第〇一五八話 アネクドート クラサビ◆替え玉作戦の発動
ユスカリオからラーゴを預かったクラサビは、人目のない場所で久々にラーゴの血液補給を受け、そのままミリンの胸元へ一直線に動く。ミリンは、マーガレッタと一緒に船長室のほうから戻ってきているところだった。どうやら夜間の船の進行について話を聞いて来たようだ。二人の会話からもそういう内容が漏れてくる。
「簡単に言ってしまうのなら、夜の間はほとんど進めないってことなのですわね」
「殿下、夜はまったく川の状態が分かりません。完全に停まっていないだけでも、かなりプラスになると思われます。野営のテントを張ったりたたんだりの仕事で、やや明るい時間も無駄にしていることを考えれば」
「たしかにそうですわ。実質、明るい間しか動けない行軍では、日中七時間も進めていないですものね」
「しかも船に弱くない者は、ゆっくり休めるということもございます」
(絶好のチャンスだわ)
クラサビは、今こそミリンに替え玉作戦をうちあける機会だと判断した。ミリンの通行を妨げぬよう、通路わきにひざまずいたクラサビは声をかける。
「殿下」
「あぁ、あなたは陛下からご推薦のあった……」
陛下や殿下に話す機会が増えたクラサビは、特訓でかろうじて敬語が使えるようになっていた。
「はい、クラサビと申します。直接お声お掛けさせていただく失礼を、どうぞお許しくださいませ。ラーゴさまが殿下の元に帰りたがって仕方がないようなので、ユスカリオさまからあた、た、あたしがお預かりし、お連れいたしました」
(やったー。言えた!)
立派な口上が言い終えられ、ラーゴを差し出すクラサビ。その話に信ぴょう性を加えようと思ったのだろう。主人を認識した冷血獣は、嬉しそうにミリンの胸元にとんで行く。
「あら、ユスカリオはどうしたの?」
「ただいま酒場のほうで、ゴードフロイさまに捕まっておられます。かなり飲まれているようですのであたしが代わりに」
「まあゴードフロイどのったら、でも仕方ありませんわね。わたしのほうから、ここではゆっくりして下さいと申し上げたのですし」
船なら安全だとだれもが思っている中、ゴードフロイの毒殺が謀られたという情報は、もはやラーゴからクラサビにも、伝えられた後だった。
(そんな手を仕掛けてくるということは、すでに二の矢三の矢が構えられていると考えて間違いないわね。最終的なターゲットは殿下のはずなのだから)
「殿下。実は出発直前に、陛下から内密の策を一つ、お授かりしてございます。もしよろしければ、殿下のお部屋のほうでご相談をいたしたいのですが」
「まあ何かしら?」
「できればマーガレッタさまも、ご一緒にお聞きいただけますでしょうか? そのように陛下からも、言いつけられております」
「もちろんだ。カゲイから伝え聞いていたが、策については、私も知っておかないとな」
なんの証拠もなしに話しかけたため、新参者のクラサビはもう少し疑われるかと心配したが、取り越し苦労だったようだ。マーガレッタの口ぶりから、なにかの策を持ってクラサビが任官されたことは、影鍬経由で知らせがあったらしい。
ラーゴを連れた三人は、階段を下りて王家専用の豪華な客室に入った。
マーガレッタやクラサビら次女など、女性用の部屋も隣に並ぶ貴賓室だ。部屋に入るとクラサビはかつらを二つとりだす。一つは真っ黒のもので、もう一つはミリンの髪と同じ金色の、しかも髪型もほとんどミリンのそれに合わせて作り変えられていた。
まず居残り組が王都のかつら屋で買い求め、手渡されたクロスが聖脈経由でラゴンの手元に送る。そしてクリムの器用さ技術を用いて加工した後戻されて、真王謁見前にクラサビに渡されていたという、手間のかかった鬘だ。
もう一つクリムの器用さを使って、本日未明にラゴンに作ってもらったばかりのものも王女殿下にお見せした。それはラーゴが考案した引き抜き服セットである。作業着にも見える軽装服の上に、ミリンがいつも着ているような、ドレスを纏えるよう加工したものだ。
後ろは一本の紐で止められるようになっていた。しかも見た目は公的な場所でも恥ずかしくない形に仕上がっているはずで、その紐を抜けば一瞬に中の作業着姿へ早変わりする逸品だ。
何しろ外側の素材は、女王陛下にもこの策に賛同いただいて、拝領した若き日のドレスを加工した超豪華衣装である。見劣りがするわけがない。
「これであれば、よほど殿下を普段から見知った者が、近くで顔を改めないかぎり、背格好も同じくらいのあた ── あたくしなら身代わりになれると思うのです」
ついつい出そうになる『あたい』はヌケそうになかった。しかし外見については、そもそも身代わりを想定して、同じくらいの見た目に変身しているのだから当たり前なのだが。
「それでは、あなたの身に危険が……」
「大丈夫です。いざとなったら鬘をとって見せ、あた ── 自分は殿下じゃないと白状しますから。そのように陛下より、承ってまいりました」
もちろん陛下から指示などされていないし、クラサビにもそんなつもりはない。さらに言えば、王女殿下に見える自分の身に危険を及ぼそうものなら、そうした不埒者にはさっさとこの世を引退してもらおうとクラサビは考えている。
「そうしてくださいね。わたしの身代わりで人が死ぬなんてまっぴらですわ。この間だって……」
そう、ミリンの脳裏をよぎっているのは、襲撃に使われた魔法銃。あれが運悪く急所に当たっていた兵士の何人かは命を失ったらしい。もとより命をかけて国から出て来たとはいえ、ミリンにとっては認容しがたい犠牲であったようだ。
「いや、なかなかクラサビどのも使い手であるようです」
マーガレッタから始めて声がかかる。魔族の力は、完全に隠せているはずにもかかわらず、不死身の超人に対して、隠しても隠し切れないものがあるというのだろうか。
「そんなことありませんよ」
クラサビはにこやかに返すが、同じように笑顔でいるマーガレッタの目は笑っていない。とはいえそこに敵意はないようである。
「でも鬘をとったクラサビが、わたしより魅力的だと敵に気に入られて、連れ去られたらどうしましょう」
「それこそありえませんわ」
三人は声を出して笑った。そしてさっそく、一度お互いの衣装を身につけてみる段取りになる。クリムの技術による、引き抜きドレスは見事としか言いようがなく、予想したとおりまさに一瞬で、中に着た作業着ふうの衣服に変わることができた。
「殿下。これではお寒くありませんか?」
「そうですね。ドレスから突然に脱ぐと、ちょっと寒いかも知れません」
「ではあたい、いえあたしの着ている上着を、そのときはどうぞお使いください。汚いものですがごめん ── ご容赦を」
「いいえ。この作業服のような形のものも、とても着心地がいいですわよ」
それはもちろん、裏生地に王都で手に入るうちでは最高級の布を使った、ミリン専用の高級作業風衣装だ。クリムの器用さというのは、どうも常人の域を超えるもののようで、引き抜きドレスにしてもかなり着心地良く仕上がっている。とくにこちらは見かけは度外視の作業服であり、着心地最重要視で作られているらしい。
「お休みのときにも、お召しいただけるように作成させました」
ここを『強く』勧めるよう主様から言い遣っている。だが、なぜなのかはクラサビには分からなかった。




