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第〇一四七話 アネクドート ゴードフロイ◆部下の心労に気遣う

 教会軍(カルタジニアス)最高司令官である勇者(ブレイバリーズ)ゴードフロイは、遠征初日を四六時中、息苦しいほどの緊張感のうちに行軍を行なった。

 ミリアンルーン殿下が狙われたのはわずか三日前のことだ。心配しないほうがどうかしている。王都を出て一日目の行軍は、予定通り目的の船着き場ハケンヤーに至る、ほぼ中間地点の宿場町まで、何事もなく進行した。


(これは ── 、きっと喜ぶべきなのだろうな)


 たしかにここまでは開けた平地に、だだっぴろい道がついたものだ。出発前にマーガレッタから聞いた通り、ほとんど危険性の感じられない場所にすぎない。それでもゴードフロイは小さな藪や林にも斥候を飛ばし、一キロ四方を諜報・隠密警護部隊(ニンジャ)の部隊に警戒させて進んで来ている。もっとも外周に撒いた物見八人に何事か異変があれば、その内側に配した四人のだれかが気づき、ゴードフロイ率いる本隊に知らせる手はずだ。こうした手配のすべてが徒労に終わったというのは、喜ばしいことのなにものでもない。しかしそれと引き換えに溜まった精神疲労は並ではなかった。ゴードフロイの精神状態としては、襲ってこられて撃退したというほうがどれほど楽だったか。

 この行軍に、殿下の視察調査隊が紛れているというのは、軍の中でも殿下のキャリッジを取り巻く部隊の、しかも主だったものしか知らないトップシークレットである。だがこれだけ急いで、殿下がゴードフロイの軍の出発に間に合わせたのだ。無理をした反動で、どこからどういう情報が漏れたか、わかったものではない。


 殿下を守る、部隊のほとんどの者にも、編成時に王城から要人を警護しつつ、魔王島(ディアボライル)対岸の西キーノ浜まで行軍を進めるとしか説明せずに出発している。それでも勘のいい者なら、その要人は殿下であろうと気づくかも知れない。逆にこうした計画があったからこそ、この遠征を喜ばしいと思わない勢力により、殿下が狙われたと勘ぐるものもいるだろう。いや、実際にそういうことかも知れなかった。

 ゴードフロイも、実のところその事実関係は分からないのだ。しかし今なお、殿下が命を狙われているのは間違いないだろう。王都のお膝下で、あれだけの派手なテロを起こす輩が、一度失敗したからと言って簡単にあきらめるとは思えない。しかも謎の人物ながら、たった一人の邪魔さえなければ、暗殺は見事成功していたはずだった。


(王国勇者だと? 似非くさい)


 南下ハルン地域一帯で、勇者(ブレイバリーズ)と言えば自分のことを指すと信じるゴードフロイからすれば、突然現れて自ら伝説の王国勇者を名乗った者など、怪しくて仕方がないのだ。


 しかしマフィアと呼ばれている闇の組織が、殿下の命を狙う意図は何なのであろうか。一国の次代の王を抹殺したところで、闇の組織としては国内が緊張感に包まれ、国全体が組織に対する危機感を、強く持つというマイナス面しかないと思えた。なにより殿下が王都王城から出て、敵の入国拠点となる港町の、治安回復に出陣する必然性が、あの事件により喫緊の最重要課題として急浮上したことは否めない。

 それでも、殿下は抹殺しなければならないという、マフィアの思考にただならぬものを感じ、この旅がただの行軍に終わらないだろうと、悪い予感が止まらないゴードフロイ。


(しかも大っぴらにはなっていないが、今朝、真王の命まで狙われたようだ。それも貴族から推薦され、数年間務めたメイドが毒を盛ろうとしたという)


 これは出立より数時間後に、殿下付きの影鍬(かげくわ)の一人から、軍の諜報・隠密警護部隊(ニンジャ)を通して得られた極秘情報である。進軍に水を差さぬようにという陛下の配慮によって、このことはマーガレッタにも知らされていないらしい。私室で朝食をとろうとした真王陛下へと、食事を運んできた新任のメイドが、爪の表面に猛毒を仕込んでいた。そしてテーブルに食器を置く一瞬、スプーンの先に塗りつけたのだという。

 だがそれをこれまた新任の少女神官、しかも聖霊から、マーガレッタの代わりに推挙されたボディーガードが、部屋に飛び込んできて発見した。見た目十才に満たない美少女ながら、聞くところによるとハナカゲの上役である影鍬の長カゲイを、軽くねじ伏せた強者(つわもの)という。ちなみにハナカゲは、ヨセルハイと二人で麻薬強化人間(ナルコマンダー)五人を相手に、殿下を守り切った影鍬(かげくわ)允許(ライセンスもち)だ。この少女神官もまた、王国勇者の関係者という噂を聞いていた。


 どこからそれを嗅ぎつけたのか、飛び込んできて女をねじ伏せ、カゲイにスプーンと女の爪を確認させてことなきに及んだらしい。あらかじめ知らないで見つけたのであれば、南下ハルンでも特別な島にしか生息しない、凶暴な肉食冷血獣(ヘテロサム)の、オオトカゲにも匹敵する嗅覚だ。


(殿下の取り巻きは、厳選された忠臣ばかりだと言われているが、それだけにそれ以外の者との接触を、厳に気遣わなければならないな。とくに殿下が口にするものには、十分気をつけてもらわねば ───)


 夕暮れが宵闇に変わるころ、出立から何度か小休止をとったとはいえ、十時間歩き詰めた一行は、予想外に何事もなく第一の野営地まで到着する。小さな宿場町に隣接した広場で、三百人の兵士が現在野営の準備に忙しい。さっそくゴードフロイはじめ、殿下の参加を認識している兵二十名程で、殿下のキャリッジを囲む。そのままお付きの者などが乗るキャリッジを後に続かせて、宿場町のもっとも豪華な宿にお連れした。


 二十名全員が殿下やお付きの者と、一緒に泊まれるスペースはここにはないが、隣接する別の宿屋などに分泊し、殿下の守りにつく。なかでも、同じキャリッジに同乗して来たマーガレッタやヨセルハイ、もちろんゴードフロイも、殿下の宿で守りにあたる。

 今は殿下の乗り降りを、護衛の軍の者にも見せないという気遣いから、今はこういったメンバーだけで宿場町に入った。だが、その周りを固める警護にも抜かりはない。遅れてやってくる野営準備を終えた五十人程度の兵士により、交代でこの宿周辺の警備をさせる予定である。

 同様の気遣いから宿屋に着いても、通常お付きの者によって称えられる殿下到着の合図もなく、静かにキャリッジから搭乗者が降りて来た。最初に地面を踏んだのはヨセルハイだ。

 豪華な乗りものとはいえ、慣れないキャリッジの中に一日閉じ込められて、いささか憔悴しているように見える。もしかすると常に周りに対する危険に対し、神経を尖らせすぎていた疲れが出て来たのかも知れない。


「ご苦労だった、しかしそれでは明日から持たないぞ」

「はい隊長、なかなか気疲れするものでございます」


 そう話していると、続いてマーガレッタ、殿下と降りてこられた。さっそくゴードフロイに対し、労いの言葉がかけられる。


「ゴードフロイどの、ここまでの警備大儀でした。明日からもよろしくお願いします」


 殿下の胸元を見ると、退屈で眠ってしまったトカゲがいた。何でも先の事件のとき、殿下はこのトカゲを守ろうと奮起され、倒れた影鍬(かげくわ)の剣を取って、敵の一撃を防いで見せたと云う。


魔族(ディアボロス)相手なら、先祖代々伝わる話も含めて多様な経験がある。だが少なくとも、力自慢の獣人や人間相手ということになれば、とても信じられん話だ)


 今までさまざまな策を弄して、数多(あまた)魔族(ディアボロス)と渡り合ったゴードフロイは、単純な魔族(ディアボロス)キラーではなかった。やつらを単なる冷酷非道な、人類の天敵と断じてはならないのだ。不思議話のネタなど枚挙にいとまがない。あるいは戦いを楽しんで、手加減してくれる者など珍しくもないだろう。実はある意味ヒト族とわかり合える、魔族(ディアボロス)もが存在するという常識すら持っていた。


(だが人間の悪党は違う。あの連中はとくに命がかかっているはずだ。それとも脅しだけだったのか? それなら理解できるが、 ── にしても撃退されたのではしかたない。警戒や反撃の意識が高揚し、こうして逆効果になってしまうではないか)


 ということは、やはり王族の起こした奇跡なのか。ともあれ、そんなラッキーアイテムとも言えるペットのおかげで、殿下も命拾いをしたと信じているのだろう。しかし、何もこんな遠征にまで連れてこなくても、とゴードフロイは呆れるばかりだ。だがその余禄で、城内に入って以降トカゲを担当して動かない、食事係ユスカリオが遠征に加わってくれた。これは兵士の士気を高揚させるたいへん大きなポイントと評価できる。

 そういう恩恵があると思えば、ゲン担ぎのトカゲ一匹ぐらい紛れ込んだところで、ゴードフロイの意に介するものではない。


(非常食にもなるしな)



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