第〇一六五話 クレナイ◆「チョロい」衛兵
「こらこら、今日のお客様だとは思うが、勝手にウロウロされても困るんだ。どこへ行くのか?」
「申し訳ございません。殿下から公爵様に、内々でお渡ししたいものがあるということで預かってきております」
振り返ったクレナイの顔を見て『ほー』という顔になると、突然ニヤニヤし始める衛兵。
(チョロい ───)
初めて見る美人に、ややデレっとしてしまっているのだろう。おそらくこの国においては、見た目と気だてがよく、向上心旺盛な娘は、コネさえあれば王城を目指すものと聞いた。領内でもっとも美しいメイドであっても、領主の第一夫人は期待できないが、王城のメイドなら万が一という玉の輿も、夢ではないからだ。とくに男子跡継ぎのいない公爵城に、そうした希望は一縷もない。
そんな事情から、公爵領とはいえ地方では拝めない超一級の美形を初めて見て、のぼせ上がった衛兵は顔を近づけてくると、耳元でささやくように告げる。
「ではわしが預かってやろう」
「いえそれでは私が叱られてしまいます。必ず手渡すようにと、殿下からアーニャさまか、公爵様を御指名でございますので」
衛兵はやや不足そうな顔をしたが、そうまで言われては仕方ない。
「ではこっちだ」
クレナイの満面の笑顔に負け、城の奥まったほうへ案内してくれる。やや長い階段を上がり、赤い絨毯が敷き詰められているフロアで、さらに奥に進むとそこにも衛兵がいた。
「どうされたか?」
「この女がアーニャさまか公爵様に、お渡しものを持って来たということで連れて来た」
だんだん大ごとになってくる。みんなの前で本当に何かを渡せと言われると、何も持っていないクレナイは困るのだ。それでも、ターゲットの居場所が聞き出せるまでは、当面この態度を貫こう。
「わかった。しかし今、公爵様はお取り込み中で、部屋にはだれも立ち寄らせるなということなのだ。残念だがもうしばらく、時間をおいてから来てくれないか?」
ややラッキーだが、かなり遅くなって工作する時間のなくなるのは困る。ここは魅了の能力は発動せず、恋い慕うかのような笑顔をふりまいて尋ねた。
「どれくらい後に、再度訪問させていただいたらよろしいでしょう?」
この場を守る担当らしい衛兵はやに下がり、困った表情ながら顔を近づけてくる。
「さあね、それは分からんのだが、公爵からお許しのあるまでは、お声がけできないのでなぁ」
何となく気まずい雰囲気だ。何か隠しごとをしているのは間違いないものの、それが何かはわからない。
「お尋ねするのは、またこちらでよろしいのでしょうか?」
「そうだな、そのほうがいい。こちらに来たことはお伝えするので、もし所用の済まれた後、どこか別の場所に動かれるのであれば、どこへお尋ねしたらよいか、聞いておこう」
「ちなみに公爵様は、今この奥の部屋にいらっしゃるのですか?」
「ああ、そうだ。申し訳ないがアーニャさまと御一緒なので、どちらをも呼び出しすることはかなわないが……」
「わかりました。ではまた後で参ります」
衛兵にしてみれば、常なら何事も起こらない暇な時間、もう少しゆっくり話したそうにするが、つれなくクレナイは去って行った。
場所さえわかればそれでよかったが、クレナイの後ろ髪で潜んでいたナツミが、種族間感応通信を送ってくる。
{透視えたわ。まあなんと、邸に賓客 ── 王女殿下を迎えておいて、自分たちはもう一度一戦交えてたみたい}
さすがにそっちの臭いにピンときたようだ。その道の大家ナツミは、さっそく公爵と寵姫のプライベートを覗き見ている。
促されクレナイも、透視能力を働かせ、公爵の部屋を窺うと、言われた通り公爵とアーニャは、あられもない姿でベッドの中にいた。
「こちの人、よろしかったんですかぁ? こんな大事なときに」
「いや、今朝お前とあの時間を楽しもうとした刹那に、緊急で呼び出されただろう。まさかこんな早くに殿下がお着きになるとは思わなかった。飛び起きて慌てて用意をしなけりゃいけなかったんで、不満がいっぱいなんだ」
「まあ、お上手ですわ」
「いや、朝にお前とこういう時間が持てると、一日調子が良くてね。逆に王都へ一人で行って ── つまりお前がいないと、調子が悪くてしょうがないんだ」
「そ ── それはうれしいですわ。でも今、殿下のお相手は?」
「もちろん。手当はしておいたから、もう少しこうやってさせておくれ」
どうやら大事なことは終わったらしく、余韻に浸る公爵がいる。熟年を過ぎかけた男が、今まさに盛りと見える女にまとわりつき、張り詰めた若い肌に唇を這わせていた。女は小柄とはいえ、たしかに人間としては男好きのするような、肉感的でなまめかしい肢体である。だが人間同士の痴態など、その方面のたち人と呼び声高いナツミでもなければ、見ていて気持ちのいいものではない。とくに記憶を取り込む機会が多いクオレや自分は、いやでもそういう記憶も、すべて流れ込んでしまうため、食傷気味なのだ。
たしかに今朝、夜明けごろに連絡が入っているはずである。陽の差し込みとともに目覚め、愛惜する寵姫の顔を見てムラムラっとしたところに、水をかけられたのかも知れない。その不満が募りながらミリン一行を迎え、賓客を大臣に任せている今 ── ということのようだ。それほど公爵は、この寵姫にイカれているのだろうか。
再び、クレナイが話を交わした、入り口のところにいる下心のありそうな衛兵の様子を見る。するとちょうど、大声で主人二人の中傷に、話の花を咲かせていた。
「いや、なかなかいい女だったな。また来たら、俺はこの後非番だから、ちょっと誘ってみようかなと思ってるくらいだ」
「やめとけ。そんなことして、もし母ちゃんにでも聞こえたらどうなる?」
「そうだな、それほどのかい性もないしな。あの女は、かなりいいところの貴族の娘かも知れないぞ。グラリスさまだって、殿下のメイドだったのだから」
「そうだなぁ。下手なことを言わないほうがいい。明日からのおまんま食い上げになるぞ」
「しかし老いらくの恋とは言うが、公爵の最近の様子はどうだ? 朝っぱらからかよ」
「アーニャ、アーニャ、アーニャだ。昔はあんなじゃなかったんだけどな、鋭くて頭がよく切れて。年齢くってから来ると治らないらしいぞ」
「そうだろうか。まあたしかに色っぽくてやってみたい女だとは思うがな。さっきの女とどっちがどうだ」
「俺はやるだけならアーニャさまかな? 先ほどの女ぐらい奇麗になると、ちょっと俺には神々しくて手が出ねえや。あんな女は裸に剥いても、恥じらいもせずこちらを見下していそうに思うよ」
「そんなことはないんじゃないか。幾ら奇麗な女でも、あのときは恥じらうもんだろう」
「そうかね? 俺はアーニャさまなら、だいたいどんな顔をしてやってるか、想像つくぜ。一度だけ連れて行かれた高級娼館に、あんな感じの女がいた覚えがあるからな。高すぎて拝ませてもらうだけで終わっちまったが」
「しっ! めったなこと口にするもんじゃないぞ。アーニャさまが、娼婦みたいだなんて噂してたって聞こえたら……」
「たしかにな、そりゃえらいことになる」
つまらない話を聞いてしまったクレナイだが、後悔しつつも、しかしまたこれは好機だと思う。中の事情を知る限り、しばらくはあの部屋に入ってくる人間はいなさそうだ。しかし、二人がべったりくっついている間は、さすがに自分が人の姿で、血を吸いに現れるわけにはいかない。
{どうしたらいいかな、ナツミ}
{アタシに任せて、ナゴミも手伝ってね}
{了解!}
二人はどうしただろうと思って再び透視すると、ようやく公爵の手から逃れて、アーニャは体を拭きに立ったところであった。




