第〇一四一話 アネクドート ミリン◆王都を後に
ミリンを載せた八頭だての鹿車が行く。
ゴードフロイ率いる軍勢は、一中隊(五小隊)の歩兵と一小隊の騎兵で構成され、これを守っていた。一小隊五十人、三百の部隊である。王都には八百の教会軍がいたが、残り五百の部隊は、すでに直線の山岳コースを、魔王島対岸の西キーノ浜駐屯軍と合流するべく、別ルートに向け出発したようだ。
遠距離用の豪華なキャリッジには、ミリンの両隣に事務官吏メトベーゼと近衛隊長マーガレッタ、そして正面に先の功を評価されたヨセルハイが同乗していた。さらにはレオルド卿の肝いりで参加することに決まった、魔術師ガスパーンがヨセルハイの隣に座る。ミリン急襲の事件収拾の後、娘の一大事を聞かされたレオルド卿が、今回の旅に猛反対した結果ねじ込んだのだ。
ミリンたちが出発して半時間ほどたったころ、キャリッジの外からノックする音がする。ゴードフロイだった。
「殿下に少しお話があります」
「どうぞこちらへお移りください」
ミリンの許可を受け、自分の騎乗した ── 鹿ではない ── 生きものの手綱を部下に預ける。そして重い鎧を着ていると感じさせないぐらい軽やかに、キャリッジへ乗り移って来たゴードフロイ。乗り込む一瞬、自分の膝に鎮座したラーゴに向かってニヤッと笑いかけた。
ふとミリンは、まだラーゴのことを『美味そうだ』とか思っているのではないかと、一抹の不安を覚えてしまう。
「ゴードフロイさまの騎乗なさっているのは鹿ではないのですね。初めてあんなに小さなモンスターを見ました」
「そうですな。王国にはああいった温血獣に乗られている人は見かけませんでしたが、たしかにあれはたいへん貴重なものには違いございません。どのような云われか定かではございませんが、獣人からはああしたサイズのモンスターを、たまたま出産することもあるようです」
「つまりヒト族である獣人が、温血獣を産んでしまうというのですか?」
初めて聞く話に、驚くミリン。
「獣人の国ではそうした子供を忌み嫌い、たとえ生まれた後でも闇から闇へ、始末するのが一般的だとか。しかし、せめて命だけは助けてやろうとする親により、人間社会に売られてしまうケースがあります。どうやって産まれたかわかっている獣人たちは、それを恥じて引き取り手がないようで。その成長した姿のひとつが、あのような馬なのです。ただ、そうして産まれた獣は雄の姿ながら生殖能力についてはわかりません。いや雄でも雌でもない無性と言われ、増やすことはできないとされております」
実のところ、雄だけでは掛け合わせるのは無理なのだから、解らないというのが本当のところだろう。
「ウマというのですか。言われてみれば、そんなお話も父から聞いたような気がします。では、そういう獣を引き取られて、飼い慣らされたのですね」
「いや。飼いならしたのは小官や配下ではありません。特別にそういった獣ばかりを飼育して、躾けることを生業としている者たちがいるようです」
「それは貴重なお話を、聞かせていただきましたわ。父もものの本で読んだかぎりと申しておりましたので」
「レオルド卿ですな。たしかに……」
どうやらゴードフロイは、魔王討伐後にいろいろと馬について質問されたようだった。そこへヨセルハイが、口をはさんでくる。
「殿下、小官はその温血獣がどうやって産まれて来たのかを、聞いたことがあります」
「やめろ、ヨセルハイ。下賤の輩の間で流される噂など、殿下にお聞かせするような内容ではない」
「どんな話ですか? わたしもこうやって外に出たのだから、できる限り色々な知識を身につけたいですわ」
さすがに長い人生経験から、その噂を知っているらしいマーガレッタ。少し眉を顰めるものの、話をさえぎろうとはしない。
「ではお聞かせしますが。 ── 下世話に獣人が獣を産むのは、獣人の女が魔族とまぐわって子を作ったときと言われております」
「つまり小さいモンスターとは、獣人と魔族のあいの子だというのですか」
ゴードフロイは頭を抱えていた。
「 ── そんな根も葉もない話を、殿下にお話ししてどうするのか」
「いや、これは本当に獣を産んだ獣人の女から、小官の隊のものが聞いて来た話なんですよ」
そこでようやくマーガレッタが口をはさむ。
「しかし、古来より人と魔族のあいだには子供はできないとされている。あえて試したものがないかも知れんが」
「そうですわ。半分魔族の人間など、卑俗なおとぎ話くらいにしか出て来ないと言いますものね」
「殿下、どこでそのような……」
マーガレッタが声を荒らげ、目くじらを立てるが、以前お目見え以下のメイドたちから聞いたもので、実際どういう話に登場するのか、ミリンは関知していない。とはいえそんな話をしたというのが、リムルの耳にでも入った日には、間違いなくとんでもないことになりそうだ。
ヨセルハイはその手の話に花を咲かせたいらしく、他の雌と掛け合わせれば可能ではないかという噂も披露しようとしかける。だがマーガレッタに睨まれ、ゴードフロイから叱責されて静かになった。
「それでゴードフロイどのお話があるというのは……」
「はい、ご出発される前にご相談しておけばよかったのですが、とにかくご出発をお急ぎのご様子だったので……」
「いいえ、わたしが急いだわけではないのですのよ。ゴードフロイどのが出立されるのを、遅らせてはいけないと気が急いていただけですわ」
実際にはいかに秘密裏にことを運ぼうとしても、かなり急いで動かなければ、いろいろなところから文句がつきそうなので、焦ってしまったという気持ちはミリンの中にあった。
「殿下のお支度であれば、いくらでもお待ち致しましたが」
「とはいえ、あまりゆっくり出かけたのでは、年内に戻ってくることができませんわ。年明けにはわたしも楽しみの行事が待っておりますのよ」
「ガニメデの泉の復活祭ですな、王都の者たちがたいそう楽しみにしていると云う」
「そうです。四年に一度しかないお祭りなので」
「それで相談というのは、これからの予定のことでございまして。お聞きおよびとは思いますが、このまま全軍はトーサ・ボリー大河に向かって東進し、ハケンヤーの船着き場で船に乗って、ハーンナン公爵領へ川を下ります。船で北上すること約二日、ここで糧食などの補給を行なう必要があるでしょう」
ミリンは例の復活の魔術師を探すため、軍はおそらく最低二日間はハケンヤーに逗留する予定だ。それですでに、ハケンヤーを再び発つまで合計四日。ボコボに着くまでの補給は、ここが最後に受けられる場所となる。
「はい、わたしはみなさんが補給をなさっている間、ハーンナン公爵領の領府タドゥーカまでお邪魔してまいりますわ」
「それにはマーガレッタどののご依頼があり、隊を分けて小官とヨセルハイが一小隊ずつ連れ、殿下にお供することになっております」
マーガレッタがうなずく。たしかにハーンナン公の領府から部隊が来るといっても、決して万全というわけには行かない。王都ですら襲撃されたのだから。しかしマーガレッタとゴードフロイ、軍勢が百もあればまずは問題ないだろう。
「それは、ご面倒をおかけします」
「なんの、その面々はもとより、魔王島に船団で乗り込むのを覚悟して来た顔ぶればかりですので、船旅の二日間はゆっくり休ませていただきます」
「そうですね。一日余分にかかるこの工程を選んだのも、みなさんがゆっくりできるようにという配慮からなので。とくに船に弱い方には申し訳ありませんが、どうぞ英気を養っておいてください」
「そんなやつはいませんよ。南下ハルンから、王国トーンディ港沖までの船旅で時化にもあいましたが、目を回すものはおりませんでした」
「まあ、それは頼もしいですわ。なら穏やかな河の旅なら、心配は要りませんわね」
たしかに彼らは、王国への遠征の足として船を使ったはずだ。
しかし正式な港、ボコボはあまりに魔王城に近かったため、新サイバー領にある小さな港トーンディを利用して、入国したのをミリンは思い出していた。




