第〇一七五話 バナーニの中に潜む蜘蛛
ラーゴはマーガレッタの胸元から会場を眺めている。
(─ さて、どう出るんだ? マフィアの幹部、暗殺薬)
早速ミリンの前には、個別の挨拶を求めて長い行列ができた。しばらくミリンの口には、何も入らないだろう。宴が始まってから、ラーゴはマーガレッタの手に戻され、もっとも食べものを心配していた。多人数で囲まれて、死角から襲われる心配もあったが、この行列は好都合だ。
前回の例から考えて、大量殺戮といえば飲食物に仕込めば確実である。だがそれを、まずはミリンに食べさせなければならない。それは可能だろうか。
会場あちこちに置かれた飲食を、すべてチェックすることは不可能だろう。だが毒のオーラがあるかどうかは、一瞬にラーゴの千里眼で分かる。ミリンに持って来られたものが毒であれば、またすぐにオイタをして、口に運ばせなければいいのだ。
しかし必ずしも毒だとは限らない。たとえば天井が落ちてくるよう仕組んであるとか、大量殺戮を起こし、逃げようとしたミリンを攻撃することも可能だろう。
今のうちクラサビに、どこかで交代してもらえるよう、連絡しておいたほうが良さそうだ。
{クラサビ、ボクだけど}
{わかりましたどこかで交代ですね}
耳の中で控えている親衛隊のメンバーにも、全員つなぎっぱなしである。各自できる限り周りに注意を払い、透視で武器などを持ち込んでくる者がいないか、確認するよう指示しておく。
{クレナイはどうしてる?}
{ゾルゲルですが、今のところ何も連絡はなさそうです}
しかし、そいつが一番と言ってもよい、頼みの綱なのだ。
{引き続き張り付いててくれ}
{わかりました}
そうするうちに、給仕が飲みものを運んできた。お盆に人数分のグラスが並んでいる。ここではパーティーに出られる人間は、無条件でシャンパンなのだろうか。そう思った瞬間、別の給仕がジュースが載った盆を持ってくる。
それをアーニャが取るので給仕が驚くが、なんの問題もなさそうに、自分の持っていたシャンパンのグラスへ一部注ぎ込み ── 、飲み干した。
「あー美味しい、殿下どうぞ、しぼりたてのオレンジですわ」
あきらかに毒味を済ませましたという態度である。
ハーンナン公爵が驚きの顔を見せるが、あえて咎める様子はない。昨日の毒殺騒ぎの一見は伏せてあるものの、ミリンに対する殺意が暗躍する事実は、暗殺事件の当日駆け付けてきて、十分心得ているからだろう。
そして今度は、別の給仕が手でつまめる菓子類を運んで来た。これもアーニャが取り上げ、二つに割ってすぐ自分が食べ、ミリンに渡すという鉄壁のガードをこなしている。
「まあ、とても美味しいです」
「当家自慢のスイーツですわ。他にも全部で八種類の、美味しいスイーツがございます」
裏ではかなり緊迫しているが、自然な雰囲気で交わされる会話は、とてもいい感じだ。
地元の名士の挨拶をミリンが随分こなして行ったころ、突然大きなワゴンが会場に引き込まれてくる。上には山のようにバナナが乗っていた。
「公爵様、お許しも得ずにお邪魔いたします」
挨拶したのは、道化かと思われるほど緑色の作業着に包まれた男である。
「おや、お前は出入りの行商人ワキンドではないか。そんな注文をした覚えはないが」
「はい、ちょうど領府に立ち寄りましたところ、王都から殿下がおこしとお伺いいたしました。たまたま大量に仕入れておりました南国の珍しい果物を、ぜひ献上させていただこうと罷り越しましてございます」
「おうそうであったか。いつも珍しいものを届けてくれてすまないな。それが南国から輸入された果物か」
「はい、これぞバナーニと申す南国の果物。一つ殿下のお手元へ、最初に御献上させていただきますれば、末代までの光栄に存じます」
(─ ゴードフロイたちは見慣れたって顔つきだが、これバナナだよね。間違いなく。でも、あの異常事態の港を使い、どうやってそんな輸入を ───)
するとナツミが、感応通信で話しかけて来た。
{主様、アーニャはこの男を知っています}
クレナイからも同時に連絡が入る。
{主様、その男はゾルゲルの記憶にある、アーニャに薬を与えていたものとも、名前と風体が一致します}
それを聞いたラーゴは、給仕が行商人から預かって縁台に運ぼうとする、皿に盛られたバナナを透視した。
毒がもられているのでは無い、その代わりバナナの中に何かいる。
(─ 虫か、いや虫ではなくこれは蜘蛛だ。しかもその蜘蛛が強力な毒 ── ロブストキシンという強酸系の毒を持っている)
さらに恐ろしいことには、何十本というバナナすべてに、この猛毒を持った蜘蛛が潜んでいた。ラーゴの相続者の知識では、たまにスーパーでバナナの内側から見つかって、大騒ぎになるドクシボグモ、その中でも、性質の悪い種類 ── クロドクシボグモだ。
これが今、ミリンに持って来られつつある数本にも潜んでいる。もしそれが阻止されれば、何十本と言うバナナの中に潜む蜘蛛たちが、今度は会場の客に向かって襲いかかる算段だろう。
会場全体が阿鼻叫喚の地獄と化すに違いない。そんな予測は簡単にできるが、ではどうすればいいのか? 王手飛車取りを、かけられた感のあるラーゴだ。
{あのバナナの中、一本ずつに毒蜘蛛がいる。任せられるかクラサビ}
{大丈夫よ}
{じゃあ任せたよ。殿下は必ず ───}
{あたいがお守りします!}
ラーゴはそれを聞き終えると、抱かれていたマーガレッタの手をスルッと抜け、そこから大きくジャンプをする。マーガレッタには珍しく後れを取ったようで、後を追う手が伸びるが一瞬それよりラーゴの動きが速い。
マーガレッタの足止めを嫌って、大きな後ろげりは行なわず、それでも思い切り遠くまで跳ぼうとすると、ラーゴの体は思ったより軽かった。
(─ え? けっこうボク、飛べるんじゃないの?)
もしそうだとしても、こんなところで飛んではいけない。マーガレッタを蹴って跳んだだけのような、放物線をちゃんと描いて宴台外の地面に一度下り、思い切り走ってもう一度大きくジャンプした。今度こそ、バナナのワゴンが射程圏内である。
「ラーゴ!」
ミリンが後ろから叫んだ。
その声で、ラーゴを食い止めようとした行商人という男が一瞬躊躇する。だが大事の前の小事と考えたのか、やはりラーゴを止めるため、遅れてワゴンの手前に動き出した。
しかしもう遅い。一瞬早くワゴンにとりついたラーゴは、バナナめがけて口を開け、毒蜘蛛が潜むあたりを食いちぎる。直前に、行商人も含めたバナナのワゴン全体を、結界で取り込んだ。もちろんその内側に、ラーゴと行商人以外はだれもいない。
同時にバナナの中からぴょこんと出て来たのは、真っ黒のグロテスクな蜘蛛だ。足を広げると、けっこうでかい。
「そいつは毒蜘蛛だ!」
離れた場所から、様子を見ていたゴードフロイが叫ぶ。あるいは彼の地元では、普通にいる種類なのだろうか。
「ナズム!」
ラーゴはこの後の展開を予想して、幻影の発動を要請する。
「ちぃ!」行商人が舌打ちした。もはや破れかぶれであろう。「みんな死ねぇ!」
結界に包まれたとは知らない行商人は、牽き鹿に使う長鞭のようなものを取り出し、ラーゴが飛び乗ったワゴン上の、バナナをいくつか叩き潰した。思わず飛び下りるラーゴは敵の意識を読むと ───
{この合図で蜘蛛たちは人、とくに殿下の特徴を持ったものに向かって飛びかかる}
自分が大丈夫な自信は、男の異様な緑色のいで立ちからきているらしい。ワゴンの上に残った大量のバナナから、何十匹もの蜘蛛が一斉に姿を見せた。同時に運ばれていたバナナ、数本の中から飛び出した蜘蛛五匹も、ミリンに向かって飛びかかって行く。
「いかん、そいつを止めろ!」
走り出してもゴードフロイの距離からは間に合わない。毒蜘蛛はラーゴの知識によれば、一匹で大人八十人からの致死量を持つはずである。




