第〇一八一話 アーニャ◆大道芸の男
帰り道、荷鹿車の中でミリンはアーニャに尋ねる。
「あの人たちは、そんな日も働くんですの? つまり……」
言いたいことは分かった。
「失礼ながら殿下は、そういう期間の公務を、どのように熟されておられましょうか」
「特別な用事がなければ、お部屋でじっとしているように云われます。でも、どうしてもわたしが出なければならない行事や、とても大事なお客様がいらっしゃるのであれば、もちろん漏れないよう対策をとって臨むことになるでしょうね。そういう専用の下着があるでしょう。ただ動きにくい上に……」
「そうでございますわね。あの女たちにとっては、『予約が入る』というのは、そのとても大事なお客様が、いらっしゃることに当たるのでございます」
「でもそんなときって……」
「もちろんです。普通二日目なんて言ったら、ベッドがたいへんな事態になってしまいますでしょう。ですから、あの世界にはそれ専用の道具があるのでございます。 ── カイメンというもの、ご存知ございませんでしょうか?」
「お化粧するときに使うあれですか? 南の海で採れる」
「そう、それを用いるのでございます。綿だと千切れて残ってしまったりして困るのですが、それであれば ── 。あまり詳しいことはここで御説明できないのですけれど」
人目はないとはいえ、さすがのアーニャといえども恥ずかしい。
「そんなことができるなら、多くの人が助かるでしょうに」
「でも国内では穫れない、高い輸入ものでございますから、だれでも手に入る品では、ありませんでしょう? それにしっかり管理しないと、衛生的によくございません。ですからもしお使いになるのであれば、こまめに交換するなど気を付けていただく必要がございます」
「もちろんそうでしょうね。でもそんな、どうしようもないときだけでも、人前に気にせず出られたら素晴らしいですわ」
「ただ気持ちが憂鬱な日もございますでしょう?」
「それは仕方がありませんわね。じゃあ、戻った後で詳しく教えてくださいませ」
「わかりました。じゃあそのときは二人だけで」
城に戻ると、調査の結果を受け、出発を切り上げようというゴードフロイに同意したことで、早められた昼食だ。
ようやく元気を取り戻した公爵はじめ、グラリスやアーニャ、ミリンが中心になって、楽しく話しながら食事をする。さすがに先ほどの続きは、食事の後で二人だけでということを約しておいた。
クラサビも末席に加えられ、マーガレッタの横に座って食事をとっているが、こちら二人は静かなものだ。
そこで、さっそくつきとめた蘇生魔術師の話題がでた。
「その師匠であるらしい、ギェーモンという魔法使いに会えばわかると思うのです」
それを聞いて、ガスパーンが珍しく発言する。
「殿下。お言葉を挟むようですが、およそ大道芸などは、名誉も栄光も薄い卑しき糧道。我ら魔法使いというプライドの高い者が、投げ銭を拾って回るような仕業に、手を染めるはずはないものと思われます」
「ええ、それは重々承知の上でございますわ。きっとこの男は、魔術師くずれという輩なのでしょう」
「しかもお話のギェーモンですが、そのような研究をしている魔法使いではありませぬ」
「ご存じなのですか?」
驚いて聞き返したミリンに向かい、ガスパーンは大きくうなずいて続けた。
「ギェーモンはおよそ、その気の遠くなるような長きにわたる生涯を、オートマトン作りの研究だけに没頭してきた、いわゆる錬金術師でございましてな。ディーキチなる大道芸人がギェーモンの弟子というのが真実であるなら、それは人形芝居とでも言うもの。察するに御仁の作ったオートマトンを、水の中へ長く沈めるなどしてあたかも死んだと見せかける。しかる後オートマトンを動かして、生き返ったかのように演じさせたのではないかと思われます」
「なるほど、それで操る魔法道具があったとか、魔力圧縮瓶を持っていたとか、そんな言葉が聞こえたのだな」
マーガレッタが、見物から聴取した情報を分析し、自分なりの感想を漏らす。
「ではまったく死んでいたものを、生き返らせたというわけではないのですか……」
「口惜しゅうございましょうな。しかし師匠が魔法使いギェーモン、と言うのが真実なれば、おそらく間違いはございません」
それを聞くと、ミリンの肩ががっくりと落ちた。あわせて火が消えたかのように、黙り込んでしまう。
死人の蘇生などというのが本当であれば、王侯貴族への士官も栄達も思いのままに違いない。そんな人間が大道芸に身を投じ、投げ銭を拾って生活するわけなどないと、ミリン自身も十分わかっていたようだ。
「発言させていただいてもよろしいでしょうか」
ほとんどの者が食事をとり終え、それを見計らったアーニャの指示で、デザートとお茶が運ばれてきたころ、話の途絶えた狭間にクラサビが切り出した。
「かまわないのですよ。みんなで楽しくお話ししましょう。昨日は本当にみんなに助けていただきましたけど、クラサビには一昨日に引き続き、また命を救ってもらいました」
「いいえ殿下、ここにいるものとして、当然の働きでございます」
「それで、なんでしたの? クラサビ」
「公爵様にお伺いしたいのですが……」
「なんだろうか。今回はクラサビくんにも本当に助けられた。何なりと聞いてくれ」
「この城に備わっている、暖房システムのことなのですが」
アーニャは驚く。それは自分が裏から手を回して、城に出入りさせていたワキンドが、公爵家と太いパイプを作るために売り込んだものだった。
「ほう、それに興味が?」
「それはどちらの技術なのでしょう?」
「そうだ! 忘れていた。あの暖房の設備は、昨日あんな毒蜘蛛を持ち込んだ憎きやつ。行商人ワキンドの世話になって作り上げた、魔法のからくりのはず! 燃料圧縮瓶というものも、あやつが若い男に常に運ばせてきておった。これでこの冬は、また薪をくべる生活に戻る。いやしかし、悪党の手先のシステムなどこちらから願い下げだ。薪で十分、王国のどこの貴族も皆同じようにしているのだからな」
「そうですわ、お父様。便利ではありましたけれど、悪人の道具にすがって生きるなんてまっぴらですわ」
その言葉を聞いて、クラサビと目を合わせるアーニャ。実はとても居心地が悪い。それをごまかそうと今度は、アーニャからガスパーンへ質問する。
「実はその燃料圧縮瓶について、話に出た男がディーキチというなら、たしかに行商人が連れ込み、圧縮瓶の取り替えにあたった者と、合致するように衛兵が申しております。ガスパーンさま、ギェーモンなる魔法使いは、そうした研究もされていたのでしょうか?」
「いや、そんな話は聞かん。あの御老体は、錬金術師の中でも多様な才を持ち合わせながら、オートマトン一筋の頑固者のはず。とはいえ、長い間会ったことはないので、実際なんとも言えんがな」
「まあ、老師がご老体と呼ばれるとは、かなりのご長命でいらっしゃるのですね」
「あー、御仁に比べれば、隊長でもひよっこと言われるだろう」
その錬金術師が白か黒か、この場で結論は出なさそうだ。しかも直接、マフィアとの関わり合いがある証拠がないため、話はうやむやになってしまう。
(きっとクラサビが聞いたのは、主様のご指示だったのでしょうね)
そう思うと、ラーゴがこちらを向いて頷いた。アーニャの気持ちはお見通しらしい。
「じゃあわたしは、アーニャとガールズトークがありますので失礼いたしますわ。アーニャ、あなたのお部屋へ連れて行ってくださいな」
「わかりました。殿下どうぞわたくしの部屋へお越しくださいませ」
アーニャは、ミリンを連れて自室に戻って行く。グラリスは昨日までの二人とまったく違う様子に、ただ唖然として後ろ姿を見送っていた。
(これからは、短い間だけど、グラリスとも仲良くしなきゃ)
二人だけになるとミリンに対し、カイメンによってあの日を乗り切る方法について、秘密の伝授を開始する。ミリンはまだ十二で男性を知らないというし、これからもその期間、どうしても行為に及ばなければならなくなる等の心配はないはず。そう思ったアーニャは、そんな応用も可能とだけお茶を濁した。
もしとれなくなってしまった場合は、水をたっぷり含ませてやると、重さで出てくることだけ教えておく。
娼婦はそうやって、その期間も仕事をする必要があるともつけ添えると、ミリンは ───
「たいへんなお仕事なのですね」
しんみり云われると、こちらが困ってしまう。ここまで打ち解けたので、もう一歩距離を縮めるため、さらに深くコミュニケーションをとろうと決意した。
「実は ── 。殿下にだけは、本当のことをお話したいのでございますが、それらすべて、殿下の胸の内だけに仕舞っていただけますでしょうか?」
「なんでしょう。身を挺して、わたしを守っていただいたアーニャさんの頼みでしたら、わたし口が裂けても話しませんわよ」
ミリンが口の両端に指を入れ、左右に引っ張ったのでクラサビは笑ってしまい、断固たる決意が緩みそうになる。
アーニャはその後、核心に触れる話だけは隠し、自分が実は、父と言われている貴族の、お気に入りの娼婦の娘であったと、身の上話を語った。
娼婦の時代にだけ同僚から、魔術師くずれが作ったらしい、まやかしの媚薬を譲ってもらっていた内容に変え、もちろんマフィアに麻薬をもらった話は内緒だ。
「そのころ、わたくしがあそこで教えこまれた知識は、娼婦としてしか役に立たないことばかりでございます。わたくしは幸運にも、公爵様の温情を賜って、今や人並み以上の生活ができるようになりました。ですがこんな幸運は万に一つも落ちていない、宝石を拾ったような偶然にすぎません。奴隷は、もしもそんなものをたまたま手に入れたとしても、自分の主人に取り上げられてしまうのが、オチなのでございますから」
何の知識も教育も持ち合わせなかったため、そこからどうしても逃げ出せなかった不幸を漏らすアーニャ。そして今、自分は公爵を愛してやまないのに、この気持ちをつなぎ止めるには、あまりになんの才も持たない身の悲しさ。女であることを武器に、男に依り縋るしかない辛さも打ち明けた。
それを聞いて、これまで奴隷には奴隷としての生活が幸福だと信じていたのは、自らの不見識でしかないと詫びるミリン。
そして二人は、それぞれの思いで、涙を流すのだった。