第〇一四八話 アネクドート ゴードフロイ◆船までの辛抱
二十人の兵士のうち、腕の立つもの八人を殿下の周りに付けたゴードフロイ。宿屋の案内にしたがって建物奥の階段を使い、二階に上がって殿下の寝所となる部屋に進んだ。先に部屋に入ったゴードフロイが部屋全体、そして窓から外に対する守りを視認し、マーガレッタはベッドの下や寝具の中も改める。ヨセルハイも引き出しやタンス、調度類などをあらためて何事もないと了解しあった。
「大丈夫です。殿下、どうぞ中へお入りください」
マーガレッタがそのように促すと、ようやく入室してくる殿下。
「何もなさそうですのね。本当に今日はみなさんご苦労様でしたわ」
すぐに、女性兵士とお付きのメイドたちが部屋へ入って来たと思うと、荷物を置いたり、使いやすいよう殿下の身の回りを整えたりと、忙しく動き回っている。
「では我々は、ここで失礼を。いつでもお声をおかけください。外の八名が交代で、廊下、階段の守りを固めております」
扉前の守りは、現在部屋に入って来た女兵士たちが、交代で行なうとマーガレッタから伝えられた。この階のすべての部屋は、メイドはじめ、女兵士やマーガレッタ隊長の仮眠室である。
これから、殿下はお召し替えの時間だ。ヨセルハイやゴードフロイ、謎の魔術師など男性陣は、そそくさと退出する。外に出て一礼し、ドアを閉めるとそれほど防音性がある部屋ではないらしく、早速中からマーガレッタが殿下にかける声が聞こえて来た。
「ではやはり、私がラーゴを連れて……」
それに慌てたように答える殿下の声も、部屋の外までまる聞こえだ。
「何を言うのですか。こんなにゆっくりした部屋なのですから、ここにひとりでは広すぎます。ラーゴはわたしが抱いて寝ますわ。だって寂しいじゃありませんか」
「殿下はいつももっと広い部屋に、一人で寝られてらっしゃるでしょう。今日はお疲れなのでゆっくりとお休みください」
(なんだ? トカゲの取り合いをやっているのか)
見ると手を広げて、こんな調子ですというジェスチャーをしたヨセルハイが、小声でゴードフロイにささやいてくる。
「一時間ほど前から、あのトカゲとだれが寝るかということでもめておられました。しかしそもそも、すべての面倒はユスカリオが見ると云う話でしたので、そういうものと思っていましたが ── 。殿下とマーガレッタどののお二人が、長時間もめる様子を横で聞いて来たのです」
「それで疲れきった顔をしていたのか……」
なるほど、緊張し続けたのはゴードフロイ一人のようであった。
「しかし ── 何事もなかったな」
階段へ足を向けながら、扉の前に残った二人以外の者たちに声をかける。ヨセルハイがそれに答えた。
「そうです。別に期待していたわけではありませんが、それなりにこちらは用意周到で待っておったのですがね」
「たしかにハケンヤーまでのこの街道では、なかなか襲えるところがない。あえて言えば分岐点かな」
分岐点は、切り立った崖の麓部分の峡谷を通る。もちろん夜を徹して一部の者が先に走り、確認させる手を打っているとはいえ、敵のほうが一枚上手という可能性もあるかも知れない。
「じゃあ、明日ってことですかね」
若い兵士ドルガンが、腕まくりせんばかりの剣幕だ。
「それもまあ、取り越し苦労かも知れんがな」
「しかし船に乗ってしまえば、なかなか敵は遅いにくくなると思います」
そう話す色黒の兵士マクロスは、たしか海兵の経験もあったことを思い出した。
「だろうな。そう簡単に川の船が用意できるとは思えない。何よりも王室御用達の大型船だ。おそらくその船を襲える船など、この河川流域ではまず手に入らないだろう」
「でございましょうね。小さい船では取り付けもしません。それほど大したものではありませんが、砲門を積んであるらしいです」
「こちらには弓矢もあり、銛を発射するボーガンのような武器も備わっているのだろう?」
「数はそれほどでもないようですが」
「それにしても、こちらも結構な数がいるのだ。二隻に分乗したといっても、負けはしないだろう」
「ただ、相手は魔法銃を持っているでしょうね」
「威力を考えた、盾を用意してあるのではないのか」
こうして精査すると、船においての備えは万全といえる。
「とすれば、やはり船までが勝負ということですか」
「あるいは向こうに着いてからかな。こちらの手の内をよんだとすれば、黙っていても懐に飛び込んできてくれるのだから、別に無理して襲うということもないのだろう。 ── 公爵のところに寄るときはどうだ」
「一時間ほどの行軍があります。公爵側からもかなりの部隊が迎えに来てくれるということですが、それも予定通り到着すればと云う話で」
「逆に、こちらが予定通りつかなければ、敵も狙えまい。これも難しいな。やはり明日か、あるいはこちらが港に乗り込む際、そのどちらかだろうか。ボコボの港での戦いとなると、市民を巻き込む可能性もある」
「殿下もそれをご心配しておられました。きっと総力戦になるでしょう」
そんな遠い話を今から思い悩んでも仕方ない。ゴードフロイはその前にも問題があることを思い出す。
「魔王城のほうは変わりないのだろうな」
「はい、何の連絡も入っておりません。こちらも動いているので、色々と連絡は取りにくいと思うのですが。それでも、いくつか方法は準備しておりましたので、今のところ動きがないのでしょう」
「殿下は島まで行く気だぞ」
「何もございませんがね。ただぽっかりと、内海ができただけでございますから」
「返す返すも、アレサンドロを巻き込んでしまったのが悔やまれるな。俺の失態だ」
ゴードフロイは考える。あのときアレサンドロが来なかったら、戦いの行方はどうなっていたのだろうかと。
(サタンと対峙したのが、マーガレッタや自分であれば、魔王は倒せたのだろうか。尊い犠牲だったが、アレサンドロの行為は無駄とは言えなかったかも知れん)
しかし、死んだのでもなければ回復もしないとは、いったいどのような状態なのだろう。そういう不思議知識は一切持ち合わせないので、自分が考えても仕方がないのは間違いない。あれほど一生懸命な殿下のために、何とかならないものかと頭をひねってみるものの、お手上げだ。その道のプロである、聖人のできないことなど素人が思いあぐねても無駄な努力と、ゴードフロイは途中で思考を放り出す。
そんな話をしながら、すでにヨセルハイと二人、一階のラウンジまで下りて来てしまっていた。他の者は離散し、自分の支度に戻っている。
「一杯もらいますか?」
「いや、船に乗るまでは気は抜けないだろうからな。一日の辛抱だ、今日はやめておこう」
「夜討ちと言うなら深夜ですからな。早く休みますか」
「そうだな。寝るのも仕事のうちだ」
常に攻撃隊の指揮官の立場を預かって来たゴードフロイは、敵の軍隊の襲撃に対する勘は鋭いと自負してきた。しかしこのような、暗殺に対する防衛の技術は養ってはいない。言い換えれば『受け身』というのは苦手科目といえる。ヨセルハイの言うとおり、夜討ちに備えて寝てしまうのが得策だと思い、七十数キロ馬で駆けた疲れを、自室の寝台に放り投げた。
── ・ ── ・ ───
翌日も底抜けに晴れた冬空の下、ゴードフロイの軍はさらに同じ距離を、河岸都市とは名ばかりの船着き場へ向かって行軍する。もう一度野営する手間を思えば、夜道に入っても船までは今日中にたどり着きたい。
「あーいい天気だ」
あっという間に夜が明けてしまった。昨日腕まくりをしていた若い兵士ドルガンが、隣について話しかけてくる。
「結局、昨日も何も起こりませんでしたね」
「交代とは言え、夜通し番に立たせた兵士にはかわいそうなことをした。今日また、昨日と同じだけ歩いてもらわなければいけないのに、朝番のものは特段つらかろうな」
「しかし、彼らが守っていたから襲ってこれなかったと思えば、十分な役目を果たしたといえるでしょう」
たしかにそうだ。今日もヨセルハイは、敵以外のことに悩まされるだろうが、それもこれも船着き場までの辛抱である。船に乗ったら、たらふく飲もうと考えるゴードフロイであった。




