第〇一五七話 勇者毒殺を阻止する必殺技
バーは狭いので、人が出入りすると椅子の背中と体が当たるほど混雑しており、それを気にかける者はいないようだ。
そんな中、ふらふらと怪しい男が酔ったふうでゴードフロイに近づいて来た。その男の醸し出しているのは、悪意のオーラだ。
そいつは机の上でおとなしくしている、ラーゴの傍に置かれたゴードフロイの飲みかけのグラス横へ、ふらついた体で手をついた。そしてだれも注目していないと見た瞬間、飲み物の真上から千里眼でなければわからないほどの粉を、少しだけ落としたことに気がつくラーゴ。すぐに千里眼の力で飲みものを調べると、毒物らしき反応を示しているではないか。
さらによく見れば、トリカブトと毒物の名前も浮き上がって来た。
(─ どうする? いかに勇者といえども、毒を飲まされれば無事では済まないだろう。死に至らないまでも身動きが取れなくなって、そこを狙われたらヤバいんじゃないか?)
たとえばゴードフロイが動けなくなったのを見て、この船を襲ってくるかも知れない。
そう思っているうちに、ゴードフロイがグラスを掴もうとする。もはや迷っている余裕はない。ラーゴは机の上に飛び上がる。ゴードフロイの腕にからんでコップにお尻を重ね、ジャーとおしっこをした。
「なにやってやがる! こいつー、 ── こっちの空のコップに全部出しておけ」
ゴードフロイがラーゴをつまみ上げ、空のコップのほうに放尿するよう促される。何もしないのも変と思い、かなり溜まっていたようにコップの半分ぐらいまで出しておいた。
(─ けっこう、いつでもだせるもんだ)
「あーこれは飲めないな、変えてくれ」
バーテンはなにも見ていなかったようで、ゴードフロイに指示された毒入りグラスを持ち去り、捨ててしまった。オシッコ作戦は成功し、なんとか犠牲者が出なかったものの、すぐにマスターらしき風格のある人がやってきて言う。
「 ── あのウヰスキーは、あんたたちの持ち込み分だったよな。すまないが、あれで度数の高いのは、もう終わりだ。他には ── 、バーボンならあるがどうだい?」
「え、同じものがもうない? くそー、こいつの行儀が悪いせいで、 ── やっぱり食っちまおうかな?」
(─ 命を助けてやったのに、やはりこいつは毒で死んでもらったほうがよかった)
保護者のユスカリオがラーゴに代わってひたすら謝り、自分の腕に載せてバーを去って行こうとするが引き止められる。ゴードフロイもユスカリオには厳しいことを言わないようだ。食い物の恨みは恐ろしいというが、その恩恵も絶大らしい。
ラーゴは先ほどの男がバーのどこに行ったかを探した。毒が入れられた酒を処理する間、目を離したので見失っていたが、酒が捨てられたのを知って、そそくさと席を立つやつがいる。意識を読むが『失敗した』とちらりと考えただけで、その後はそんな気持ちがおくびにも出ないよう、自らの意識を閉じこめ、それ以上の内容は意図的に隠されてしまった。
(─ あいつだ)
すぐに耳の中にいたクレナイを向かわせる。クレナイは、対象の記憶を自分のものにしてしまう、『血潜り』という術を得意とするのだ。
(─ 無理やり読み出してもらおう)
そうこうしているラーゴの傍らでは、ゴードフロイとさきほどのバーマスターが言い合いになっている。
「これは、飲まないのかい?」
グラスを引こうとしたバーマスターが、中に入った液体から立ち上る匂いをかいで、そんなことを言ったからだ。
「冗談じゃない! それはあのトカゲの小便だ」
「それこそなにかの冗談だろう。あっしは酒を客に出して何十年となるが、こんな芳醇な酒の香りはめったとお目にかかれない、間違いなく上もんだ」
「人が酔っ払ってるからと思って、何てバカなことを言う。ちょっと寄越せ」
「どうだ? うまそうなスピリッツの香りがするだろう」
「やはり酔ってるのかな? たしかここには、あのトカゲのおしっこを入れたはずなんだ」
うまそうな匂いがするグラスを眺めながら、しばらく考える。だが酔いの回った頭で正しい判断が出ないと思ったのか、ままよ ── とばかりにそのグラスを飲み干すゴードフロイ。
「うう、美味いな」
「それが本当にトカゲがした小便かい? しかしうちに、そんないい酒は置いてないがなあ?」
ラーゴはたしかに自分の粗相したものを、ゴードフロイがうまいと言って飲み干すのを不思議に思って見ていた。
ゴードフロイの意識を読むかぎり、もともとお酒が入っていたグラスだったのだろうと、思い込むことにしたようだ。ラーゴにこちらで、と言った杯に実際には、軍のだれかが持ち込んだお酒が、そもそも入れてあったのだと。そしてつぶやく。
「今日はちょっと、酔っ払っちまったなー」
そのとき、クレナイからようやく連絡が入った。
{すいません、主様。兵士の団体に紛れ込んでしまわれました。このままでは、血潜りの術が使えません}
(─ そうだった)
クレナイの血潜りの術は内偵にはきわめて有効だが、残念ながらカマールの姿では実行できないのである。つまり人間の姿になって近づき、吸血しなければ ── 正確にはいったん取り込んだ血液を、取得する記憶量に合わせて相手に戻さなければならないのを忘れていた。それなりの血液を吸い上げるのに、カマール姿では難しいのだ。
男の兵士ばかりの中にクレナイが入って行くと、それだけでたいへんなことになり、とてもひそかに血を吸うなどという、行為におよべるわけがない。
{さっきの男、まだ特定はできる?}
{はい監視は続けます}
{なら大丈夫だ。逃がさないよう見張っておいて。無理をして、潰されないようにね}
{了解しました}
危険が差し迫っていると察知し、不穏な空気を読んで、全員緊急配置につかせることにする。クラサビの耳にも鱗をつけてもらっているので、まずは連絡だ。
{この船でことを起こそうとしている以上、最終目標は殿下であるのは間違いない。身代わりを仕立てておこう}
{はい、すぐそちらへ参ります}
しばらくたつと、クラサビが酒場に入って来た。
「ユスカリオさん、殿下がお呼びなのでラーゴさまをお連れしますね」
「あーそうでしたか、ありがとう。じゃあお願いしますよ」
クラサビには嘘をついて連れ出してもらったが、早速クラサビも、ユスカリオと知り合いになっているらしい。
(─ まあ出陣式の際にでも、いろいろな人となんらかの挨拶はしたのだろう)
そのとき、ラーゴはユスカリオの意識に、クラサビが出て来たのをうっかり忘れてしまっていた。




