第〇一五六話 トカゲ大河を下る
ラーゴは河の上にいる。ハケンヤーの船着き場まで一日、なんの問題もなくたどり着き、暗くなっていたが二隻に分かれて乗船した。野営を張る手間が必要ないということで、行軍には慎重に慎重を重ねたため、ずいぶん乗船が遅れた分だけ予定と狂っているらしい。だがさすがに暗闇の中、御用達船自慢の速度も出せず、川面を漂う程度の速度で、静かに、しかも慎重を期して進められていた。兵は二日間の強行軍で疲れ切っており、ユスカリオと補給兵が用意した食事を食べた後、船底に近い雑居部屋で気ままに過ごしている。夜の間も甲板に上がってくることを許されているのは一定以上の上級兵たちであり、ミリンの存在を心得たものばかりだ。マーガレッタを連れて甲板に出て来たミリンは、なにか入った器を携え、歩いて来るユスカリオに声をかけた。
「ユスカリオ。しばらくラーゴを、預かってくれますか? マーガレッタと、船長のところへ行って来たいので」
王国では赤い龍の伝説があるように、冷血獣は水の災いと密接な関係が疑われる。それが原因で、南の国には多様にいると言われる冷血獣が、現在ほとんど王国には輸入されてこないらしい。船のオーナー的な存在、ミリンのペットであるから乗船を許されているものの、さすがに船長室までは連れて行けない、という事情があるようだ。
「承知いたしました殿下。今からゴードフロイさまも飲んでいるバーに、このおつまみをお持ちするのですが、そちらへラーゴさまもお連れしてよろしいでしょうか?」
ゴードフロイに食べものを持って行くと云う話に、ミリンは眉をひそめた。
「ラーゴがゴードフロイどののお酒の肴にならないよう、見ていただいてもらえるなら構わないですわ」
「まさかそんなはずは!」
自分のことを最初、『食材』と紹介したユスカリオが驚いているのは、いささか不思議な光景だ。だが今は、王女殿下お気に入りの身であるだけに、世話係として当然の反応なのだろう。
(─ いやいや、あの男は油断ならない)
魔王が滅びた今、いまだに自分を食べようとするのはゴードフロイくらいだろう、とラーゴは信じて疑わない。
船の中にある酒場 ── バーでは、ゴードフロイやヨセルハイなど見知った人間も酒を呷っていた。ここには甲板に上がれない者も入って来られるようで、けっこう混み合っている。安心感からかなり酒を過ごしているものも少なくない。ゴードフロイもそのうちのひとりとみうけられた。たしかに川を進む船のうえでは襲われる心配も少なく、夜間に近寄ってくれば敵もあたりを照らしながらでなければ危険なため、すぐに見つかってしまう。行軍の道中と打って変わって危険が激減し、急に何もすることがなくなったので気が緩んでしまっているようだ。
「しかし今回の遠征で、この船二隻がともに川上のハケンヤー付近に係留されていたのは、まったくの幸運だったと言わざるをえんな」
床に固定された長机に向かって腰掛け、背の低い陶器のグラスを掴んだゴードフロイがヨセルハイに話している。
「魔王軍の動きを警戒して、魔王島に近い川下には近づけなかったためらしいです」
すかさず、船を魔族に取られるという心配があったのだろう、とコメントするヨセルハイ。魔王城で飛べない魔族が使っていたのは、すべて南方の海洋先進国の軍艦を、奪って来た一級品だったそうだ。
「いずれにしても、どちらか一隻でも欠けていれば、コレだけの人数を一挙に運ぶことはできなかっただろうな」
「三百程度は、詰め込めば十分載るそうですが?」
「三~四日間ほどのこととはいえ、そんな芋の子を洗うような中に、王族を混ぜられまい?」
「たしかに。しかも軍隊だけならヤーマト大河沿いを北上しておりましたな。ですがこの船を使ったことで、いよいよ王族を護衛しているのは、敵にも味方にも知られてしまったと思うべきでしょう」
話のわずかな切れ目に割り込んで、ユスカリオが声をかけた。
「ゴードフロイさま。お申し付けの肴をお持ちいたしました。有り合わせのモノで作りましたので、お口に合うかどうか ── 」
「おう、ユスカリオ。すまんな、ここは酒しかないらしいので ── なんだ? トカゲも一緒か……」
ユスカリオも、ゴードフロイから座るように云われ、他にどんな料理ができるのかなどと聞かれている。
「卵や牛乳があれば、もっといろいろな料理が作れるのですが……」
「鹿の乳ならとれるだろう」
「あのような、少数の巨人族に頼ったわずかの乳で、大したものは作れません。実は魔族の島では巨大牛の乳を搾り出して来ますので、ふんだんにそれが使えておりました」
巨大牛がわからないラーゴは、ユスカリオの意識を読んだ。
(─ なるほど。牛のことか、この世界では牛乳も飲めないのだったな)
思えばラーゴがいつももらっていたのは、癖のある鹿の乳で作られたものだった。
「人の身には難しいな……」
「やはりそうでございましょうね」
「他に魔族は、どんなものを食べているのだ?」
「そうでございますねぇ。わたくしが作ったのは、やはり巨大牛や巨大猪の肉料理でしょうか」
(─ 巨大猪って? あ、豚、じゃないイノシシか。豚っていないんだな。家畜化されてないから)
犬や猫はいるのだろうかと疑問に思う。ユスカリオの意識を読んでいると、彼が作った料理の数々が画像で見てとれた。ラーゴにとっては懐かしい、カツカレーやステーキ、オムライス、酢豚や青椒肉絲、スパゲッティナポリタンなども出てくる。
それに続いて、ユスカリオ自身が料理している手元映像も意識に浮かんできた。その横には、見たことのない魔族が野菜を刻んだり、肉をスパッと切ったりする ── ミツ? そして笑っているクラサビの二人も現れる。
(─ 周りで手伝っているこの風景は、もしかすると?)
さらに、ユスカリオの意識を深く覗こうとしたとき、邪魔が入った。




