第〇一七二話 アネクドート レオルド卿◆平定の知らせ
レオルド卿は、王都を出て地元領地に戻ろうとした矢先、陛下から緊急に登城の要請を受ける。
そうでなくても毎日毎夜、ミリンのことが気になって仕方がないレオルド卿。実のところミリンが王都をたって二日、ガスパーンからは毎日なにがしか、粗略ながら報告は来ていた。だが略筆といってもあまりに簡単な、『異常なし』とか『事件発生すれども問題なし』とか程度。真実、娘を案じる親の気持ちがわかっているのかどうか、知れたものではないシロモノだ。
即時性があるのは理解できるものの、本当に短い伝文の連絡がときおり、卿の手元に残していった彼の弟子のもとに届く。レオルド卿はその報告を、又聞きするに止まっていた。だから、はじめて一人で旅をするミリンのことは、常に心配で仕方がない。
とはいえ、今年成人の儀を迎えられる年齢になっている筆頭王位継承者であり、親バカのそしりは免れないと黙って我慢してきた。
そこへ真王からの特別な呼び出しである。もしかしたら、実はたいへんなことが起こっているのかも知れないと、レオルド卿は鹿車を走らせた。
陛下の部屋に参内すると、マーガレッタの代わりに最近聖霊から紹介を受けたという謎の聖女、クロスはいない。それほどプライベートな相談かと思ったが、クロスに侍らせるのは身を守る必要のあるときに限り、通常彼女は聖堂に詰めているそうだ。それでも真王の身に危険が迫れば、どこからでも駆けつけてくれるという。
どうやら午前中、聖堂の前で偶然見かけたので声をかけたらしい。だが何やら悩みごとでも抱えたふうで返事も上の空、さらなる会話もおぼつかない様子だったと言う。
それを聞いたレオルド卿には、王の用件がそれほど差し迫ったものでないこと、つまりミリンの進退に関わるような事件が起こったのでない、という状況が計り知れた。
陛下にこと分けて訪ねると、実は呼び出されたのは別件だ。当のミリンの話ではなく、帰る途中にサイバー子爵の領府ヨランに立ち寄って、王の名代である証しの印章を手渡し、ボコボの港まで陛下の名代で出かけてもらえるよう、要請してくれないか。あるいは子爵の艦を足に借りられるなら、レオルド卿がその役目をはたしてもらってもよい、という内容だった。
(子供の使いではないのだから、それだけ伝えるために侯爵を使うわけではないのだろう?)
ボコボの港といえば闇の組織が牛耳っており、今から娘のミリンが軍を率いて、治安回復に向かう段取りになっている、跳梁跋扈の戦場のはずだ。
「それはあのサイバー子爵を引き連れ、戦いを手伝いに行けということかい? それほど、 ── つまり教会軍でも、手に余る ── 助けがいるほどの相手だと?」
「違います。そんな危険な用事を、よもやあなたにお願いするはずはございません。どうしたことか分かりませんが、敵が勝手に内輪揉め状態になって自滅したというのです」
「そんなバカな? ── ではミリンたちは」
「今はまだ、多分ハーンナン公爵の領土に向かって、大河を北上中ではないでしょうか。ボコボに着くまで少なくとも、さらに七日ぐらいはかかるでしょう。ことの次第は昼までに、タドゥーカのミリンへ向け、正式な伝書鳩を飛ばしました」
いや、そんなことはない。
ガスパーンからの報告によると、大河では半魚人とやらの助けを得て、計画より丸一日早くハーンナン公爵府、タドゥーカに到着したと聞いている。ただそれはガスパーンが送って来た私信、しかも一~二行程度の愛想無い、伝文から類推した動静に過ぎないため、目くじら立てて真王に具申するほどのことでもない。いずれにしても、まだあちらで復活の魔法使いを探したり、さらに魔王城を経由するなら、たしかに早くて五日はかかるだろうからだ。
今回の船旅が一日短縮されたことを思えば、川下りで船足の具合がきわめてよく、あるいはタドゥーカを出発した後二日くらいで魔王島跡にも、着ける可能性はある。それでもミリンが、どれくらい魔王城跡でアレサンドロの回復の手がかりを探すために、手こずるのかがわからない。つまりいつ到着できるかは未知数ということだ。
「しかしそんな簡単に、残らず全滅するわけではないだろう」
「それが信じられないことに、海に討って出て争い、なんと一人残さず消えたらしいのです。しかもその相手が、共和国で町一つを占拠していたマフィアの部隊だった、というから驚きでしょう? あちらでは、わずかに幹部数名が残ったようですが、警備兵や市民によって一網打尽になったとのこと」
「同士討ちした者たちは?」
「海上で艦砲を撃ち合い、それに反応したモンスターたちに、一人残らず食べられたそうです」
ならず者たちが海上で戦い、ついには怪物に食われ、いなくなってしまうと説かれた、聖書の一節が彷彿とする。
「ならず者たちを食べたって? まさか、シーサーペントではないのだろうな? まるで、『バラルの箱船』 じゃないかね」
「あなたに話せば、必ずそんな話になると思っておりました。噂ですがボコボから出た船の残骸は、それらしき板きれなどが近くの島に流れ着いたらしいですが、大砲も備えていたというマフィアの軍艦三隻は、ほとんどすべて海に沈んでしまったそうです」
「それはまるで……」
「しかも、これはさすがに眉唾だと思うのですが、マフィアの軍艦に積まれていた大砲の残骸にみえる、わずかに流れ着いた残骸は、すべてタイ焼きで作られたものであった、というのです」
「それはないだろう。マフィアは聖書に載っている、タイ焼き製の船でやって来たというのか?」
「まあ ── そんなことで今回の反省から、彼方モーイツ港でも今後の都市防衛を考え、お互いの港町で相互支援による安全協定を結びたい、それが上手く行けば続いて貿易の協定もという、申し出が来たようなのです」
どうも、ボコボの庁舎を通じて、共和国から報告、提案された内容をまとめれば、次のような話になるだろうか。
一昨日の夜、つまり今から二日近く前のことにさかのぼるが、いきなりボコボのユニトータと、共和国モーイツを掌握していたマフィアは、原因不明の仲違いを始めた。それまで関係良好だったはずの、マフィアから送り込まれたエージェントの言葉が、突然通じなくなったという信じ難い噂もあるらしい。だがともかくその結果両陣営は、それぞれの席巻する港街から総員乗り込んだ船を出す。夜明けごろ鉢合わせた航路の、海境向こうで戦端が開かれた。静かな大海の夜明けまもなく、むやみに大砲を乱発する。これがモンスターの怒りにふれ、沈められた船に総出で乗って行ったユニトータは全滅。マフィアもモーイツに若干の首脳部を残して、すべて海の藻屑と消えた。
わずかに残った首脳部は一網打尽、軟禁拉致され続けた街の年寄り衆も開放される。一日かけてモーイツは街に危険分子が残留していないかを確認して、本日午前中に安全勝利宣言を発表。あわせてボコボの状態が同じように安泰であれば、今後こういった問題が起こらぬよう、安全保障の国家間契約を締結したいと申し入れて来たというわけだ。
信じがたい話というものの、マフィアの大軍が乗ってモーイツに乗り込んできた、軍艦レベルの武装船がすべて残されており、三隻入手したのだと云う。今後両都市による協力で、武装船も操舵できる乗組員を選抜あるいは育成し、それを活用して暴力組織に対する共同戦線も確立するべし、と持ち掛けてきているのだった。
と言うことならタイ焼き製ともいわれている、沈んだ三隻の船は、いったいどこから出て来た何ものだったのだろうか。
「 ── まあそれは共和国らしい、なかなか発展的な意見だ。しかも南国からの糧食の輸入も、大量に可能になるんじゃないのか」
いままで自給率を高める必要性から、貿易に保護主義をとって来た王国は、南国の豊かな農業国にとっていい商売相手でなかったため、独自の輸出入ルートがきわめて細く貧しい。公開港であるボコボにすら、たいした商人が育っていないのは、国の方策が大きく反映されたものだ。だが共和国は違う。モーイツなどは貿易だけで成り立って来た商業都市であり、自国の生産品はほとんどないが、海運で仕入れて来たものを帝国に売ったり、帝国の物産を南国へ持って行ったりして、かなり稼ぎもあると聞こえていた。年内に貿易協定が締結され、あちらが協力してくれれば、不足する食糧を輸入で補うのも不可能ではない。もちろん金は必要で物入りだが、飢えて死ぬ者のどんどん出る、といった窮状に比べればましだろう。
しかもそんな輸入を円滑に活性化しようと思えば、マフィアやユニトータがうろうろする環境では難しい。共和国は今までにも、交易などで関係の深い都市同士が安全保障条約を結び、統一された治安維持規制法の中で、公共の安全を図るよう努力して来ている。しかし新しい国で、海軍などの力は十分になく、かたや海洋国でない王国にも軍艦の操舵要員は多くない。足りない二つの国が力をあわせて、なんとかなるかどうかの瀬戸際だろう。だがそれには乗って行かなければ、いつまでたっても王国は、海外からの脅威に脅えて暮らさざるをえないうえ、糧食の輸入もままならなかった。
「まだ先方の特使が来るまでには日にちがあるのですが、こちらも急いで責任ある人間を、現地に派遣しておかなければなりません。王都からまっすぐ行けば六日はかかることになりましょう。しかし、サイバーどのならなんとか海回りの手段を使って、三~四日ほどでついていただけないかと思っているのです」
「魔王城跡の滞在期間にもよるだろうがね。では、それに僕にも付いて行け、というわけなんだな」
「そうは言っておりませんが、その判断はお任せいたしましょう。ただあなたも、ミリンの顔がそろそろ見たいだろうと心配しただけです。私はここを離れるわけにはいかないので、せめてその親らしい役回りは、あなたに譲ってあげようという、内助の功と考えてもらえればけっこうですわ」
「結婚して長くなるが、きみから内助の功をいただけるとはついぞ思わなかった。ではそれをありがたく受け取り、今日中に子爵のところに話を持って行こう」
「今日ですか? もうお昼を回りましたよ」
真王陛下はそれを聞いて驚いたものの、ことがことだけに、自分がヨランまで出向く必要はないと考えてのことだ。たしかガスパーンが育てた弟子仲間の魔術師を、サイバー子爵にも一人斡旋して重宝されているはずである。すぐにも連絡を取れるだろうし、今から市鹿車を飛ばして行ける、街道の宿場町まで出張ってきてもらえれば、今夜中に会って話ができるにちがいない。
(すぐにも帰領するつもりで支度はできている。身の回りの警護だけを連れ、機動性の高い者だけで出発すればいい)
ボコボへ旅立つのに必要な荷物は、最低限のものだけ後を負わせればいいだろうと考える、旅慣れたレオルド卿であった。




