1話 ちーちゃんと一緒
4月。今日は陽嶺高校の入学式だ。
中学とは違う制服に身を包みながらササッと朝食を済ませ、身支度を終えて玄関へと向かう。久しぶりの登校、新生活ということもあって少しだけ心が躍った。
「行ってきます!」
「いってらっしゃい、私も後から行くから。ちーちゃんによろしくね?」
「うん!」
母さんに挨拶をしてから、僕は家を出発した。4月にはほどよいぽかぽか陽気、雲一つない快晴、絶好の入学式日和である。
僕は真っ直ぐ学校には向かわず、3軒隣の幼なじみの家へ向かう。せっかく同じ学校に通うのだ、登下校も一緒にできたら僕はすごく嬉しい。
1分も経たないうちに目的地に着きチャイムを押すと、家の中から慌ただしい音が聞こえてきた。おじさんとおばさんかなと思ってドアが開くのを待っていると、案の定おじさんとおばさんが何故か息を切らしてそこに立っていた。
「おじさんおばさん、おはようございます」
「おはようともくん、どうしようどうしよう」
「朝からどうしたの?」
慌てふためくおじさんを見て、僕は思わず問いかけてしまう。おじさんが慌てるのは9割方ちーちゃん絡みだけど、今回はどうしたんだろう。
「ちーが、ちーが、高校生になった!」
すごく当たり前のことをおじさんは言った。これにどう返すのが正解なんだろう。
「あんなに可愛いちーが性欲ただれた男子高校生蔓延る高校の教室に放たれてしまう! このまま本当に学校に行かせていいの!? おじさん許可しちゃっていいの!?」
「おじさん、それ男子高校生の僕に言われても反応に困っちゃうんだけど」
「ともくんはいいに決まってるだろ! むしろともくんはちー以外の女の子を見ちゃダメだ! ちーだけをずっと見て、ちーにすり寄る男共をなぎ払ってもらわないといかん!」
「なぎ払えるかは分からないけど、ちーちゃんのことはちゃんと見てるから。安心しててよおじさん」
「本当だな、男と男の約束だぞ? ともくん以外に頼れる人がいないんだからな?」
「うん、僕だってちーちゃんに何かあったら嫌だしね」
「さすがはともくん、おじさんが見込んだ男だ。うんうん」
僕が安心させるように言葉を投げると、満足したのか腕を組みながらしきりに頷いていた。おじさん、気持ちは分かるけど相変わらず過保護だな。度が過ぎるとまたちーちゃんに怒られちゃうのに。
そういえばおばさんも慌ててたように見えたけど、おじさんと同じ理由なんだろうか。
「ねえともくん、ちーは楽しい学校生活を送れるのかしら?」
と思ったところで、おばさんから不安げな口調で言葉を投げられる。
「あの子ったら無口で無愛想でしょう、お友達ができるか心配で」
おばさんは頬に手を当てながら娘の学校生活に不安を覚えているようだった。
「ちょっと母さん、それはともくんに失礼じゃないのか。ともくんがお友達じゃないみたいじゃないか」
「当たり前でしょ、ともくんはもう家族みたいなものなんだからそういう枠組みにないの。私は女の子のお友達ができるか心配してるの」
「そういうことかぁ、確かにちーには女の子の友達を家に連れてきてほしいなぁ」
「でしょう?」
そう言うと、うーうー唸り始めるおじさんとおばさん。可愛い我が子を思うのは仕方ないけど、いくら何でも心配しすぎなんだよな。ちーちゃんが嫌がる気持ちも分かる気がする。
「大丈夫だよ2人とも。ちーちゃん可愛いし表情もコロコロ変わって楽しいから、いろんな人が友達になりたがるよ」
そうフォローを入れると、2人は不安げな表情を一転、顔を綻ばせた。
「そうだな! ともくんが言うなら間違いない! ちーは可愛いんだから!」
「確かに、もっと我が子を信用しなきゃね。ともくんもいることだし」
納得してくれたのは嬉しいが、この親たちは僕を信頼しすぎではないだろうか。長い付き合いってのもあるんだろうけど。
すると、玄関正面の階段が軋む音が聞こえてきた。この家にいるのは、おじさんおばさんを除けば1人しかいないわけで、誰が下りてくるかはすぐに判断できた。
しばらくして、小柄な体躯の幼なじみがデフォルトである不機嫌そうな表情で下りてきた。春休み期間はあちらこちらに跳ねている黒髪も、今日は綺麗に整っている。
我らがお姫様――――ちーちゃんの登場である。
「……何してるの」
後ろ向きのため気付いていなかったのか、おじさんとおばさんの身体が大きくびくつく。ゆっくりと振り返り娘の姿を確認すると、取り繕うように言い訳を開始した。
「ほ、ほら! これから入学式だろ、しっかりお見送りしなきゃと思って!」
「いらない。リビング戻って」
あっさりとした拒絶におじさんの身体が固まった。あっこれ、30分くらいは石化したままのやつだ。大丈夫かなおじさん。
「ち、ちー、お母さんすぐにリビングに戻るから。ひ、酷いこと言うのなしよ?」
そしておばさん、おじさんの二の舞になりたくないのか、怯えた様子を見せながら言葉を選んでいく。相変わらず、ちーちゃん天下のちーちゃん中心に回るご家庭である。
「お母さん」
「えっ、何々?」
リビングに戻ろうとしたおばさんを引き留めたちーちゃん。おばさんも予想外だったのか、嬉しそうに顔を綻ばせて振り返る。
楽しそうにしているところ申し訳ないけど、こういうときのちーちゃんって前向きなことを言ったことないんだよね。
「入学式、来なくていいから。恥ずかしいし」
「はっず!?」
やけにネイティブな奇声を上げながら、おばさんまで石化の魔法をかけられてしまった。
そして玄関に並ぶ固まった人間像2つ。はっきり言ってとても不気味だが、僕までそんなことを言ったらおじさんとおばさんはものすごく凹んでしまう。
どうしよう、放っておいていいかな。久しぶりにこの光景を見たけど、今まではずっとスルーしてきたし。家の戸締まりは僕がしておけば問題ないか。
そうと決まれば切り替え切り替え、僕は玄関前の廊下に佇むちーちゃんに声を掛けた。
「おはようちーちゃん、制服姿似合ってるよ」
「……ん」
ちーちゃんは頬を搔くと、僕から僅かに視線をずらして軽く頷いた。
短く返事するときのちーちゃんは嬉しい気持ちを隠そうとしているときが多いから、少なくとも怒ってはいないと思う。僕が制服姿を褒めたから照れてるのかもしれない。
「ちーちゃん、制服姿可愛い」
「っ! 何度も言わなくていい!」
「ゴメンゴメン、ちーちゃん喜んでくれると思って」
「喜んでない! もう、1人で学校行く!」
試しに追い打ちをかけてみると、ちーちゃんは顔を赤らめて怒ってしまった。僕に怒鳴りつけると、リビングの方へ走っていく。あはは、怒ったちーちゃんも可愛いな。
1人で学校行く宣言をしたちーちゃんだが、僕は構わず玄関で待機していた。同じ学校に行くのに別々で行くなんて寂しいし、何より僕がちーちゃんと一緒に学校に行きたいし。
数分ほど待つと、身支度を済ませたらしいちーちゃんが再び玄関に戻ってきた。僕の顔を見て、ちょっとだけ安心したような表情を浮かべたのを見逃さなかった。
「ちーちゃん、一緒に学校行こう?」
「……1人で行くって言った」
「でも僕、ちーちゃんと一緒に学校行きたいし、ダメ?」
「……どうしても?」
「どうしても」
「……帰ったら一緒にゲームする?」
「うん、ちーちゃんがよければ」
「……明日の朝、起こしに来てくれる?」
「うん、ちーちゃんがいいなら」
「……ん。一緒に学校行く」
そう言って満足そうに頷くと、ちーちゃんは座って靴を履き始めた。どうやら先程までの怒りは静めてくれたらしい、僕は少しだけホッとした。
しかしながら、ここでちーちゃんの言葉を鵜呑みにして1人で学校に行こうものなら、後でどれだけ泣かれるか想像に難くない。ちーちゃんは自分の言った言葉をすぐに後悔するタイプだから、僕がいなくならないか内心ではドキドキだったはずだ。だからこそ、玄関にいる僕の顔を見て安堵したのだろう。それが分かってるから、僕も堂々とちーちゃんを待つことができる。言葉数が少なくとも、こんな風に理解し合えるのは幼なじみの特権だ。
「朋矢、いこ?」
「うん、いこっか」
靴を履き終えたちーちゃんと一緒に玄関を出て学校へ向かう。
今日は入学式、自分たちの生活が大きく変わる門出の日であるけれど。
僕は、いつものように大好きなちーちゃんと一緒に居られることが幸せだった。




