第〇一八三話 ラゴン、シーヴァ山中へ
ラーゴには、ミリンがはじめて大人たちに混ざった会議での、真王の言葉が思い出された。
『私は、それらをだれかが画策していると睨んでいるのです』
それは巨人族が、なにかの勘違いから王国に戦線を開くつもりという話の中で出たものだ。
何者が考えたのか不明だが、半魚人の王子を攫いに行き、わざわざこの地まで、たいへんな思いをして運んできた。苦労して大事に生かして連れてきたのも、王国に濡れ衣を着せるためだったとわかっている。国の強者たちにはそれを餌として、ミリンの抹殺がけしかけられ、あわや船は沈められかけた。彼らに指令された命令から推察すると、最終的には王子を殺して、罪を王国になすりつけるのが目的であろう。
その信憑性を高めるため、わざわざこの国に連れて来たと見て間違いない。ではいつ殺すつもりだったのかといえば、想像にすぎないがミリンの暗殺を達成した後と考えるのが妥当だろう。それまで王子を生かしておかなければ、いざというときギルマンの強者たちを、操れないと見ていたようだ。
ミリンが半魚人に殺された後であっても、王国で王子が殺害されたとなれば、もはや全面戦争も避けられない。
王国からは当然の報復にも見えるものの、先にさらったのが王国と言うことなら、世間の同情は半魚人にも大きく傾く。教会はじめ、多くの国際世論が王国に冷たく当たるだろう。過去の経緯もふまえれば、将来の王国の衰退が目に見えるようだ。
巨人族にも、王国が温厚な巨人族を奴隷化しているとした、デマがばらまかれたという。だれかが王国の評判を落とし、教会軍のような協力者を減らし、王国の四面楚歌を狙ったように思えてしかたがない。そこまでの政治判断を画策し、長い時間がかかっても衰退、破滅の渦に飲み込まれて行く王国を眺めて、喜ぶ者がいるのだろうか?
王国に対する脅威といえば、食糧難を別に考えるなら、それを逆手に取った帝国の辺境伯。そして分裂小国が王位簒奪を狙っているということくらいしか、マフィアの他に、ラーゴは心当たりを持たないのだ。
マフィアは王国を食い物にしたいはずであろう。王家の権威簒奪を夢見るその他の勢力があっても、ようやく魔王の危機から脱した王国自体が滅亡しては、意味がない者ばかりだろうに。
(─ ではそんな事態になって、だれが喜ぶんだろうか)
すぐにシーヴァの、高い峰が見えてきた。中腹に大きな魔力の反応がある。間違いなく魔脈だ。
魔法使いは魔族同様、龍脈とも聖脈とも呼ばれ、世界中に張り巡らされた、膨大なエネルギーにあふれるグローバルな脈とは切り離され、個別の脈を維持している。
同時に魔族のトップ ── 魔王の一族は、体の中にもその脈を保持するものだと聞いた。魔族の場合、実体を持たないという性質上、聖脈の効能によって忌避されているのだが、魔法使いにそうした性質はないとペスペクティーバは言う。聖霊の坑道に出入りするくらいだから、まったく気にならないようだ。当たり前だが、魔法使いは生体であり、実体を持つということである。
そしてこの山の中腹にある魔脈の反応は、まず魔法使いギェーモンの屋敷に間違いない。生体の反応はなしだ。場所は間違いないだろうが、本人はおらず、空振りになるかも知れないと思われた。
ミツにその場所を知らせて、一直線に飛んでもらう。
「悪いオーラは感じませんね」
「魔法使いだっていうからねえ。ペスペクティーバもこぼしてたけど、自分が悪いことをやっている、自覚はないかも知れないよ」
とは言ったものの、人間より魔法使いのほうが、悪党の率は少ない気もするラーゴ。
(─ ペスペクティーバによれば、自分の研究にわがままであっても、悪いやつはいないんだったかな。例外もあるとか言ってたけど)
屋敷に着くがとくに警戒もない。まずだれか訪ねてくることを、想定していないのだろう。
門には鍵もかかっておらず、もしも、ここで声をかけても届きそうにないので、小さい門をあけて中に入って行った。
数十歩、歩みを進めると、そこには王都の街に見られそうな、レンガ造りの二階建ての家がある。タオから借りた家よりも、いささか小ぢんまりしたつくりだが、十人くらい住んでいるといっても大丈夫そうな大きなものだ。
あまりに普通のいで立ちで、中庭にある飼育小屋のほうがよほど魔法使いの家らしい。
中の様子を透視するが、動いている影はなかった。同時にやはり、一切の生命反応も感じられない。最近まで人がいて、暖をとったような痕跡もだ。
作りかけの人形や、出来上がったものもたくさん置かれているのは見える。
留守のようなので、悪いオーラも何もあったわけではないのだが、なにかの仕掛けにより、反応をわからなくしてあるのかも知れない。ラゴンはとりあえず、玄関の扉を叩いてみた。
「すいません。ギェーモンさんいらっしゃいますか」
外から大きな声で呼んでみる。すると中からクレイよりまだ少し小さいと思われる子供が、扉の向こうまで出てきた。
(─ やはり生体反応ゼロというのは偽装か?)
スカートを穿いている。女の子だ。
「だれですか? こんな 山の中まで おいでになった あなたは。 ギェーモンさまに なにか御用 でしょうか?」
本当に小さい女の子である。正しい言葉ながら、たどたどしいのが愛らしい。おそらくクレイよりも小さいのだろう。
「はい。ギェーモンさんはご在宅ですか」
「今 いらっしゃいません。ギェーモンさまは きっと 今日の 真夜中に お帰りになると 思います」
しかも丁寧だ。一言一言区切ってゆっくりしゃべる。
「そうですか。ボクはラゴンと言います。夜分遅くに来るというのは失礼ですね。明日にしましょうか?」
しかし、明日朝にはボコボに向かって船で発つことになっていた。
「いいえ。明日はまた、お出かけになるかも知れません。夜中でもギェーモンさまは、まったく構わないとおっしゃると思いますよ。もしもよければ、中でお待ちになりますか」
「いえ、さすがにそんなには待てないので、よろしいのでしたら、夜半にもう一度参ります」
そう。昨日のようにラゴンを気に入ってくれている、オートンやその他の町年寄連中に、深夜まで付き合わされるのは勘弁だ。
昨夜自立ラゴンは、酒場で飯盛女郎を薦められ、ラーゴ側の様子に集中していた親衛隊の支援も受けられず途方に暮れた。仕方なく、ラーゴがいつか話そうと思っていたハヤジさんの話を打ち明け、場を暗くさせてしめやかに飲み終えたという。
(─ 『今日はハヤジを忍んで飲んだら、大人しく帰るか』とか言ってたようだ)
今夜は子供たちが寝静まって、オートンの酒の肴が切れたころ、酔い覚ましの散歩がてらパトロールに行くと告げて、ミツと出かければいい。しかし、今からずっと行方不明というわけにはいかないだろう。
地理不案内の我々が、突然一緒にいなくなったら、報復に遭ったのではないかなどと心配され、捜索隊など出されても困る。だから目立たぬよう、二人だけで飛んできたのだ。
「では今夜遅く、日が変わるころにお越しください。ギェーモンさまにはお伝えしておきますから。 ── ラゴンさま」
「はい、ありがとうございます。じゃあ必ず来ますので、よろしくお伝えください」
電話のない世界なので、確実なアポを取るのも一苦労である。しかし、とりあえず会う約束は取り付けられた。




