第〇一六三話 決死の殿下毒殺
しばらく、ゴードフロイが被害について、確認するのに時間をとった後、交渉は再開した。
「 ── 若干、目を回した者がいるようだが、あれごときで落ちた間抜けな者などはない」
「落とし物なら一つ拾っている。このトカゲどのだが、もしかするとそちらのものではないのかと ──」
「あー、そんなモノが落ちていたか。その間抜けはこの船の戦力ではない。我らの要人が大事にしているペットだ。よろしければ、速やかにお返しいただきたい」
ゴードフロイの心ない発言を聞いたクエドワードは、他の半魚人と顔を見合わせて ── うなずきあう。ラーゴが主張していた事情のほどを、納得してくれたようだ。
「 ── もちろんです。何かひきあげるものがあれば。そう、ロープでもおろしていただけないだろうか? ご本人はお元気なようですから、結び目をつけたロープくらいで大丈夫でしょう」
トカゲに敬語はいただけないが、ゴードフロイから『要人の』という言葉が出たことに気を遣ったものと思ってもらいたい。
「よし、わかった。おいだれかロープを! ── それでどうしたことだ、間違いとは」
こうしてようやくラーゴは引き上げられた。一方敵意がないと判断され、ボートに乗ったゴードフロイが海面まで下りる。そして半魚人とゴードフロイの話が始まるようだ。
攻撃を辞めたきっかけに、赤ん坊王子と似たような大きさの、トカゲが落ちて来たことという話が刺し挟まってドキッとしたが、許容範囲で収まってくれる。その後は打ち合わせ通りで、当初ゴードフロイは半魚人の話を半信半疑に感じたようだが、あわや大河に沈むかと思ったところを、止めた理由も他には見当たらない。まもなく、サイバー子爵に保護されたという密林王国の王子の話が、ガスパーンの力で確認。なんでも、サイバー子爵の居城には、ガスパーンの弟子が勤めていると云う。その魔術師がさきほど来、密林王国に対する連絡のくだりで、サバトラーの話に上がった魔法使いではないか、と感じられた。
(─ レオルド卿との付き合いでゲットしたんだろうな)
サイバー子爵の人柄もここで役に立つ。変なおっさんだと思ったが、王国の中での信用度は抜群だ。間違っても余人に騙されるわけがないというのが、マーガレッタの評価であった。
「子爵が保護された一族というなら、間違いありません」
(─ 魔族の操るオートマトンを、心がまっすぐな人間、と見込むようなヒトだけどね)
とはいえマーガレッタが保証したことで、一気に半魚人たちの信用度がアップする。
これなら、ほっておいてもいい話になって行くようだ。ラーゴはこそこそ階段を下り、ミリンの部屋に戻ろうとした。そのとき、クレナイからの緊急通信だ。
{主様、男が動き出しました}
{どこへ?}
{今、ついて行ってますが甲板から ── 、これはきっと、殿下のお部屋のほうです}
そこにはミリンに化けていたため、甲板から身を潜めたクラサビがいる。甲板に人が増えて来ることを想定して、目立たぬようミリンの部屋に戻そうとしたところだ。それを見つけた男が、ヒトとは思えない速度で駆け寄った。
(─ こいつ、もしかして麻薬強化人間なんじゃ?)
あのときほどの違和感は覚えなかったが、それに近い動きである男は、クラサビの肩を掴み、自分のほうへ向き直させる。何をするのかと思ったら、いきなり顔を近づけ、接吻した。驚くクラサビだが、すぐにカッと目を見開いて、男の腕に手をかけると、ものすごい力で引き離し ───
「バッカー!」
と言って、思いっきり顔面直撃の正拳付きで殴り倒した。その後、ぺっぺと何かを吐き出している。
{大丈夫、クラサビ?}
ラーゴは跳んで、クラサビのところへ走り寄った。
{こいつ、あたいの口に何か入れたんです}
クラサビの吐き出した液体を、千里眼で見る。するとまたしてもトリカブト、猛毒だ。
{大丈夫? すごい威力の毒だよ}
{はい主様、毒物は魔族には効かないですから。美味しくはないですけどね。単に口移しされたのが気持ち悪くて。それよりその男が ───}
男のほうが、自分の口に含んだものを少量でも飲み込んだのだろう。痙攣し、息絶えて行こうとしていた。半魚人たちによる、船の襲撃が失敗したとわかり、ミリンの命を狙った、最後の命がけの攻撃だったに違いない。
{ナオミ!}
{無理です。それよりクレナイに!}
クレナイが人の姿に変わり、あわてて血潜りの術を行なう。ラーゴは慌てて、二人の周りに簡易な情報隠蔽結界を張り、十里眼が使えない者の視認からその様子を隠した。ミリンの部屋から影鍬が一人でも出て来たら、アウトの光景に違いない。
ナオミがクレナイを推したのは、自分だと血液治癒をしている間に死んでしまう可能性があるからだ。それでは元も子もないので、どうせ一度吸血するなら血潜りの術を使って、記憶を少しでも調べたほうがよいということらしかった。ナミかハツナ、少なくともヤヤがいれば何とかなったのだが残念だ。
外から見る限りは、クレナイが吸血しているようにしか見えないが、吸い込んだ血をもう一度戻すわざである。だが、そうする間にも息絶えてしまう男。
「あーそこまで?」
クレナイの残念そうな声が漏れる。やはり命が尽きると、それ以上は読めないようだ。
{この男は操られていただけのようです。マフィアの幹部、毒を使う暗殺者に。それくらいしか分かりませんでした}
{そう、仕方ないね。じゃあもう一度、カマールに戻ってて}
クレナイがかなりしょぼんとした様子である。見張っていたのにこの男を止められなかった、あるいは情報を引き出せなかったのが残念なのだろう。しかも主犯は他に居るようだ。
{しかたないよ、でもクラサビが身代わりになってくれててよかった。殿下だったと思ったらぞっとするよ。そうだ、ミリンは大丈夫かな?}
クラサビがドアを開けると、介抱する影鍬二人が姿を見せたままである。ミリンも横になってはいたが、意識は戻り、落ち着きを取り戻した様子だ。
「殿下」
「クラサビ大丈夫でしたか? 船はどうなったのでしょう?」
「どうやら襲ってきたのは半魚人です。それもマフィアたちに騙されたモノたちだったようで、すでに和解しました。詳しいことはまだ、今ゴードフロイさまがお話をされている最中で、あたくしにはわかりません。甲板に上がられたら、教えていただけると思いますよ」
「そうだったのですか。でも分かり合えてよかったです」
「それから、先程あたいを殿下と間違え、襲って来た男がいました」
「大丈夫でしたか?」
「はい、抵抗したら口に毒を含んでたらしく、それを飲んで死にました。そこに転がっていますが、後でだれかに来てもらいます」
そうだ、そのほうが話は簡単だ。
「よかった、あなたに何もなくて」
「殿下、クラサビどのはカゲイが手も足も出なかった、クロスどの御推奨のお仲間。滅多には、敵に後れをとることもございませんでしょう」
「そうなのですか?」
「はい。あたいは強いです」
陛下のドレスが、ラゴンの手によって複製されたコピーを、身にまとっているクラサビは腕まくりし、力こぶを出して披露した。
もうそろそろ、半魚人のほうから船の航行を手伝いたい、と云う話がついたころだ。
何も知らない兵士も甲板に多数出ているのを伝えると、正体が広まることが気にかかる様子のミリン。黒い鬘をかぶったまま、レオルド卿に持たせられたという地味目のオペラマスクをつけ、甲板に上がって行った。ミリンが話を聞いて承諾すると、すぐ船は彼らが作り出した川の流れに乗り、真夜中にもかかわらず高速に走り出したのが感じられる。
日中、帆船の出せる最高の速度を越える、その三倍は速いと船長も驚いているようだった。




