第〇一七七話 アネクドート 『自立』ラゴン◆ノーサポート
タドゥーカでまだパーティが始まっていない、同日の夕刻。
モーイツのラゴンはオートンから、今夜の夕飯は男二人で出かけようと声を掛けられ、夜の街に繰り出すことになる。
「昨日も飲みすぎたのだからほどほどにね」
と妻のカンワに送り出された。
この後の時間帯は公爵家の宴会である。ラーゴは百パーセント、殿下のガードに集中しなければならない可能性が高い。その間、ラゴンの動きは、すべて自律ラゴンの自主判断に任せられる。
そこであらかじめラーゴから、親衛隊のだれかに交代で、ついてもらえるよう指示がなされた。もしも判断に困るようなことがあれば、ラゴンの耳元でと言うか、耳の中で囁いてほしいからだ。
まずはハナコに白羽の矢が立つ。今夜は仲間の宿所でお世話になり、遅くなると言って泊まっているところには食事も断ってもらった。申し訳ないが、サイバー領では一人たらふく食べられたので、差し引きチャラということにしてほしい。
時間が延びそうなら、お子様時間で早く休めるだろう、低年齢層に交代を頼みたいが、それぞれの家に、同年代のお友だちもいたりするので望み薄ではある。どうしてもだめな場合は、ミツが同じ家でお世話になる、ハイジかクレイを無理やり寝かせると言い訳し、どちらかに来てもらえる手はずにはしておいた。
いずれにしても、特段のことがなければ耳の中で潜みながら、十里眼で様子を見るだけの仕事にすぎないだろうが。
オートンは、ラゴンを行きつけの飲み屋というところへ連れて行く。
「ここは冬でも、魚と酒が美味いんだ」
言わんとするのは、穏やかな湾を持たないモーイツにおいて、冬場の海産物が高騰しがちである事情だった。そのためこうした安い店で、主体が陸地のものになるのだが、それでもこの店だけは豊富な魚を楽しめるということらしい。また他の店なら、夏の渇きに評判がよいビールも、寒い季節にはものがなくなり、蒸留酒中心に切り替わる。ところがここでは、濃厚な公国ものを輸入するつてがあるので、冬でも美味しくビールが飲めるというのが売りのようだ。
オートンとは、今まで十分、様々なコミュニケーションをとったはずだが、よほどラゴンを気に入ったらしく、また色々な相談をしてくる。
今日はまず、息子の足の遅いことから始まった。爆弾処理に動いた、ラゴンの素早さが印象的だったらしい。
しかし、あれはハヤミやヤヤの特殊能力の支えがあってこそ。動きがきれいなのは、マーガレッタの体術のおかげである。ラゴンは、記憶鉱物に記録された中から、身体を柔らかくし、上半身の筋力や体幹を鍛え、大きく腕を振り、大股で走ることなどもすすめておいた。先進の共和国といっても、スポーツ学といったようなものまでは進んでいないようだ。オートンが興味を持って聞き入ってくれるのはありがたい。
他にもラゴンには、ラーゴの相続者記憶らしい知識があったので、それも披露した。
「ゴールする前に、大きな声を出すと速度が上がるって聞いた気がしますが、また試してみてください」
「そういえばきみは、あのときも、『やー』とか『はやー』とか叫んでたな」
── と言われたが、それは高速で『ヤヤ』と『ハヤミ』に合図して、彼女たちに能力を使わせた話だ。続いて今日訪ねた旧跡や、モーイツの名物にまつわる話の後、急に真顔になったオートンが語り始める。
「ラゴンはタオの下で働いているんだよな? タオの優秀な部下を、かっさらう気はないんだが、きみのことを考えて言うんだ。きみたちは今日の表彰で、市民権を得たのも同じなんだよ。よければここに住む気はないかな。ここは王国のような封建国家と違い、市民のやる気次第でまだこれから、いくらでも伸びていける街だ。きみみたいに能力ある人間が、どんどん偉くなっていける。そしてまた、街自身もきみのような人材を求めているんだ」
この話は昨日も市長から聞かされた。ほぼタオと付き合いのない市長のほうが、内容はストレートだったと思える。
「ありがとうございます。しかし王国に恩のある人がいて、今困っていらっしゃるので離れられません」
「それはタオのことか? ── そうでもなさそうだ? なるほど。その顔は女だなぁ? まあいいだろう」
いったい作り物の自分のどんな顔が、『女由来』なのだろうか。もちろん断った言い訳は社交辞令で、とくにミリンのことを言っているわけではなかった。ラーゴの知恵と常識を持つとはいえ、オートマトンができる単独判断で見る限り、墓場行きから救ってくれたラーゴこそが、恩人と思うべきかも知れない。
しかしラーゴとしては、たとえ将来ここの大統領とかに収まったとしても、ここにラゴンという手足をとられるわけにはいかないだろう。こんな、王国よりも民主主義な国の片田舎で、地道な生活を積み上げていては、ウイプリーたちになにを言われるかわかったものではない。まだ見ぬ魔王の側近たちには、なおさら言い訳が立たないと思えた。
ここはご期待に添えないのを、ミリンのせいにしておこう。そうイメージすると、自然と言葉が出た。
「はい、でもかなう思いではないので。といってもほっとけなくて」
「なるほど。ならばしかたがないな。 ── それはそうと、ラゴンは飲まないのか?」
「お酒ですか? 飲んだことがないので」
「もう十四はすぎたんだろう? 試しにちょっと飲んでみないか? 王国では少し早いかも知れないが、共和国では男女とも十四から選挙も酒もオーケイだからな」
「はあー」
ラーゴが持つ感覚に直せば十八歳半だから、大学の新歓コンパで飲まされるような話でそれほど違和感はない。
そう言えばラーゴは、バタバタしていてメソポタに約したお酒の土産など、すっかり忘れてしまっていた。ここの銘酒でも買い求め、さっそく送っておかないといけないだろう。きっとこういう気を回すのは、ラーゴゆずりの性格がなせる技に違いない。
こんな自立判断の基板とするラゴンの性格や基礎知識は、コピー時点のラーゴが持っていた記憶をそのまま受け継いだものである。本人が、今頃になって新たに思い出すもの以外は、すでにラゴンにも身についた知識だ。
先ほど飲酒したことはないと言ったが、実のところラーゴ自身は、聖水を飲まされたとき、お酒気分だった。つまり相続者経験だろうが、嗜んでいたっぽい記憶も残っている。だから正確にはラゴンとして口に入れた経験がないというのが正しい表現だ。
まずはオートンが勧めるのは地ビールである。もちろんこの世界には大した流通があるわけではないので、地ビールしか存在しない。だがそんな状況を判断しているのも、ラーゴの相続者記憶に根ざした認識であろう。このあたりは、聖水を飲んで、酒だと感じたときに想起したものと思われた。
ここのビールは、茶色くて濁っているのが特徴という。グラスがガラス製ではなく細かい泡が覆っているため、正確なことはいえないものの液体は明らかに不透明だ。やはり相続者の記憶にある、中ジョッキよりやや大きいビールをいただいて、喉奥に一気にその三分の一を流し込む。
「結構いけるじゃないか。魚だけじゃなく、ここの雀の甘辛煮はなかなかのものなんだ。そいつをつまみながら、どんどん飲んでくれ。ビールで腹が膨れていやだったら、他の飲み物もあるぞ。どんなものが好みかな、といっても初めて飲むんじゃわからないよな」
「はい、ありがとうございます」
それからオートンは、まわりを見渡しながら少し小声になった。
「あとなあ、ここの店はウェイトレスが多いだろう。日が変わってもまだいる子は全部『差し支え無し』だ」
「はい? 『差し支え無し』って」
「つまり金次第だということだ。実は隣に、時間貸ししてもらえる連れ込み部屋があり、そこで相手をしてくれる。どうだ気に入った子はいないか?」
「ええー、そんなこと言われても……」
「 ── ラゴンは今日、市民栄誉賞をもらっただろう」
「はい」
「それをちらつかせたら、女たちはみんな飛びつくぞ。金など要らんという娘も居るかも知れん。そういう意味では、うんそうだ。普段、金では応じない娘も問題ないか ── なにしろ町の英雄だからな」
酒の勢いからか、オートンは今すぐ口説けと、言わんばかりの勢いだ。
「いや。それは、ちょっと」
「どうした? その王国の女に義理立てか? それとも、妹さんやハナコさんにバレたらまずいとか?」
「いえ、そんなわけでもないですが……」
「しかし考えたら、あんな綺麗な二人を連れてきたんだからやはり。 ── そう、ここの女はさしずめカボチャかナスというところか。だがたまには、カボチャやナスもうまいもんだぞ」
「いえでも、あんまり遅くなってもねえ」
自分の精密な身体は、たとえ脱いでも人間でないとわからないはずだが、さてどうしたものだろう。ラゴンにはラーゴのような、いざというとき頼れる相続者記憶は期待できないのだ。
(─ ここは断ってもいいところだよなぁ)
それで、『男二人で行こう』ということだったのかと納得するラゴン。しかし、何と断るのがいいか困っているのに、ハナコは耳の中からなんの反応もない。
いや集中すると、ハナコが潜む耳穴の奥、鼓膜の ── と言いたいところだが、実際は外部から入ってきた音を増幅し、取り込んだ場所に設置された音を拾う装置の ── 近くで、小さい声が聞こえてきた。
「主様! がんばって、いっちゃえ、大丈夫!」
なんて無責任なエールを送るのかと思うものの、それが何を意味するのか、残念ながらラゴンからは問いかける方法がない。そもそも、ラゴン単体ではラーゴの鱗を通じ、ナオコ経由でハナコに繋いでもらうのはもちろん、なによりラゴン自体、種族間感応通信で話しかけたりもできないのだ。
(─ ナナコが吸ったのは、自分の血液じゃないもんなあ)
このあたり、オートマトンの身の悲しさである。
「主様! そんなクロい子、何匹でも束になってかかってこい、よ!」
(黒い娘? たしかにメイド服っぽい制服は黒色が基調だけど ───)
いったいハナコは、自分に何人くらいの相手をさせようというのかとビビるラゴン。
実はそのとき、ハナコはナナコから送られてくる種族間通信リアルタイム映像報告にかぶりついていた。タドゥーカに入って以来出番に恵まれず、公爵城の宴席で起きた毒蜘蛛事件を傍観していたナナコはもっぱら中継を担当。ラーゴチーム以外の親衛隊は、クロドクシボグモと戦うラーゴの雄姿に見とれていたのだ。ハナコもエールのつもりで、独り言をつぶやいていたのだが、ラゴンはそれを知るよしもなかった。
タドゥーカにいない親衛隊は全員、それ一点に集中しており、ラゴンの抱える面倒ごとに気がつく者はだれもいない。
だがそんなこととは知らないラゴンは、ちゃんとサポートしてほしい、と思うのであった。