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第〇一五九話 アネクドート クラサビ◆御用達船沈没の危機

「わたし、しばらくこの格好でいていいかしら」


 殿下は高級作業風衣装を、かなり気に入ったようだ。


「もちろん、構いませんけど」

「よしわかった。 ── それでは殿下。これでどの程度騙し通せるか、私がクラサビについてその辺りを一廻りしてきます。私が守っていれば、さらに殿下らしく見えるでしょう」


 マーガレッタが食いついてくる。どうやら今現在、迫りくる危機を感じているのはラーゴとそのチームだけのようだ。先ほどミリンに纏わせていた引き抜きのドレスを、マーガレッタが手伝ってクラサビに着せると、最後の仕上げとばかりにクラサビが化粧道具を出した。


「殿下失礼します」


 と言うと、ぱたぱたとファンデーションやチークを塗ったり、口紅をつけたりと忙しく動き回る。マーガレッタにミリンの背中を見せておいて、お化粧するふりをしている寸暇(すんか)、ヤチヨの変身能力でミリンを現在のクラサビに近づけた人相に変えた。


「いかがでしょう?」


 鏡を見せると驚くミリン。


「まあ、あなたみたい」

「これで黒いかつらをかぶってもらえれば、もう殿下かどうかわかりません」

「たいしたもんだ」

「じゃあ、あたいも」


 今度はクラサビが鏡のほうを向いて、ちょこちょこちょこっとお化粧するふりをしながら、ラゴンお手製のかつらをかぶる瞬間、ミリンの顔へさらに近づける変身だ。


「いかがでしょう」

「まぁ、そっくり。双子のようですわ」

「それはすごい。きっとだれもわからないぞ。私も一度やってもらおうかな」


 殿下はさすが親子である。手を打つタイミングまで、陛下と反応がそっくりだ。マーガレッタの発言はなかなか困ったリクエストで、できれば断りたい。


「マーガレッタさまはお化粧とかなさいませんでしょう」


 一定の距離をとるため、失礼なことを言っておく。


「ひどい! これでもちゃんとしているのだぞ。日焼け止めとか塗って」


 傷ついたように言うが、顔は笑っている。


(日焼け止め? おしろい、塗りましょうよ、 ── いやしないか、やっぱり)


 期待を裏切らない隊長様であるが、そんなやり取りでごまかせたようだ。


「そうですか。では殿下、ちょっと行って参ります」

「クラサビ、ラーゴは連れて行かなくていいのですか?」

「そうですね、主 ── アルジ、ある時期から、ラーゴさまは殿下のトレードマークですものね」


 つい顔を見ていると、主様と言ってしまいそうになるクラサビ。


「よろしい。では少しの間だけお貸ししましょう。ラーゴ、知らないお姉さんだけど嫌がらないでね」


 実際にはミリン一人残して行くわけではない、ヤチヨもミリンにかぶせた(かつら)の中にいるし、影鍬(かげくわ)も二人潜んでいるだろう。

 だが見た目だけいうと、ミリン一人を部屋に置いてマーガレッタとクラサビ、そしてラーゴが外に出た。

 しかしそのとき、予定外のことが発生する。クラサビがマーガレッタについて甲板に出る階段を上がっているところで、いきなり船が大きく傾いたのだ。


「きゃあ!」


 マーガレッタがクラサビの手を取ってくれていなかったら、おそらくラーゴもいっしょに階段の下に転げ落ちていただろう。それを防ぐため、空中に浮こうとしたかも知れないのでありがたかった。


「大丈夫ですか? 殿下」


 マーガレッタは、クラサビに声をかける。すぐ周りには人は見当たらないが、ミリンに話しかけているつもりだろう。


「ありがとうございます」

「いいえ。ここは『大儀です』とおっしゃって下さい」

「すぐには慣れない ── ませんわ」


 マーガレッタが微笑む。


「言葉づかいは、特訓が必要ですね。しかし何だろう? 注意して進んでいるはずだが……」


 旅に出た後、敬語はナツミやナナコから、種族間感応通信(ウィップライン)でかなりの特訓を受けてきたのだが、殿下の言葉となると、まだまだ修行は足りない。


「暗礁でもあったのですかしら?」


 なおも大きく傾く船、今度は反対だ。


(おかしい、しだいに船はゆっくり回り始めてる。どうなっているの?)


 急いで河の中を透視するが、水の流れと泡の邪魔などで、何やらよくわからない。

 クラサビは胸もとに抱いたラーゴに、感応通信(ライン)で呼びかけてみた。


{主様!}

{分かってる。川の中から何か大きな力が、船を無理やり動かしてるんだ}

{何かの力って? マフィア?}

{川の中に何人も、水を操るやつらが動き回ってて、泡やらなんやらでよくわからない。魚か? いやこれは ───}


 また大きく船が動く。ラーゴとの連絡が一度途切れるが、クラサビから強制接続を依頼した。


{ナオコ! うちのグループ全部つないで! 主様も}


 近くの柱にしがみついていなければ、飛ばされそうなほど船が踊っている。


「川の主だ! 川の主が怒ってるんだ!」

「大虹蛇だ! 船を飲み込むつもりだ!」


 やはり甲板にいた何人かが、好き勝手に叫ぶ。たしかに状況はまったくわからない。川全体に大波が打っており、船はさながら大海に浮かぶ木の葉にも思える。


{みんな大丈夫か?}


 フルオープンになった回線でしゃべりかけたのは主様だ。すかさずヤチヨが返事をする。


{殿下が頭を打って、意識を失ったの。影鍬(かげくわ)たちが出てきて、介抱にあたってる。気絶しているだけで、大事はないと思うって}

{わかったよ。いまさらだけど、ミリンの頭周りに結界(オービチェ)を張った。ヤチヨはそのままミリンを見ていて}


 軽装のヘルメット状に頭を守るだけのものだそうで、介抱と言っても、ベッドに横たえて体を動かないよう支えているだけの、影鍬(かげくわ)には気が付かれないそうだ。


{わかりました}


「マーガレッタさん、あたいは大丈夫だから船長のところへ」

「わかった。影鍬(かげくわ)がいるから大丈夫とは思うが、きみはできれば姫様のところへ」

「わかりました、客室層に下りられれば、ですけど」

「そうだな、とりあえずこの状態をなんとかしないと」


 足元が安定しない中、マーガレッタでなければ難しい足遣いで、船長室へ走って行く。


{主様、あれを見て}


 甲板から見えた、川の中心にできている大きな渦をラーゴに教える。船が引きずり込まれて行きそうだが、それに対抗できる推進力のないはずの船にもかかわらず、一気に吸い込まれないのは ── ガスパーンだ。船の舳先に立って杖を振り上げ、必死でなにやら呪文を唱えている。

 しかし、その力がいつまで持つのか分からない。

 瞬間、クラサビの頭に、ラーゴから意を決した命令が響く。


{クラサビ、ボクをあの渦の中心まで放り投げて! クレナイとヤチヨはそのまま動かず、他のみんなはボクについてきて}


 クラサビは一瞬躊躇をおぼえるものの、ラーゴがたとえ間違っていても、忠実に従う旨を出発の日、仲間たちと確かめ合ったばかりなのを思い出した。

 迷いを振り切ったクラサビは、ラーゴを掴むとウイプリーのバカ力で、渦の中心めがけて放り込む。


「じゃっぼーん!」



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