第〇一〇一話 真王リリアンルーン◆娘殿下の奮闘と謎の人格者
真王は、聖霊主から意外な事実を伝えられた会見の終了後、しばし祭壇の前に立ち尽くす。
聖霊が、最後に漏らした辛い時代の状況は、もちろん真王も知っていた。活動できる聖霊が、今の一割以下に減少する因となった聖脈の衰退も、先王によって引き起こされたもの。そのとき王家は盟約を破っていたが、聖霊は今も王国に助力してくれているのだ。
ガニメデの聖泉を離れず、元の姿を取り戻せるまで耐えてもらえた聖霊には、謝罪の言葉も見あたらなかった。
人間同士の感覚で言えば、聖霊主にとって、真王に詫びられても仕方ない関係といえる。だがそうであればこそ、真王はへりくだることなく、盟約を果たすため粛々と、盤石の政を執り行なって行かねばならない。
聖泉の杯の向こうで、灯る炎が青に変わる。再びこの火が赤くなるのは、聖霊がこことの回線を開き、さもなければ会見を望んでいるときだけだ。
(さあ、あの子に問いたださねば)
思い直して、呼び鈴を机 ── 十歩以上離れている ── からとりあげると、鳴らそうとする前に扉の向こうでメイドが声を上げる。
「真王陛下様に、ミリアンルーン殿下がお目通りを願っておられます」
「わかりました、すぐにこちらへ」
ミリンのほうからやってきた。報告では返り血にまみれ、かなり憔悴していたと云う。清めを行なった後、暖をとって落ち着き、自分に無事の姿を見せるため飛んできたに違いない。
あわや命まで悪漢に脅かされた、まだ成人の儀もすませていない娘に近づいて、ひしと抱きしめる。涙が溢れそうになるが、気持ちで押しとどめて声をかけた母。
「怖かったでしょう、よくぞ無事で戻ってくれました。母はあなたを失うなど、考えるのも恐ろしいです」
「陛下、ご心配にはおよびません。わたしはあの惨事の渦中にありながら、かすり傷一つなく戻って参りました」
ミリンは気丈に、自分が狙われた恐怖の暗殺現場から、無事母のもとまで帰って来たことを報告している。
「本当に、ミリンは強くなりましたね。城内とはいえ、ここまで独りで来たのですか?」
「いいえ、その後もハナカゲが常に。そして外にゴードフロイどのと、ヨセルハイどのを待たせております」
どうりで見慣れない、黒目黒髪の女衛士が室内までついてきたと思ったら、影鍬がミリンに随行するための変装だったようだ。
一方ヨセルハイという者が本日、ミリンの護衛を務めた長に当たるものと知っている真王は、入室を促した。
拝謁の言葉と同時に、謝辞が上役であるゴードフロイから重ねられる。そのとき、傷だらけにも関わらず、後方に平身低頭でひれ伏すヨセルハイ。つまり護衛を預かりながら、揃えた隊のみではミリンを守りきれなかったというものだが、それは云っても仕方がない。
「何はともあれ、ミリンは無事でおります。かすり傷一つなく、ここまで返してくれたヨセルハイには感謝の言葉しかありません」
その言葉に応えるように、ようやくヨセルハイが口を開く。
「いえ、陛下に申し上げます。 ── 小官が判断を誤り、殿下を敵の待ち伏せする場所へ誘導してしまいました。厳罰も覚悟申し上げておりますので、どうぞ陛下のご裁断を」
「それはどうなのですか? 一緒にいた、ハナカゲの見るところを聞きましょう」
「影の禁に真王陛下の允許を賜り、謹んでご奏上を申し上げます。 ── たしかに、ヨセルハイさまが殿下を逃がした先で、敵が待ち構えておりました。それは動かしようのない事実。ですがあのまま座していれば、魔法銃なる武器の狙撃と、麻薬強化人間五体の襲撃をうけ、いずれ殿下の命はなかったでしょう。殿下の奇跡的なご奮闘は予想外だったとはいえ、その時間を稼がれたヨセルハイさまの判断、決して誤りとは申せません。延いてはそれが、殿下をお救いすることにつながった結果からも明らかです。敵地に殿下を追いやって、お命を危険にさらしたというのであれば拙者も同罪。敵の陣容と武装を見くびり、後をヒカゲ一人に押しつけ、ヨセルハイさまを助けに殿下から離れた身でございますれば」
「 ── ということだそうです。私はその場を存じ上げませんし、戦略については門外漢。しかしハナカゲがこうして報告する以上、ヨセルハイに感謝こそすれ、恨み言を言うつもりはありません。この通り、王国を代表してお礼申します」
ヨセルハイは思いがけない真王の謝辞を受け、慈愛溢れる王の言葉に身の置きどころがないように慌てて、再度ひれ伏した。
その後、ゴードフロイから敵の陣容や被害の状況が報告され、王都内とはいえ、ミリンの護衛規模を見誤った謝罪が述べられる。それに対し、不埒者の王都内侵入を許したことの陳謝。あわせて犠牲者への哀悼の意を表した。
「それで、ミリンの奇跡的な奮闘とは? 報告にはありませんでしたが」
「それは……」 ゴードフロイが言う。「現場を最初に確認されたマーガレッタどのと小官が判断し、王国勇者という者の存在以外は、内部にも明かしておりません。これもハナカゲどのからご報告をいただきたいと思いますが」
勇者の側面を持つ一方、ゴードフロイは『人との戦い』に関し、徹底して常識家でなければならない軍人なのだ。自分の目で見ていない超常現象など、いかに次期王位継承者の起こした奇跡と考えても、納得できないことは報告が難しい。 ── という心情を、ミリンに当たり障りないよう補足する。
「よろしい。ハナカゲ、お願いできますか?」
「はい、実は……」
ハナカゲが見てきたままを報告するが、それは真王にとっても信じられない内容だ。
ゴードフロイを超える大男が揮う、柱のような棍棒をミリンが受け止めた。ちょうどその状況下、麻薬強化人間に圧されたハナカゲたちがなだれ込み、目撃したあたりからだ。たしかに母であり王であっても、にわかには飲み込めない情景ではないか。
「愚かな質問とは思いますが、 ── 刀身から照り返した光がまぶしくて、目がくらんだとかではないのですね?」
「は、はい。家屋の中、しかもかなり奥まった場所でしたので」
ミリンがこちらを向いて、父親と似たような笑みを浮かべる。娘の顔がほころんだ通り、そのくだりは王国建国伝説の中でも、きわめてマニアに人気の高いストーリー、槍光臨毒牙撃退譚の一節だ。だがそうでもなければ、王城の事務官吏が振り下ろした木刀であっても、わが娘の腕で止まるとは信じがたい。
「そんな力がミリンの細腕の、どこにあったのでしょう?」
母である真王が聞いて想像するに、怖気がして全身から力が抜けて行くほどの光景だ。
「もうだめだと思ったとき、ラーゴが威嚇して鳴きましたわ。それを聞いたら、兄様が守ってくれていたように、この子を護るためには自分ががんばらねば、と力が湧きましたの」
「まあ。トカゲの励ましで、ミリンの力が湧いたのですか」
ハナカゲの目撃談は続く。
ミリンが力尽きたところへ、屋根を抜いて飛び込んできた小柄な鎧戦士が、賊の大男を剣で刺し貫いたと云う。そのとき、それまで静かに聞いていたミリンが、がぜん力を入れて話に割り込んできた。
「ただの剣ではありません。あれは、稲妻剣ライティンブレードですわ」
「ミリン、稲妻剣ライティンブレードというのは、おとぎ話の産物です。私は雷も操る魔法使いペスペクティーバから、その道の話を伺っておりますが、雷は剣の形などで止まることは無い、と教えられました」
「まあ、陛下もあの伝説にそんなにご興味を?」
「私ではありません。レオルド卿から頼まれたのです」
「あ……」
ミリンはなるほど、という顔だ。父親のミーハーさは、娘も感じ入るところがあると見える。
「しかし、なぜ伝説の剣の名がそこに出てくるのでしょう? 王国勇者殿が、そう言われたのですか?」
「いいえ、ただ……」 ハナカゲが一息詰まって発言する。「殿下のおっしゃった、根拠はたしかにございます」
ハナカゲの解説によるとこういうことらしい。
それらを記憶するのが職責でもあるハナカゲ、ヒカゲがここへくる直前にミリンとともに展示室に立ち寄って確認した。その結果、目の前でミリンも観察している、王国勇者の身につけた鎧、剣は、展示物と寸分も狂いのないものと云う。
ただし、返り血で真っ赤になったはずの鎧や剣は、まったく使われた形跡すら感じられず、展示室にあるようだ。部屋は開けられたり、だれかが侵入したりといった形跡も見えず、そのあたりを警戒する影鍬も、なんら異常を感知していない。あれだけ大立ち回りをしたにも関わらずだ。装着して戦ったなら、感じとれないはずのない汗の移り香や、身に着けた者が残す、微かな体臭の痕跡すらなかった。
ということであれば展示物とは別に、王国勇者がまったく同じものを所持しているのであろう。しかも、その剣は伝説に謡われるとおり。最初の一撃は敵に木杭で刺したような穴を開け、残りの四体を剃刀にも見紛う鋭利な切り口で切り裂いていた。
「剃刀剣、シャープソードでしたわ」
「それが殿下の仰せの通り、たしかに傷口を見れば、決して同じ獲物によるものではありませんでした」
「剣を、取り換えられたのではないのか?」
発言したのは常識家のゴードフロイだが、真王も同意見だ。
「いえゴードフロイ隊長、小官も戦闘中でしたが、王国勇者殿の剣は一つでございました」
「わたしは、ずっと見ておりましたわ。剣は展示される青銅の剣と、同じもの一本しか使われておりません」
「さらには、最後の敵の一人が至近距離で放った魔法銃の弾丸を、その鎧ではじき返しております」
「まあ、兵士の鎧すら貫通した弾丸を、でしょうか?」
ハナカゲが肯定すると、ゴードフロイが付け加えた。
「護衛兵士の、軽装鎧は貫通されたようです。また襲撃後に鎮圧に向かった重装備の盾も突き抜け、重装鎧にめり込んで止まっておりました。小官の白銀の鎧であっても、その鎧の強度に勝るとは考えられません」
真王も、ゴードフロイが誇る白銀の鎧は耳にしたことがある。そして教会軍が入場してきたとき、先頭で小さいモンスター ── 鹿に似ているが鹿ではない温血獣にまたがった騎士。軍列を率いてきたフルプレートの姿がひときわ頼もしく見えた。それが、その身を包んだ鎧の、神々しい輝きによるものであったことを思い出す。
「ゴードフロイどのの白銀の鎧といえば、ハルン広しと雖も、大陸中に貫ける鉾無し、と云われる逸品ですね」
「しかし今回使われた魔法銃に対して、無傷というわけにはいかないと思われます」
「だから王国勇者様は真実、伝説の勇者様なのですわ」
もう目がキラキラ輝くミリンに、逆らおうとする者はいなかった。真王も、これ以上ミリンに反論する気は起こらない。
「何か、他に特徴はないのですか?」
「後は ── 女の子のような、かわいい声の方です。しかも、マーガレッタ隊長の体術を身につけておられました。まさに、完璧と言っていいほど」
それはないだろうとゴードフロイが訝しがるが、その場で目撃したヨセルハイも同見解だ。
「片手で剣を揮われる王国勇者殿に、拙者の獲物を渡したのです。 すると『ありがとう』とおっしゃって、マーガレッタ隊長得意の二刀使いの構えになられました」
最後に倒された二体同時の技は、その場にいただれもがそれを目にしたことがあろう。マーガレッタの剣術を指して『王城に巣くう冥界の鬼の双刃』と、口さがない者が噂する所以の必殺技、『冥鬼双角斬撃突』だ。
だれもが頭を抱え込む。齢七百歳のマーガレッタに親族がいるとは思えないし、そもそも親族であれば受け継げる技でもない。
「マーガレッタどのの腹心の部下に、あの技をご指南されたとか?」
それは本人に聞いてみないとわからないが、簡単に伝授して使える技だとは、だれにも思えなかった。最後に、王国勇者を見ていないゴードフロイが、一言苦言を呈する。
「軍属の身ながら、小官も勇者と呼ばれるとはいえ、それは人の口に上るもの。小官のような立場に身を置く者は、自ら名乗る者を似非勇者と、歯牙にもかけません」
それを聞いたミリンから出たのは、感情的な反論だ。
「いいえ王国勇者様は、伝説に謳われたお名前しか持ち合わせられないのです」
これをもって、ゴードフロイたちは散会した。
その後真王はしばらく、自分がどれほどマリンバ姫と同じ場面に居合わせたかと云う話を、ミリンから長々と聞かされることになる。
この頭の中お花畑の娘が、とても聖霊の敬愛する人格優れた御方と、私通に及んでいるとは思えないと確信しながら。




