君を想うとなんだか
夕食が終わり、それぞれが部屋に戻った夜八時。シトロンは柄にもなく緊張していた。茶色いチュニックと黒いズボンといういつもの寝間着のまま迎えてもいいものか、と広い室内をうろうろとしていた。
婆やは「問題ありませんよ」とだけ言い残してさっさと大部屋に戻ってしまった。使用人と距離が近い弊害としてわりと雑に扱われているシトロンは、ノックの音に慌ててドアまで急いだ。部屋だけはみんなが綺麗にしてくれていて助かった。
扉を開けると、真っ白なナイトドレスを着たレウカが一人で立っていた。廊下の灯りをほのかに反射して輝く神秘的な姿に、シトロンは少し見とれてしまった。
「大丈夫だったかしら」
「勿論。どうぞ」
手をとり室内に招き入れ、ソファーに腰掛けてもらう。どこか緊張した面持ちのレウカを見て、シトロンはふと、二人きりってもしかして初めてか、と思った。
「それで話って?」
なるべく平常心のまま話を促す。レウカはパッと顔を上げた。
「あなたのことが知りたくて」
真っすぐな視線は嬉しい。だがシトロンはその言葉にどう返していいかわからなかった。何故ならば。
「オレは別に深い考えとか隠し事とかないから、何が知りたいのかわからない」
「えぇと、ではあなたが何を考えているのか知りたいです」
「だいたい喋っているのと同じことを……考えている」
シトロンはシンプルな生き物であった。レウカは納得したように一人で頷いている。
「どうしてついてきてくれたの?」
レウカは彼女に合わせて質問もシンプルにした。
「放っておけなかったから」
シトロンはすぐに出会った時のあれこれを思い返しながら、即答した。
「それだけで?」
「それだけ」
シンプル過ぎる回答に、今度は納得できないようだった。レウカはむぅ、と少し幼い顔で拗ねた。
「オレってそんな信用できないのか」
無言になってしまった室内で、シトロンが苦笑いを浮かべた。だがレウカは首を振る。
「私はそんな価値があるのかしら」
今度はシトロンが疑問をぶつける番になった。
「自分に自信がないのか」
「かもしれない。初めて気がつきました」
「そりゃあオレもちょっと信じれない」
目を見開き驚くレウカに、シトロンは更に笑うしかなかった。そうきたか、と小さくつぶやく。
「だって、私、こんなに恵まれているのに」
「そうか?家庭環境に恵まれているようには見えないけど」
対して知らない父親も聞きかじった姉たちの処遇も、正直王家に生まれて得た様々な利点でも釣り合わないとシトロンは感じていた。そのくせ責任と大いなる力だけはしっかりと果たさなければいけない立場であるのも加味して、自分が彼女の立場ならとうに逃げだして、もっと楽に生きている。
それなのにこの真面目なお姫様ときたら。
「でも私にはイースたちがいてくれます。彼らに悪いわ」
「でもあいつらだって、自分たちを言い訳に自分の感情に蓋をして欲しくないと思うけど」
分からず屋の球を即座に打ち返すと、レウカは言われたことに一理あると感じてつい黙ってしまった。ならばそこは攻め時だ。シトロンはそのまま話を続ける。
「婆様が死んだ時、それはそれは悲しかったよ。でもオレには両親も兄上も義姉上もいた。家族に悪いと思うべきか?」
「いいえ。だってお婆様の代わりはいません。だから……えぇ」
勝った。あとは良い感じのことを言って、えーと、そう、例えばあの話。
シトロンは彼女にこそ、何を考えているのか聞きたかった。彼女のことを知りたかった。聞き出すためにはどうしたらいいのかを考えていた。
「その時兄上に言われたよ。人にはそれぞれ魂の輝きがあって、誰かの心を照らす星になるんだ。そしてその人がいなくなったら、誰かの星空の星が一つ消える。いつか同じ場所に別の星が瞬くことがあったとしても、それは同じ星でも同じ輝きでもない」
部屋の窓から星空が見える。いつの間にか満点に輝くそれを二人して見上げていた。
「だからいくら君の星空にたくさんの星が輝いていても太陽や月が欠けたままなら、寂しいと感じてもいいんじゃないかな。君がそれをよしとするなら、いい景色なのかもしれないけれども」
でもそうじゃないだろう、と暗に込めてレウカの顔を見ると、彼女はシトロンの話を噛みしめていた。そうしてそっと目を伏せる。
「……お父様は何も変わっていないの。お母様が亡くなられる前と同じ。ただ私より弟が大事になっただけ。それを寂しがって、自分が悪いように感じて、努力不足だと思って、変に力が入っていたのね。でも仕方ないのよ、弟はまだ小さいし、その……」
言葉につまった彼女の手をそっと握った。それが正解だったようで彼女はふっと笑う様に息をついた。
「イースが言うには、おしゃべりとかが苦手らしいの。それでお父様はつきっきりで色んな家庭教師たちとお勉強をしているって」
「苦手?引っ込み思案な性格ってだけじゃないのか?」
「賢者様が言うには」
レウカは明確に嫌そうな顔を浮かべた。そういう負の感情をありありと顔に出すとは思っていなくて、シトロンはわりと嬉しくなってしまった。
「聞く・話す・書く・読むとか、あと考える・動く・表現するのが困難、と」
「賢者様って子供の発育?に詳しいのか」
「若い頃は教師のようなものをしていたそうよ。今でこそ王家の相談役だけれど、下は一歳から教えていたって。だからライムに必要なのは勉強とか教育じゃなくて治療と指導、周囲の大人の理解だって言っているの」
「そりゃ聞くに値するかもだ」
「でもお父様はライムが努力すればなんとかなるって思っているみたい。イースも賢者様の意見に賛成だから不安なのかもしれないわ。私は子供で、お父様を支えるには力不足なんでしょうね……」
「そもそも大人として一緒に弟の面倒を見れたはずの娘たちをよそへやったのは王様自身だろ?」
「好ましくない言い方ですね」
遠い目から一転、ムッとしたレウカに再び嬉しくなってしまった。そんなシトロンの様子に彼女も気がついた様子で落ち着くためにも咳ばらいをした。
「当事者には言い分があるんだろうけど、オレからするとな」
「……お父様の味方でありたいの」
「だから批判は一切しないのか?」
「そうじゃないわ!」と咄嗟に大きな声を出してから「……そうなのかも」とすぐさまに認めた。その後は柔らかなソファーに身を預けて考え込む。その間、シトロンは静かに二人分の紅茶を淹れた。甘い香りが辺りを包み、レウカの眉間の皺が和らいだのを見逃さなかった。
「悩んでる?」
その問いにかすかに首を縦にふってから、レウカは眉を下げて口元だけで笑う。
「答えが出ないわ」
「でも悩んでるの、オレ以外に言えたことある?」
「いいえ。……あなたに、初めて」
「じゃあオレとしては、ひとまず前進してると思う」
レウカはソファーから身を起こしてシトロンの顔をしっかり見た。彼女はあざ笑ったりせず、しかし真面目なばかりの顔もしていない。
「オレからすると君って、どんな姿勢からも這いつくばって進むタイプの人間に見えるから、親近感を持ってるんだ。オレもまぁだいたいそんな感じだからさ。オレは使命感とか責任感とかなくて、そうしないと気が済まないからなんだけどさ」
シトロンがカップに手を伸ばすと、レウカも同じようにした。丁度いい温度の紅茶を飲んでから、レウカは思い出したように微笑む。
「親近感、ね。ベルにも言われたわ」
「どんな」
「内緒」
唇を尖らしたシトロンに、レウカは更に笑った。そうしてカップを置いて話を始める。
「星空で思い出したわ。賢者様がこっそり見せてくれた帝国の古い物語に、運命の星という話があるの。運命の人は星が教えてくれる、だからいつだって心の目を開いて空を見上げなさい、って」
「そういや銀河の女王なんて名前が最高権力に紐づいてるんだから、やっぱ星とか星空ってなんか大きな力あんのかな」
「賢者様曰く創世竜は別にそんなつもりで空の星を配置しているわけじゃないそうよ」
「本人から聞いたみたいな言い方」
「なにはともあれ、前に進んでいるのなら、今はそれでいいのかも。まず私は私が何を考え悩んでいるのかを自分の中からサルベージしていこうと思えました。悩みに向き合うのはそれからにするわ。でもこれだけはわかります。私にとっての運命の人はきっとあなたとガラクテア様なのでしょうね」
そう言ってレウカは、今日一番の笑顔を向けた。
「ありがとうシトロン」
「あぁ!オレでよければ、いつだってうだうだ話してくれ。一緒に君の中のふわふわもやもやしたものを発掘していくよ」
時計が鳴り、九時を告げている。レウカは慌てて立ち上がった。
「もうこんな時間!長居してごめんなさい、紅茶ご馳走様でした。今日は話せてよかった。あなたのことを改めて素敵な人だと感じられたわ」
シトロンは自分のお姫様をエスコートするように、レウカの手を握った。その手は振りほどかれなかった。ほぼ同時にくすくすと笑いながらほんの数メートルの距離を連れ立って、扉まで行った。
「オレも話せて嬉しかったよ。じゃあまた明日。おやすみ、レウカ」
「おやすみなさい、シトロン」
部屋を出たレウカは、廊下の角で一回振り返って手をかすかに振った。シトロンもそれに手を振り返して彼女が見えなくなってから部屋に戻った。
そういえば、初めてレウカと出会った時、絶体絶命のはずなのに彼女を素敵だと思って、時間が止まったように感じた。そして直後に流れ星のようにガラクテアが現れたためにそちらに意識を持っていかれたが、自分はその時の心のままここにいるのかもしれないと思った。
言っていることは考えていることだとしても、考えている全てを口に出しているわけでもない。とくに、レウカのことは何故か口に出さないことが多いかもしれない。
その答えはまだシトロンには出せなかった。レウカを想うと、シトロンは自分がシンプルな生き物のままいられなくなっている気がしてしまった。
でもそれは、なんでか嫌な気分ではなかったのだ。
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