関所の謎の影・3
「ここに住んでいるのはもう二世帯だけ。みんなケブラフに移り住んだからね」
集落に移動した一行は、ちょうど外で掃き掃除をしていたおばあさんにトイレを貸してもらっていた。そのついでに客人にお茶を振る舞いたいというおばあさんの厚意に甘え、がらんとした広い部屋で紅茶をいただいていた。
「まさか先月の妖怪井戸壊しの娘さんがわざわざ訪ねてきてくれるなんて」
先日のすったもんだを思い出すように目を細めた老婆に、ハニーベルはなんともいえない表情を浮かべるしかない。
「やーいお前の親父妖怪呼ばわりー」
乱闘の気配がうっすら漂う中、板目が軋まない軽やかな足取りでビカラが戻ってきた。
「トイレありがとうございました。人権を失わずに済みました」
「あらあら良かったわ、じゃあこのハーブティーを飲んで。あの草の毒素を和らげるの」
お客様用の可愛らしいカップに、暖かなハーブティーが注がれる。ビカラは礼を言いながら手に取り口をつけた。
「美味しい!」
明るくなった彼女につられてみんなも笑顔になった。
「まぁ腹部で対消滅する効能だから、どっちみちもう一回トイレに行かないといけないけど」
「助けてもらってなんですが糞ばばぁ!!!おトイレ借ります!!!」
ゲラゲラと笑う老婆に悪態をつきながらビカラはダッシュでトイレに走っていった。
「妾とキャラがかぶってないかの?」
「ヨゴレなところだけだろ」
「それにしてもビカラさんから話を聞くチャンスがないですわね」
「ドア越しに聞くか」
「やめてあげて!!!あの、おばあさん、この辺りで最近野犬の群れが多くみられているというのは本当でしょうか」
「一週間くらい前からね。そうそう、確か関所が慌ただしくなってからよ」
やたらと頻発する関所のワードに全員が反応した。
「詳しくお聞かせくださいな」
おばあさんは記憶を追うように上を見て、そうそう、と語りだす。
「ここには週に一度、関所の人が配給品を届けてくれるのだけれど、時間になっても来なくてね。繁忙期はわたしたちが取りに行くから今回もそうしようとしたの。そしたらいつもは開いている正門が閉まっていて、中を兵士さんたちが走り回っていたの。勝手に持って行ってください!っていつも礼儀正しい兵士さんに言われて、邪魔しないように配給品だけ受け取ったんだけど、それには動物の毛がついていたの。見たことのない黒い硬い毛だったわ」
「初耳です。何か報告があれば騎士が対処しているはずですが」
レウカの問いに老婆は首を振る。
「騎士様は先月の井戸壊し以来見てないわ」
「記憶に残りやすくて助かるな」
「時系列がわかりやすいですわ」
「わざと持ち上げないでくれる?」
「野犬!その野犬も最悪なんですよ!」
またもや廊下から登場したビカラが、思い出し怒りをしながら席に戻る。
「おトイレからおかえり」
「韻を踏まないでもらえます?一週間前あの関所を通ったわたしに、あの兵士たちは書類を確認して言ったんです。このペット、ちょっとカレンシアへの持ち込みは……って!」
「外で言ってたワンコロってやつか」
つまりビカラは、恐らく犬であろうワンコロ殿が関所の検査に引っかかって取り上げられてしまったのだ。不幸であり不憫ではあるが。
「動物の検疫はしっかりとしないといけないから……って待って。もうそれって終わっているはずじゃない?関所は関所であって国境ではないのだから」
「はい!そもそも父さんがちゃんと事前にイストリア様と書面等でやり取りして許可とって持ち込んでます!港でも国境検問所でもオールOKでした!なのにあの関所じゃ止められたんですよ!?」
ハニーベルは記憶を頼りに検疫について考える。フアノアが西の海洋国家でケブラフ経由で王都に行こうとしたなら、恐らくガレッドルの港からユク大陸に上陸したはずである。するとそもそもガレッドルでの検疫をパスし、その後ケブラフで改めてカレンシアの検疫をクリアしているはずなのだ。
書類の不備等や直近で入手した危険物の所持、および直近で発生した事件により関所で止められることはあれど、何種類もの検疫を合格した外国の特権階級のペットを”たかだか関所ごとき”が取り上げることも、その期間が一週間というのも明らかにおかしい。
「えぇ、うん。ありえないわ。関所に文句を言っていい案件よ」
「検査が終わったら王都に届けるとか言うので、逆に終わるまでここに居座ってやる!と思って」
「一週間サバイバルを!?」
「ガッツがありすぎる……野犬に襲われたりしなかったのか?」
「野犬が襲うのは関所だけですよ。一日中走り回って土地から魔力を吸い上げて、一定量溜まったら関所にぶつけにいくんです。だからうるさいったらありゃしない!でもあの鉄門とそれに施された魔術加護がだいぶ弱まってきていましたよ!次で破られるんじゃないですかぁ?」
ビカラは得意げな顔になる。まぶたの裏で野犬に襲われてわーわーと騒いでいた兵士たちを思い出し、胸がすく思いになった。
「関所を襲ったんですの!?」
「知りませんでした……」
驚いたのは調査隊だけではなかった。おばあさんも目を丸くしている。恐らく情報をくれた商人も辻馬車の運転手も知らなかっただろう。知っていたら話の流れて言ったはずだ。
「こんな近くの住民も商人も知らなかったなんて、よほどの箝口令が敷かれているとみた」
「関所に行くしかないわね。色々と説明を」
その時、遠吠えが響いてきた。やる気と決意に満ちた号令のようだった。
「おいおい夕方にもなってないのに活動か?本当に犬なんだろうな」
「おばあさんは家から出ないでください。ビカラ姫、怖いでしょうけれど」
「一緒に行きます!お姉様と一緒なら怖くありません!」
「こいつぅ!」
家から出ると街道を突っ切って関所に走る黒い影の集団が、ちょうど目の前を走り抜けていくところだった。
「犬じゃな。ここまで近づけばわかる。じゃがその先頭、群れの長を見よ!」
ガラクテアが指した先には、黒いムドラがいた。二メートルほどの小型のムドラではある。頭部がナイフのように尖り伸びている。全体的にほっそりとした流線形で、犬よりも不格好な四つ足であっても風のように走り抜けて真っすぐ関所へ突っ込もうとしている。
「走っても間に合わん!というか近づいたら轢かれそうで嫌じゃ!お主らだけでいけ!」
「そうは言っても行かなきゃいけないだろ!」
全員武器を手にして、追いつけないとわかっていても街道を走り関所へ向かった。関所からも群れの突進は見えていた、いや備えていたようで、鉄の門を閉めている。その門に青い魔方陣が浮かぶ。
「あれなんです?ドラゴンの一種ですか?」
「ムドラだけど、フアノアにはいないのか?ドラゴンになり損ねた魔物だよ」
「そんな怖いものがいるんですか?お姉様がいなければなんの良さもない大陸ですね」
「私の比重が多きすぎないかしら」
「変なこと言ってるってのはわかるのか」
ごちゃごちゃと言っている間に、ムドラが関所にたどり着いた。そして鈍く光る黒いボディーで鉄のに勢いよくぶちあたった。直前に魔方陣が輝きを放ち、それを防ぐ。……ように見えた。
ガシャン!とガラスが割れるような音がして、魔方陣が砕ける。ムドラは勢いのまま鉄の扉に突進し、扉はいとも簡単にひしゃげてしまった。
門や柵に隣接した扉が曲がったために、門柱や見張り台も強く振動し、あるいは折れて崩れた。
その隙間からムドラと犬たちは関所の中に侵入し、叫び声がいたるところから聞こえてくる。
「助太刀するっきゃないわね!まずは犬を蹴散らすわよ!」
「待った、ムドラが戻ってきたぞ」
見張りの犬たちを相手にする前に、また隙間からムドラと犬たちが出てくる。だがムドラの長い頭部の上に、まんまるとしていて手足の極端に短い、どこかもちもちした謎の生き物が乗っていた。
柴犬のようなカラーリングのそれには、角と短い羽根が生えている。
「あれじゃ!あのドラゴンがムドラたちの目的だったんじゃ!」
「あれドラゴンなの!?」
「ワンコロ!?」
「あれワンコロなの!?犬じゃないのかよ!」
「え、わたし犬って言いました?」
困惑するビカラに、更に困惑していたみんなは記憶をたどり、首を振った。
「……言ってないですわ!」
そうこうしている間に、群れは集落とは逆の平野へと走り出す。統率の取れた獣のスピードには敵わず、群れは瞬く間に見えなくなってしまった。
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