第〇一二一話 アネクドート クロス◆懺悔する者と下賜される武器(上)
再び舞台は、クロスが本日から務めることになった王城中庭の聖堂である。ようやく納得したカゲイは退き、静かな時間が礼拝堂にいるクロスに訪れていた。
この雰囲気に嫌気は感じないものの、クロスにはなお馴染めないところがある。
クロスは思う。
── 地上に神が実在するというのであれば、魔族や悪魔はすべて駆逐されているのではないだろうか。とはいえ天にある神、太陽は人間のことなど無関心だ。ただ太陽は、たしかに世界すべてに対して恩恵を与えてくれている。もしかして地上神が実在したとしても、無関心なものなのかも知れない。いや、十中八九間違いないだろう。だからそうした神に祈る価値など、少なくともクロスは見出さないのだ。
(まあそれにしても、ここに来てから『神より与えられた力』だの『神のご加護』だの『神の道』だのって ── 、はーぁ、よくそんなことばかり並べられるもんだわ)
だれあろう、自分の口に驚くクロスである。
そんなクロスだが、聖堂なる場所に無駄な空間 ── いやそれよりも、何かその、宗教というものを利用した場所。そこに人間特有の別の意図が介在しているような気がしてなじめない。これすなわち、自分が魔族である何よりもの証拠なのかもしれなかった。
魔族にも魔神と呼ばれる特別なクラスがあるが、それはクラスであって魔族から崇め奉られる対象ではないのだ。
唯一例外といえるのは、六百六十六年に一度蘇ると言われる魔神が己自身を神格化し、魔王や魔族を従えて、自分を無理やりに崇めさせたくらいのことだろうか。過去にはそんな話が、この世界にも実際発生したらしい。
実のところクロスは、そういうアングラな情報が書かれた書物を、山のように詰め込まれた部屋が、王都にあるのを知っている。クラサビが主様を発見するまで、しばらく緊急避難した場所だからだ。
偶然にも先日ラーゴの出先へ、初めて挨拶に行ったあの飼育小屋に隠れ住み、優良な脈の力で生き生きとした冷血獣の血を吸うなど、わが世の春を満喫していた。そのとき、たまたま母屋の中にそんな書庫があるのを発見したのである。
そこで読んだ資料には比較的最近、 ── といって年代の記述こそなかったものの、ガレノスの復活よりは前に違いない。遠い南の果てに広がる氷河の大陸によみがえった魔神タルティーヌが、教会勢力を根絶やしにしようと決起したと伝えられる。
魔神は現世にさまよう、はぐれ魔族を集め、ヒト種を凌辱、惨殺するなど放埓の限りを尽くしていった史実が、記されていたのだ。
こうした非道がおさまらなかったことから、使徒の血統を汲む龍人最高の強者グループが乗り出し、始末しようとした。
だが魔神は魔族最後の力を使って抵抗、南の氷山大陸の半分を破壊して滅んだと記録されている。
(おぉ、おそろしい。じゃあその魔神様は、従えてた魔族ごと、永遠の牢獄に堕とされたのかしら)
いや、従属させられていただけで、そこまでの罪に問われることはないのかも知れない。実際、ガレノスの魔王城にもそのタルなんとかいう魔神の、元配下であった肩書きをちらつかせ、出入りするはぐれ魔族がいた。しかも、脈の魔力を利用して周辺海域の聖霊、ウンディーネの使役さえもほしいままにした、質の悪い輩だったのも知っている。
噂では、龍人の退治現場に居合わせなかったため現世に残留できた。だが一度そのような者に傾倒した魔族は、ここで消滅しても魔界へ帰れず、永遠の牢獄へ引きずり込まれると云う。
まあ、それに比べれば自分は、なんとお気楽な主様にお仕えしているのだろうか。なにしろ、魔族の自分が、聖脈の恩恵を受けられるのだ。大預言者エリゴスの言葉は、やはり嘘ではなかったと言える。
(新たな魔王は聖脈を支配し、魔族にその恩恵を分かち与える ── 、だっけ?)
まあ、魔王島内部の伝言ゲームで伝わる情報と言ったら、あてにならないものばかりだった。ガレノスか、ラーゴの母君が、仮想敵にスパイされることを前提とし、意図的に作られたという噂も流れてくる。と言っても、いったいどれが本当なのか、当時はクロス程度の下っ端に、皆目見当のつくものではない。だが、これだけは事実だったようだ。
(跡継ぎ様のこと、『従来の魔族を、はるかにしのぐ残虐かつ獰猛な個体』という噂もあったけど、あれは大外れだったようね)
五大召喚悪魔の中でも、アシュトレト大侯爵は魔王城において最強最悪と言われていた。そんな城内きっての残虐悪魔による、希望的観測というのが正解だったに違いない。クロスは間違っても、そういう戦闘狂の悪魔などとは、今後ともお近づきになりたくないものだ、と肩をすくめる。
礼拝堂の左右両方の後方には三つずつの告白室が設けられており、とくに催しが行なわれていない今、そこで二つの懺悔が進行中のようだ。ここにいる間何かと手持ち無沙汰なので、透視により内容を覗いてしまうクロス。あくまでも、情報収集の一環であるといいわけは持っている。他にも、もっぱら各部署の衛士の引き継ぎなどから、常々城内外の様子が監視できるのだ。
まず片方は、つい爪を噛んでしまう癖が治らないという、大司祭に付き身の回りで世話をする男の、つまらない話のため無視する。
もう一人は、城内の食堂で下働きに就いている若い女だった。
彼女は、田舎から王都へ出稼ぎに来た男と恋仲になり、宿下がりのたびに密通を行なってきたと云う。しかし恋人が実は妻帯者であったため、ならず者にそれをつけこまれて脅されてしまった、などと懺悔しているようだ。そのとき妻帯者であると知らされ、それきり恋人とは別れたものの、相手が訴え出ると自分の名前も公けになるのだろう。
姦通罪も、男に騙されて無理強いされたといい通せば、女のほうは無罪というわけにいかなくとも、それほど重い処罰は受けないらしい。
それでも法を犯した者には、王城勤めを続けさせられないのが世の常、というものであろう。あわせて家に帰れば噂が立ち、下町出にもかかわらず王城勤めになれた出世を、常日頃自慢する親の娘から、一挙に身持ちの悪い破廉恥娘に転落するのは推して知るべしだ。
そうなれば将来の嫁入り先どころか、家族もろとも夜逃げする事態にも至りかねない。そんな顛末をおそれるあまりに心が痛み、過去の罪深い行ないを懺悔に来ているとわかった。
(まあ、それは例のやつらね)
面接終了後、あの部屋に乱入してきたというやつら、 ── ユニトータに強請られているらしい。言葉にはしなかったが、彼女自身もひどい目にあわされた匂いも漂う。彼女はかわいそうだが、そいつらもすでに活動できなくなっているはずだ。強請った金の回収係が下っ端で、捕まったり死んだりしていなくても、バックの組織が解体寸前となれば下手なことはできないだろう。
性懲りもなくそんな悪さを働こうものなら、タオの組織によってひどい目にあわされ、王都を出て行かざるを得ないに違いない。
女は相談員の司祭から、『神は不浄の行為と決別する機会を与えられた。あなたの心に平穏が訪れたことに感謝し、神前にぬかずきなさい』と諭され、礼拝堂に出て祈りを捧げるようだ。
クロスは司祭が退出して無人になるのをみはからい、ひそかにカマールに変身して彼女の後ろ髪に停まるとささやく。
「わが神によって、悪人は滅びました。そなたのお相手も、もう脅されてはいないでしょう」
女は驚いて、だれかいるのかと周りを確認するものの、礼拝堂が完全に無人であるのがわかると再び祈りを捧げた。クロスは透視能力で、その彼女の頬に涙が伝っているのを見て思う。
(ねぇ。ほんものの神様なんて何もしてくれないのよ)




