第〇一三二話 もう一つの旅支度
こちらは早朝の王城、檻の中から断続的なチェックしかしていないラーゴのアンテナにも、城内の静かなあわただしさが感じられる。予定通り、ゴードフロイ本隊の出発にあわせ、ミリンの出発準備も進みつつあるのは間違いない。
クロスの情報を合わせると、いよいよゴードフロイの軍は、明日早朝、二隊に分かれて出発する。その一方にミリンの一行が紛れて出る予定だ。ラゴンたちは昨日出発したので、一日半から二日遅れがある。当面の目的地は別々だが、いずれも最終的には港町ボコボを目指すことになるだろう。
ちなみに今朝もユスカリオは、手ずから自作の朝食を運んできてくれた。こんなとき、耳の中のクラサビはあらかじめ、情報隠蔽結界に閉じ込めている。
ユスカリオはラーゴの檻の前に座り込み、独り言のようにつぶやく。そしてミリンの旅に同行するべく画策しつつ、けっこう悩んでいたラーゴへ朗報をもたらした。
「ミリアンルーン殿下が、この度、魔王城の跡を見学に行かれるらしい。ラーゴも今度の遠征に連れて行かれるようでね。ついでにわたくしも、一緒に世話係として同行させていただけるみたいだ。ラーゴには覚えがないだろうが、わたくしにとっても因縁深き場所だよ」
(─ まあ覚えてないだけさ。因縁深いのは同じだよ。ボクなんか、食われそうになった場所なんでね)
「なんでも、ゴードフロイさまの軍について行かれるようなので、兵隊さんたちはわたくしが行くことを、けっこう歓迎していただいているみたいだ」
(─ それはある意味、料理人冥利に尽きる話だ、よかったね)
「ラーゴ!」
ラーゴに祝福の声をもらうと、ユスカリオはうれしそうに戻って行った。
(─ そう言えばユスカリオ。たしか軍の連中に、かなり料理を褒められてたもんな)
思えばあの地には、ラゴンが昨日ツール大橋で退治した八人、夜中に殲滅したギルマンの王子を質にとっていた二十六人がいる。彼らは今後養蜂場を手伝いながら、草原エリアでモンスターを狩り、ウイプリーに新鮮な血肉を届ける働きにも勤めてくれそうだ。
人間の力では相手にできなかったモンスターながら、ヴァンパイアが三十人もいれば、相手にもよるとはいえほぼ問題にはなるまい。ましてや、弾丸が切れたら使えないとはいうものの、魔法銃という武器もあった。養蜂組に魔力さえ与えられれば、メソポタが発案した方法で銃弾を発射させることも可能だろう。
そのほうが破壊力 ── この場合、殺傷能力というのが正しいだろうか ── も高いと思われた。見た目にも、素手の人間がモンスターをこともなげに狩っているのは、子供の教育上にも『エヌジー』が出そうだと、ラーゴは余計なことに気を回す。
(─ じゃろ ── だっけ? なんか叱られるかもね)
まあそんな常識は、おそらくこの世界での意味を持たないと思うが。それでもモンスター汲みやすしと無謀なことをされたら、けが人続出では済まない。ここは特別な魔法道具だけではだめだ。
(─ 大掛かりな罠? ハジメニンゲンだっけ?)
何で見たのか、半裸の原始人が大きな牙のある毛むくじゃらの象を、狩っていた姿が思い起こされる。一緒にいた力持ちの毛むくじゃらが、実は魔族とかであったのだろうか。
どうもラーゴの相続者の前世に、魔族なるものが存在したのかどうか、ややあいまいだ。ピピルマピピルマなんとかと呪文を唱え、大人の女の子に変身する少女を知っていたり、デビールと叫んで悪魔の実体に戻る少年がいたのあたりは間違いない。そんな覚えはあるものの ── 本人の興味が薄かったのか、どうもおぼろげである。魔王と言えば、ラーゴの脳裏から消えない思い出は、卵の中から見て凍り付いた、ガレノスの恐ろしい形相だ。だが、相続者の記憶を掘り返せば、くしゃみとともに登場するちょび髭とターバンの、愛嬌あふれる大魔王といったキャラクターのいた覚えもあった。
相続者としての世界はこうして思い出す限り、ただのヒトの身では生きて行きづらいような、とんでもないものだったのかも知れない。劣等魔族に生まれ、人違いされても、みんなと和気あいあいやって行ける今の生活を、大切にしなければと思うラーゴである。
やや脱線したが、本気でモンスターを食糧として狩る気であれば、罠を仕掛けて仕留める必要もあるだろう。もちろん、一部ヴァンパイアの能力に頼らないとそんな罠を用意するのは難しいが、それなら人間技であっても勝算は低くないはずだ。
現実的にはヴァンパイア化した人間なら、麻薬強化人間のごとく、いやそれ以上に命知らずであり、実際そう簡単には死なない。草原エリアの中でも果敢に罠を作ったり、罠にかかったモンスターを収穫したりも難しくはないだろう。
また並外れた腕力に頼れば、巨大な落とし穴を掘ったり、中に殺傷能力の高い細工を仕掛けることも容易いと思われた。
ウイプリーたちが、彼ら下僕の捕らえてくるモンスターを、どの程度必要とするかは未知数である。六千匹のウイプリーには大量の血液が必要と思える一方、モンスターの体格は桁違いだ。狩りを行なうペースとどちらが勝るのか不明であり、狩ることのできるモンスターによっても変わってくるだろう。
さらに血液以外の肉や毛皮は、人間社会にかなりのものを、供給できるかもしれない。実はその方面について、ミリンパパが蔵書にそうした技術を蓄積しているようで、一部はすでに朱書きされた部分も見られる。秘密裏に研究、あるいは多様な実験が行なわれた形跡さえ窺えた。
それによってどんな結果が出るかは、ミリンパパ任せになるだろう。いずれにしろタンパク質についてだけなら、食糧難といわれる王国の状況は、かなり改善させられると期待できる。
(─ 魔王城は魔王島、つまり海に浮かぶ島の上に建っていたらしいが、この距離だと海産物を採って提供するのは難しいんだろうか)
そこで再びラゴンが備えるデータベースにアクセスすると、どうやら旧魔王島が位置するナンバア湾周辺や、岸辺に近い浜は大丈夫らしい。だが水深のある大海に出ればモンスターも出現するため、漁はできないとも書かれていた。さすがにタオも恐れるという、それを獲るのは捕鯨以上の困難さが感じられる。やはり陸のモンスター肉に頼らざるを得ないようだ。
(─ だが、大海はそういう意味では海の草原エリアというわけだな。そこへ敵をおびきだせば、ハイジの力でやっつけることができるが、いくらこちらは血も ── いや、血は流れてるんだけれど ── 涙もない魔族だ。相手は人間の悪党といっても、皆殺しっていうのはひどすぎるかなぁ)
ともあれ、モンスター肉が獲れたとき、魔王城の中で食べられていたモンスター料理の経験が、ユスカリオにあれば鬼に金棒というものである。
(─ いやたしか、モンスター料理を提供するとか、ゴードフロイに約束したとか言ってたな)
どうやらクラサビやミツも、そういった料理を覚えているようであり、モンスター肉の安定供給が軌道に乗ったら、借りた事務所跡で料理教室を兼ねた肉屋など商ってもよい。いや、まずはモンスター肉専門のレストランだろうか。王国の周囲は幅広く、草原エリアに囲まれているようであり、各地の緩衝地帯は、タオが高原球技場を運営するため、管理を任されたところが多いと聞く。
こうなったら、ムサシとコジローの報告が楽しみだ。