第〇一八二話 王国に弓引くもの
ラゴンは、ミツとともに海を南に飛んでいた。
そんな能力を持たないラゴンからいうと、飛行するミツに連れられて ── というべきか。それはさておき眼下に三つの島が見えるが、これを越えたところはすでに王国領である。
目指しているのはボコボではない。そのずっと西、テン・ポ山脈の、海岸沿いにひときわ高くそびえる山、シーヴァの山麓だ。それはかつて見た、王都の北から新サイバー領の北部にかけて、のびる山地の比ではなかった。
山の標高があまりに高いので、ほとんど南の陸側からは、人が行き来できない場所に住むという、シーヴァ裏の魔法使いギェーモンに会いに行く。
先ほど、ラーゴがいるタドゥーカのハーンナン公爵家において、昼食会終了後の雑談のおりクラサビが、ガスパーンから仕入れたばかりの情報を、直接本人に問いただすためだ。
ディーキチという魔術師の、師事していた魔法使いがギェーモンであり、この魔術師はかなり怪しい。少なくともマフィアとのパイプを持つのは確実であり、そのディーキチ自身は現在どこにいるかわからなくなった。ただし魔術師の男はもしかすると、ミリンの求めるアレサンドロ復活の手がかりを持っている可能性がある ── かも知れない。
そんなことで、一刻も早くギェーモンに会う理由は、ディーキチが本当にオートマトンを連れて出たか、といったあたりを確認する必要性からだ。これはギェーモンに聞けば、すぐにはっきりすると思えた。行方知れずのディーキチと違って、ギェーモンなる錬金術師は、シーヴァ山というボコボ港からほど近い場所に、固有の魔脈を持って巣くっているらしい。
ついでに本人に会えるなら、ハーンナン公爵邸に設置された湯沸かしシステムと、弟子ディーキチがその燃料として供給したと聞く、燃料圧縮瓶についても質そうと思う。これはサイバー子爵領でも、ユニトータの隠れ家にあった。よってマフィアがそれにつながっていることは間違いないとはいえ、他にもなんらか魔法使いが関わった臭いがプンプンする。
しかもだれかがミリンの暗殺だけでなく、王国の評判を落とし、衰廃を画策したきらいがあるようだ。それがマフィアの思惑と絡んでおり、かなり強大な力をもつこともわかってきている。
本日未明、燃料圧縮瓶なるものをクラサビに調べさせた。
これがもうひとつの、重要な手がかりになると思ってのことだ。クラサビが、そういう仕事を得意技としたわけではない。だが最近、魔力保持限界の上昇著しいクラサビは、とにかく向上心が芽生え、おそらく自己の努力によって、基本能力も目覚ましい向上を遂げている。
しかも、あんな事件があった後だから、そんな捜索が可能なのは、ハーンナン邸で自由にうろうろできる者にかぎられた。つまりミリンの周りで活躍し、すでに顔が売れたクラサビが適任という判断である。
(─ クレナイがちょろちょろしたのも悪かったよね。彼女と仲良くしたいとモーションをかけてきた衛兵が、偽名の『カミラ』という女がいないか聞き回ったのもあったしなあ)
クレナールという衛兵は、仕事中に正体も知れない怪しい女を、アーニャに取り次いだ職務怠慢と叱責された。女が事件の関係者だった可能性も指摘され、降格のあげく数日の謹慎になったようだ。そのせいだけではないだろうが、城内の取り締まりは厳格さを増し、おそらく彼も頭の上がらないらしい嫁さんに、たっぷり絞られていることだろう。
ともあれクラサビが調査した結果、燃料圧縮瓶なる容器が、ラーゴの考えたそれとは違うというのがわかった。
ラーゴの相続者記憶をひもといたところでは、人の身で圧力を制御することなどできないはずだ。燃料圧縮瓶という名には親しみがあって、似通った名前の容れ物を利用していたような気もする。が、それはただ、鉄などで作った耐圧力容器 ── 圧搾瓶の機械的性能で、圧縮した気体をその圧力エネルギーごと、むりやり閉じ込めただけのものに過ぎない。
相続者の前世で重力が制御できなかったのと同じで、二階の床が壊れれば下に落ちてしまうのと同様、圧搾瓶が正常に機能しなければ、破裂や爆発という事故を引き起こす。
しかし、ここでは魔法の力で飛行ができる。つまり重力も制することの可能な世界なのだ。
一方燃料圧縮瓶は、圧力を制御できる入れ物である線が濃い。中にまっすぐ差し込まれた、細い管の周囲にトイレットペーパーよろしく、シート状のガス分子が整列、巻き付いて貯蔵される。
このようにして、燃料圧縮瓶の中に収納できるガスの量は、実際の容量の数百倍、おそらく六百倍から八百倍と言うレベルに、凝縮されると考えられた。
それをなしているのは容器ではなく、その管にかけられた魔法のようだ。
これによって圧搾瓶自身は、容器としての耐圧性能を求められることがない。もちろんある程度の圧力をかけられてはいるが、それはビール瓶や炭酸飲料の缶などに、かかった圧力とも大差ないだろう。これはラーゴの常識に照らし合わせて、驚愕に価するトンでも技術だった。
さらには、ガスが収まった圧搾瓶につけられたコックを開いてやることで、もっとも外側を取り巻くガス分子が整列から解放され放出される。圧搾瓶の内圧が一定以下になると、外側に巻かれた分子から整列が分断し、圧力気体に変わるようだ。
圧搾瓶の内圧が、下がれば下がるほど管に巻き付いた気体分子、それぞれが整列を解除するため、圧搾瓶からの噴出量は増える。
分子同士が整列を解く条件は、そのコックの開放度合いから得ていると見え、ガスの取り出し量に応じてどんどん排出する量が増加していく。
容器自身はやや柔軟性のある特殊な陶器製らしく、保存状態でそれ自身は大気圧の十倍にも至らない。およそ自転車のタイヤの、高めの空気圧といったところだろう。
そのような不思議な方式により、圧搾瓶に詰められた可燃性ガスの正体はなにか。ラゴンの記憶鉱物の情報を信じるなら、この世界で見つかっている可燃性ガスの中から、分子量や燃焼効率などをもって、ラーゴはメタンガスだろうという結論に至った。地下資源や海洋資源としても存在し、場合によっては汚物からも発生させることができる。
ところで燃料圧縮瓶だが、聖泉と魔法中心の世界を、豊かな文明社会に変えるために非常に重要な発明だ。しかし現在その提供が必ず、マフィアのルートで行なわれてきたところは看過できない。
ラゴンは、ギェーモンがこの件に絡んでいるのか、確認がしたかったのだ。
(─ 場合によっては、その魔法使いとことを構えなければならないのかも知れない)