関所の謎の影・4
「ふんっ!」
力強い掛け声とともに、アナトは曲がって倒れた鉄の扉の破片を持ち上げた。折れた隙間に丸まっていた兵士は安堵しながら急いで外に出る。
「まだ混乱しているわ。けが人も多い」
「助けが必要なのはわかるが、早く追わないと」
ムドラに率いられた野犬の群れは、もう関所からは見えなくなっていた。
「どんどん離れていってます。北の方へ蛇行しながら向かっていますね」
「わかるの?」
「お姉様もですか?運命ですね!」
レウカは荒れた関所の様子を観察した。重傷者はいないようだ。
「アナトとベルはここで手伝いを。私たち四人で追います」
「え!?でもあたしはあんたの」
「今ここに必要なのは統率の取れる者です。それと話も聞き出してもらいたいの。私がいては委縮させてしまいますからベルにこの場を託したい、頼めますか?」
「……そういわれると、うん」
彼女の騎士は不服そうであっても、最後には折れた。
「わたくしは構いません。必要とされている力を持っていますもの、ここで存分にふるいますわ。だからみなさまお気をつけて。レウカ様に怪我の一つもあったらあなたたちの四肢をねじります」
作業を続けながらのアナトは、ハニーベルと違いレウカの願いをすぐに聞き届ける。
「お任せあれアナトお姉様!」
「こいつアナトに媚びを売った方が良いってことにきがついたのね」
「オレたちは戯れに首の骨を折らないもんな」
「わたくしも戯れに首の骨は折りません!!!!」
関所の兵士用の馬車が無事であることを確認し、街道まで二頭の馬を歩かせる。さっきまでのドンパチで怖がっているかと思いきやどちらもリラックスしており、おとなしく一行の言うことを聞いた。
馬車は小型の、ホロも無い荷台がついただけの簡素なものである。だがそれゆえにスピードの出るタイプだ。二頭繋いであることから、元々機動力の高さを目的としていたものなのだろう。
「妾の言うことを聞くのじゃ馬どもぐがぁぁぁぁぁ!」
馬に頭を思いっきり噛まれたガラクテアを荷台に放り込み、シトロンは馬の手綱を握る。
「運転が?」
「できるんだよな、これが。王家のたしなみというやつさ。乗ってくれ!」
鞭を打つと、馬たちは静かに走り出した。人に慣れている。あの群れは明らかにドラゴンを強奪してからの速度は落ちていた。恐らくドラゴンを落とさないように走行しているからだと思うと、馬のコンティションも含め思ったよりも早く追いつけそうだとシトロンは安堵した。
街道以外も走りやすい草の短い平野であることも一向にとっては追い風だった。
「このまま真っすぐお願いします!」
隣に座るレウカが指をさしながら方角を教えた。
「でもなんでワンコローを?」
「ムドラは成り損ない、つまり奴らの目的は”成る”こと。魔力を得て本来自分が至るべき存在に成ろうとしておる。今回は手ごろなドラゴンがいたからじゃが、通常は土地や人を喰らって力を得るんじゃ」
「えー、そもそも成り損ないとはなんです?」
荷台に座った二人はしっかりとへりを持って振り落とされないようにしながら言葉を交わしていた。ビカラの問いにガラクテアは珍しく真面目な顔で講義のように答えた。
「原型からずれて設計図通りにならないことじゃ。人も物も植物も、命あるものも無いものも名前があるものは似た形をしておろう。それが原型。
机なら四本の脚と天板があって物を乗せやすい形、椅子なら人が座りやすい形といった具合じゃ。そういう原型があるからこそ三本足の机や拷問用の座りにくい椅子というアレンジが効く。
じゃが天板も無く物も置けず四方八方に脚だけが生えている物体を机とは呼べないじゃろう。ムドラとはそういう様々な理由でドラゴンとは呼ぶことができない失敗作を指す」
ガラクテアは星空のような瞳で、見えてきた群れを捉える。だがそこには何も映ってはいないような瞳だった。
「ドラゴンの原型とは見た目の形のことではないのじゃ。役割を司れるかどうか、それが全てじゃ」
「それで、天板の無い机は天板を足せば机になれるのか?」
シトロンは振り向かずに尋ねる。いいや、とガラクテアは即座に否定した。
「妾のした例え話を採用するならば、なれんじゃろうな。なんかよくわからんものの上に板を置いただけのものを机と呼びたいなら、一人二人は呼んでくれるかもしれないがな。呼び名がついただけでそれに成れるなら問題などこの世にはない。
姫と呼ばれるだけでは姫にはなれない。お主らはそう生まれついた者たちとしての責任と矜持があるが故に知っておろう」
そう言われると飲み込むしかない。三人からはもう反論できなかった。
「ムドラは倒されるしかないのか?」
「存在する限り、他者の魔力を奪い自分一人の完成を求め続ける、言葉も思考も持ちえない化け物じゃ。そもそもの話、いらんじゃろ」
冷たい声だった。馬車に頭をぶつけたり馬に嚙まれたりして喚く声とは根本的に違う。きっとこれが本当の彼女の声なんだろう。高い所におわす、万物を創る竜。今は沢山のよくわからない問題が多大に絡み合って、地上に落ちてきただけ。
「確かに」
だからシトロンは、そう相槌を打つにとどめて鞭を打ち、犬の群れに並走を始めた。
馬車は群れに完全に追いついた。周囲を走る犬たちが馬車に体当たりをしかけ、脱輪させようとしてきた。一匹目の軌道に気がついたレウカが、先んじて馬車全体にバリアを張った。
ぎゃう!と短い悲鳴を上げて犬たちが距離をとる。賢い犬たちだった。その犬の壁の向こうに頭の上にワンコローを乗せたムドラが走っている。
「これで体当たりは防げますが、犬を轢くわけには」
レウカは人道的に言っているが、シトロンの考えでは轢いた犬の死体が馬の脚や馬車の車輪に引っかかると大事故が起こるという理由で、結論は彼女と同じで轢きたくはなかった。
「ワンコロー!犬たちを眠らせなさい!」
どうしたものかと二人が考えていると、大きく身を乗り出したビカラが群れの先めがけて叫んだ言葉が耳に飛び込んでくる。
「忘れたんですかぁ!?あなたは眠りを司るドラゴンでしょうが!」
「おい待て、そんな強いドラゴンなのかあれ!?」
その問いにビカラが答えるより早く、ムドラの上で跳ねるようにされるがまま連れられていたワンコローの羽が、パタパタと動いた。
それだけで周囲の犬が次々とその場に倒れていく。
「何はともあれ助かった!」
犬たちの横を駆け抜けて馬車を走らせる。犬たちはみんなすやすやと眠っているだけで、怪我をさせなくてよかった、とレウカはほっと息をついた。
ムドラは自分が不利になったとわかっているようだった。追っ手を引き離そうとして、平野部から少し逸れて大きな岩が目立つ地域に突き進んでいく。
そして川の前でぴたりと止まった。左右に逃げるでもなく、水の前でおびえたようにウロウロと足踏みをしていた。シトロンたちは十メートルほど離れたところに馬車を止めて飛び降りた。
高低差のある川沿いで左右は段差であり、すぐさま登れはしない。ムドラは来た道を帰るしかないと振り向いた先にシトロン達を見つけ、退路を塞がれていることに気がついたようだった。
「水が怖いんじゃ!うおぉぉぉ!!!!」
ムドラはガラクテアに真っすぐ飛んできて腹にタックルし、彼女を吹き飛ばした。すかさずシトロンは鉾槍で斬りつけたが、表皮が硬く刃が滑る。柔らかい一点に刺突だな、と考えて一歩離れてレウカの前に戻る。
ぶち当たった衝撃でワンコローも上に跳ね、ビカラが落下地点まで走りキャッチに成功した。
「回収!」
「じゃあ倒すだけだな!レウカ!バリア的なもんを頼む」
「はい!」
準備も何も無しに、四人と一匹を完全に囲む強固なバリアが張られた。それに突っ込んだムドラの頭の角がバキリと折れ、ムドラは悲痛な声を上げる。
「……このバリア、一部だけ射出できない?」
「そんな器用なこと……なるほど」
レウカが杖をカツン、と地面に当てるとバリアの一面だけが切り離され、ムドラに向けて飛んでいく。ムドラはバリアに弾き飛ばされ、身体側面の強固な表皮に大きなヒビが入った。
「デバフならお任せを!」
ぬいぐるみのようにおとなしいドラゴンを両腕に抱いたままビカラが魔法を使うと、縫い付けられたように一瞬ムドラの動きが止まった。
「ナイスぅ!」
すかさずヒビの隙間に鉾槍を突き立てて突進し、手ごろな岩に叩きつける。
「そのまま貫け!竜を否定せし蒼鉾槍!!」
穂先に魔力を集中し、エネルギーをその場で放出した。青い光とともに重い一撃が放たれ、力んで踏ん張った足元が沈む。そうして岩ごとムドラを粉砕せしめた。
金切声を最後にあげてムドラは塵のようになって消えていった。
完全な消滅を見届けてから、シトロンは得物を下げて目線を動かし周囲を確認する。
「みんな無事?怪我をしたなら治します。ガラクテア様も今見ますね」
「あぁよい、妾がそちらへ行く……」
ガラクテアはピンク髪についた土を軽くはらい、ゆっくりと飛んで戻ってきた。
「平気ですお姉様!ワンコローは?」
ワンコローはビカラの腕から脱出し、ガラクテアに駆け寄る。もちもち、という効果音が聞こえてきそうなその動きに、レウカは自然に笑みがこぼれた。
「あら優しい」
そしてワンコローは、トップスピードを保ったままガラクテアにタックルをかました。
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