賢者による授業その一・その名は隣人
「ある意味私たちが女王であれと彼女に押し付けているのではないか、とこの前議論しましたね」
レウカはどうやら普段から賢者と随分高度な会話をしているようだった。シトロンはこれについていけるようになるには長い時間がかかる、と遠い目をするはめになった。
「そうだね。未だに私は彼らの自由意志を疑っている。彼らは私たちが”そうあれかし”と願うからそういうロールをしているのではないかと」
「ガラちゃんとか滅茶苦茶自己主張激しいけどな」
「我儘に振る舞ってほしい!と頼まれて我儘に振る舞う役者がいるとして、それは演技だよね。我々観客が、役者が舞台から下りて休んでいる時に立ち会ったことがないだけだとしたら?」
「……確認しようがない」
「それも正解だ。誰だって一人の時の誰かに立ち会うことは出来ない。二人になるからね。当然だね」
「基礎知識じゃなくて思考実験でなくて?」
アナトも腕を組み唸りだした。
「幼年学校じゃないし、色々求めちゃうよ。じゃあシトロン君、今のこの五柱の状態は」
「状態?えー、ガラクテアは力を無くしてカレンシアにいて、えーと……え?待って、マジでこれ基礎知識?」
「はーい、先生!あたし!はーい!」
答えられないライバルを見てにっこにこの笑顔で手を挙げるハニーベルに、シトロンは勉強しよう、と過去一番強く思った。
「わたくしもそこまでは習っておりません」とアナトも注釈をつける。
「ガレッドルは貴族階級でもそこまでの学習は行わない、と」
「貴族制度は廃止されましたわ」
「言葉の綾だよ。じゃあハニーベル君」
満を持して騎士見習いは自信に満ちた声を響かせる。
「アクアは死亡し休眠状態、グラツィアルは引退、ソラールは療養でそれぞれ所在不明、ウラノスは唯一現役として他の四柱の分もこの世界の管理をしている、です」
「よろしい。メドーの件で知っただろうけれど、ドラゴンは人間でいう死に近い状態に陥ると結晶化して休眠状態に陥る。いつかは目を覚ますとはいえ私も目覚めたドラゴンは見たことがない。多分数千年のスパンが必要なんだろうね。我々にできることはメドーの安らかな眠りを願うことだけさ」
メドー。レウカとハニーベルだけが会えた、すぐに眠りに落ちた枯れ葉の身体のドラゴン。
話を聞いただけの残りの二人もそのドラゴンのことを考えると、しんみりとした気分に陥る。
「ここで特別ゲスト。針に糸を通すことを司るドラゴンです」
その空気をぶち壊すように、賢者は教卓の下からバスケットを取り出して机の上に置いた。
「針に糸を通すことを司るドラゴン!?」
バスケットの中にはふわふわの毛布と、ネコくらいのサイズのよぼよぼとしたドラゴンが入っている。ドラゴンはかすかに顔を上げて四人を見回した。四人はなんとなく挨拶するように頭を下げた。するとそのドラゴンはわずかに目を細めた。目が合ったシトロンは、そのドラゴンが嬉しそうにしている、と感じた。
「お年なんだよ」
「……何故ゲストを?」
「君たちガラクテア様とかイースとかレクエルドみたいな強大なドラゴンとばかり会っているようだ。ドラゴンは本来、もっと身近な生き物なんだよ。我々のただの隣人なのさ」
チョークがまた勝手に動き、古い家屋のイラストが描写される。その絵の中には様々なところにドラゴンが描かれていた。
「昔ドラゴンは一家に数匹いたという。暖炉の中、洗い場の上、玄関で寝そべり家人の膝の上で丸くなる。屋根裏にはちょっと大きいのがいて庭なんてただの寝床だった。そして村全体を包み込むようにまどろむ守護竜がいた。今彼らはみんな、人のいないところで暮らしている。自由に終わることができないから、いつかを夢見てじっとしているのさ」
ハニーベルは、メドーのことを再び想った。目の前で眠りについたドラゴン。いつか上位存在により目覚められさせる命のことを。いつかを夢見て隠れるようにじっとしていながら、それでも人の傍にいたかった、いじらしい寂しがり屋の命のことを想った。
「どこかでこういう、ただそこにいるドラゴンを見かけたら犬や猫と同じように話しかけてみて、鬱陶しがられたら構いすぎないでそっとしておいてあげてね。私の今日の授業はここまでだ」
賢者のローブから再び白蛇が頭を出す。よくみると頭にミノカサゴの胸ビレのようなものが生えていて、まるで羽のようだった。
もしかしなくてもあれもドラゴンなのかもしれない、とシトロンは見当がついた。賢者はバスケットを大事に持って、白蛇の頭を指先で撫でた。
「じゃあね」
「ありがとうございました!」
扉が勝手に開き、賢者はゆったりした足取りで廊下に出て、すぐさま足音が消えた。
見に行ってみると、もう姿は見えない。
「お城に戻ったようです。お忙しい方なので」
「なんか、オレの知ってる魔法使いとは格が違う感じがするな」
「そういえばガラクテア様はどちらに?」
「多分気を使って部屋でお休みになられていると思うわ」
「まぁやりにくいだろうな」
片づけを行い廊下に出ると、その噂の銀河の女王が倒れている。
「ガラクテア様!?」
レウカが駆け寄るまでもなく、原因はわかった。ガラクテアの頭のてっぺんに二十センチほどの縫い針が刺さっていたのだ。
「針に糸を通すことを司るドラゴンの仕業か!?」
「う……その通りじゃ……針に糸を通すことを司るドラゴンが……”置き針”をしかけたんじゃ。設置技とは小癪な真似を……!」
「それはもう針技を司るドラゴンなんだよ」
「それか設置技を司るドラゴンでもいいわね」
「もうなんでも構わん!いいか人間ども!こんな目に会いたくなければ身の程を弁えるのじゃ。つまりは軽率にドラゴンどもに近づくでないぞ!?」
ガラクテアはわぁわぁと泣き喚いてはレウカに慰められている。だがシトロンは彼女の意見に賛同はできなかった。授業のおかげでもあるが、名前も教えてもらえなかったドラゴンのせいだ。
あのドラゴンが、確かに若者たちを見て、嬉しそうに目を細めたからだ。
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