第〇一四六話 凶賊の去った街で
三人の男たちの報告から、急にユニトータがマフィアに対する不満を、爆発させたと感じた『ボス』は出動を命じた。手持ちの三隻の軍艦に、できる限り多くの仲間を乗り込ませ、連絡のあった十数隻を海上で迎え撃つためだ。
軍艦並みに装備を調えた三隻の船で、貨物船に近い十数隻を撃ち漏らすとは思えない。だが手紙の内容から白兵戦になるケースも想定し、とにかく街にいて連絡できる仲間すべてに集合がかかる。状況を考え、魔法銃はじめ武器もありったけ持ちだしてくれるようだ。
しかしモーイツでは、多くのメンバーが人質の見張りを行なうフォーメーションであり、手を空けられる者も限られた。それでも夜中、しかも数時間の間であれば全員縛り付け、家に鍵でもかけておけば大丈夫だろうと考えたらしい。自分の身の回り以外、すべて動員する指示を出す。
もちろん命令は、優しい見張りに化した者たちにも飛んだ。『戸締まりよろしく』程度で家を離れ、人質を縛り付けたりはしないようコントロールさせた。オートン宅の子供たちは、すでに眠りについている。
昼にチラ見した童話をもう一度、確認しておこうと長姉らしい少女の意識を覗くと、まさに夢でそんなシーンを見ている真っ最中だ。
少女の夢では、マフィアの男たちが乗った船が、童話の内容よろしく海上で戦い、バラバラになって怪物に食われて行く。
(─ なるほど、海が沸騰して熱に弱い接着剤と、重くなるタイ粘土製だったから沈んじゃったんだ)
今回利用したタイ粘土は粗悪品と聞いた。ほとんどはそのまま、海底深く沈んでくれるだろう。百パーセント自然物なので、環境破壊にもならないと自信を持つラーゴ。しかし熱湯につけると接着力が失われる、急速接合糊という名前には、なんとなく聞き覚えがあった。
(─ 瞬間接着剤の主成分が、シアノアクリなんとか言ったんじゃないかなぁ)
まさか聖書の編纂に、不信心で評判が悪い相続者が絡んだなどとは、にわかに信じられない。それでもオンゴーストがずいぶん昔にも相続者はいたとか漏らしていたので、絶対無いとは言えないだろう。それはさておき、ここは少女の夢通り、クライマックスは大海で解体に決定だ。
夢の中で怪物に襲われ、海中に引きずり込まれた悪人たちは、一人として海上に上がってこなかった。生身の人が食われる凄惨なシーンは、少女の年代で見てはいけない指定でもあるのだろうか。
まあ実際、陶器の艦砲では敵船にあたって人命を奪うほど威力もないし、シーサーペント等という人喰い怪物もいないのだ。必死で泳げば島や陸地に泳ぎ着くかもしれないが、もう魔法銃も濡れて使い物にならないから、体力も尽きて容易く捕縛されるだろう。
だが一転、夢はそれを港から眺めていた、彼女自身の映像に切り替わる。だれかを探し回っているように見えるが、人混みの中で本人を探し当てられない。
(─ 父親 ── オートンさん? じゃない。どこかへ駆けていく)
走って着いたところは見知らぬ家である。いや、たしかそれはハッチたちが解放した家の一軒、八人いる町年寄の、だれかの自宅だ。ドアをたたくが、だれも出てこない。それは彼女の精神的な不安を意味していると思えた。
つまり、無事でいてほしいけれど、もしかしたらマフィアに乱暴されたり、悪くすれば殺されたかも知れないという ── 。実体の少女は、まさにうなされているようだ。ラーゴは思わず、彼女の視野を取得する。そして視野を、モーイツの空へ飛ばしたところ ───
{ええー! なにこれ?}
困った。半睡半醒の状態で、語りかけてくる。あるいは視野を取得された側には、だれか他の者の見たものを見せられている、ということがわかるのだろうか。このままでは、目的地にたどり着けそうになかった。
{大丈夫だよ。君の意識は今、ボクといっしょに家の外へ飛び出したんだ。会いたい人の無事を確認したら、元に戻すからね}
{え、あなたはだれ? もしかして神様? それとも聖霊シルフ?}
{あ、ボクはラーゴ。そう、聖霊のお友だちだよ}
ラゴンと名乗ると、万が一と言う局面はあっても、トカゲの自分とこの少女が会う機会はあり得ない。もちろんここで『王国勇者』もないだろう、と嫌なことを思い出すラーゴ。
意識を参照しながら、ラーゴの千里眼は目的の家にたどり着く。オートン宅同様にマフィアの見張りがいなくなった、別の家 ── 彼女の意識によると船舶管理委員会会長コイダリ氏の自宅 ── に潜り込んだ。なんとか意中の男性らしき青年、ナンパの無事を見届けさせ、納得したのも確認して千里眼を閉じる。
同時に少女の精神は落ち着いて、安らかな眠りにつけたらしい。すべては、少女の夢と同じスピードで一瞬のことながら、どの家にもようやく、平穏な夜がやってきていると感じられた。
そうとは知らない『ボス』は、三隻の軍艦で入街して来たメンバーの、ほとんどすべてをいったん商工館の前に集める。モーイツの反乱分子は残らず、海の藻屑にしてこいと下知が飛んだ。それでも自身が動かないというのは、この商工館に監禁している八人をとらえておくことが、いかに重要事項であるか計り知れた。
ここの『ボス』といっても、手詰まりで本部にお伺いを立て、幹部の到着を待つくらいの人間である。マフィアの組織全体から見れば、たいしたレベルではなかったようだ。その程度のボスにとってユニトータの氾濫は、自分の地位さえも揺るがしかねない一大事なのだろう。
メンバーの者たちから吸い上げた情報によると、そんな失態に組織中枢部が寛容なはずはない。責任者として粛清を免れるには、全力で鎮静化しなければならないに違いなかった。
後はこちらの隷属した者たちの扇動により、この街に侵入していた百人のほとんどが、偽装船とは知らずに三隻の軍艦に乗り込む。同士討ちするために出て行くのを待つばかりだ。
しばらくの待ち時間、ミリン一行に連れられた本体ラーゴのほうへ、自分の意識を切り替えた。ミリンの膝に抱かれたままキャリッジに載せられ、終日東進し続けたラーゴに意識を戻す。
どうやらすでにミリン一行は、初日の宿でくつろいでいるようだ。
身の回りをマーガレッタ、そして一行をゴードフロイの軍に守られ、行軍したミリンとラーゴ。すぐ後ろを走る、幌のついた荷鹿車のようなキャリッジに、乗せられた新参メイドのクラサビが周囲へ透視を光らせる。
当然ラーゴの耳の穴と、クラサビの赤い髪の中には、ラーゴ組に配属され情報隠蔽結界に包まれた親衛隊。レオルド卿から派遣された謎の魔術師 ── 実は魔法使い ── のガスパーンに、悟られないよう潜んでいるのだ。そのメンバーとは、クラサビ側に血潜りのクレナイ(十八)、強壮のナツミ(二十)、変身のヤチヨ(十二)、幻影のナズム(十五)、血液治癒のナオミ(四)。そしてラーゴの耳の穴に不屈の精神のナナコ(七)、鎮静・声色のナゴミ(零)といった顔触れである。
周囲からなにかが迫ってくれば、見落とすはずはない。
もちろん進軍方向には、当然先触れの物の見も放たれたようで、問題なく一日が終わっていた。
宿の中をサーチして、ラーゴは一日中の行軍で憔悴しきったゴードフロイを探し当てる。意識を読むと、慣れない護衛としての任務で神経は張りつめ、精神的にはくたくたの様子なのが分かった。とりあえず出発したばかりの本日はなにもなく、ゴードフロイ軍がピリピリしただけで一日が終わりつつあるようだ。
いや、この行軍の真の意味を知っているのは、教会軍の中でも一握りだけだろうか。おそらくゴードフロイ以下側近数名だけが極度の緊張に包まれ、一日たいへんだったろうと心中お察し申し上げる。
(─ まあ、ゲテモノ食いを治すつもりがあるなら、その心労の助けに、なってあげないわけでもないのだが)
── などと上から目線で考えるラーゴだった。




