塔そのものに直撃した。
市庁舎からレンガがはじけ飛び、散弾のように降り注いだ。
「術者はシールドを張れ!!!!」
中年騎士の号令で騎士や兵士たちはシールドを上部に展開した。バリアは円形に自分を中心として発生し魔法攻撃に強く、シールドは好きな場所に一面の壁として発生できて物理攻撃に強い。そして両方の性質を揃えているのが多角形に展開する魔防壁だ。
カレンシアの各都市にはイストリアの力でそれが常時張られており、人間たちや他のドラゴンが魔方陣などでそれを管理している。あのムドラアタックは物理的な攻撃なのだろう、だから耐えきれず壊れてしまったのだとシトロンは理解した。今は一時的に都市が丸裸になった状態だ、降り注ぐ瓦礫の雨から守ってくれているシールドが割れませんように、と願うことしかできない。
だがすぐにその石の雨は止んだ。すぐさま魔防壁が張りなおされだようだった。しかも低い建物に沿って展開されているため、破片やムドラなどはその壁にあたり、上空に堆積していく。常に魔力を帯びているためか、魔防壁に接している全ての事物は徐々に溶けるように消えていっている。
ムドラはシールドや魔防壁に当たって圧死したり、地面に落ちて墜落死したりしても、まだ大勢生きている。しかも奴らは内側に落ちているのだ。元々区画封鎖をしていた騎士たちが街にいたためん、すぐさま彼らは武器を持ちムドラの制圧に乗り出した。
市庁舎周辺で戦闘が始まった。それを間近で見たアルジェンは三人を振り返る。
「私は街に残ってムドラ退治と怪我人の治療に」
「いいや駄目じゃ!」
会話の途中で勢いよく否定したのはガラクテアだった。え、と困惑する彼に対し、慌てふためきながら言い訳をつづけた。
「えーと、総監騎士との連携にはお主が必要じゃろう!?それに今この場には魔法を使える者がお主一人じゃ、シトロンとコウジロウでは心もとない!」
「まぁ確かに」
「オレら的にもいてもらえると超助かるんで……」
ガラクテアの状態異常は説明がつかなくても、言っている内容は事実である。騎士たちが随伴してくれているとはいえ見知った成人男性がいることだって心強い。
「それもそうですね、わかりました。及ばずながらもお三方をお守りいたしましょう」
「みなさま、どうか今の隙に」
騎士が四人にそっと話しかける。武器とムドラの角がぶつかりあい怒号と咆哮が響き合う中、一行はそそくさとその場を離れて走りだす。振り向かなくてもわかるくらいに、ムドラは四人を追いかけようと身を翻している。
店舗の上から飛び出してきたムドラを躱して、上空から落ちてきた瓦礫をシールドに任せ、何処からか飛んできた魔法や折れた武器を建物の影でやり過ごし、ひたすらに街の外を目指す。
街の門のすぐそばまで走り抜けた一行は、ほっと息をつけた。
「門さえくぐれば……!」
走る一行の頭上を、大きな影が通り抜け腐肉をまとう姿を人間に見せつけた。
あのゾンビドラゴンだった。
テントを襲ったゾンビドラゴンは再び一行を追いかけるため空を飛んだ。そして低く滑空したかと思いきや、目の前の門にぶちあたり、周囲の建物をなぎ倒して道を封鎖してみせた。
砕けた資材や破片が爆発したかのように一行を襲う。咄嗟に展開したアルジェンのシールドに、騎士も含め全員が守られた。コウジロウの真ん前に尖った岩扉の破片が飛んできて、彼の肝を冷やす。
瓦礫が散乱し、街の外へ行くには隣の通りまでまた走るか、崩れた家屋を乗り越えていくしかない。だがそれを相手は許してくれないだろう。
すぐに起き上がったゾンビドラゴンは、曲がった首の骨を四人に向けた。
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