第66話 決闘が始ま……らなかった。
「全く……。あの方が誰か知らないのか? ここ、イースの街の領主にして侯爵、ジルベルト・オー・イース様の長男、ロンズ・ソー・イース様だぞ?」
イースの街並みを歩きながら、店に残った方のおじさん――アイオールさんというらしい――が呆れた顔で言ってきた。
現在俺はアイオールさんの案内で、クソガキ――ロンズって名前らしい――との決闘の場である、練兵場に向かっている。
一応決闘ということで、戦闘用の装備を身に着けた。エリーさんのお店で買った胸当ては変わらないが、全身の各所に、動きの邪魔にならない程度に〈ゴード鉱〉を加工した防具を付け、武器である棒を背負っている。ランドセルもしっかり装備中だ。……まあ防具に関しては、【金属操作】用のタネとしての意味合いが大きいけど。
それにしても……あいつ、領主の息子だったんだ。道理で服とか剣とかがキラキラしてると思った。高級品なんだろうな、あれ。悪趣味だけど。なんつーの? 成金趣味?
にして、侯爵かー…………侯爵ってどんくらい偉いんだろ?
「こ、こ、侯爵様の息子!? ま、まずいよレンちゃん! 貴族様の息子に喧嘩売っちゃったよ!」
うん。心配だからって付いてきたメリアさんがすっごいテンパってるし、偉いんだろうなあ。
正直、そこらへんの感覚は良く分からないな。前の世界では、少なくとも俺の周囲には貴族なんていなかったし。
「そうみたいだねー」
「そうみたいだね、って……。貴族様だよ貴族様! すっごい偉い人だよ! 私達とは住む世界が違うんだよ!?」
住む世界が違う、ねー。異世界から来た俺より違うのかね?
まあそんな事はどうでもいいさ。
「相手が貴族だろうがなんだろうが関係ないよ。悪いことしたら謝る。普通のことだよ」
「レンちゃん『謝れ』なんて一言も言ってなかったよ!? むしろ煽りまくってたよね!?」
「…………そうだったっけ?」
二人揃って頷いた。まあ、煽ったのは事実だけど。
「ゴホンッ!……貴族にとって、決闘というのはとても特別な物だ。そんな物を持ち出すとは、よほど腹に据えかねたんだろうな。正直私も驚いた」
………………いやなんであいつと一緒に来たあんたがそんな他人事なんだよ。あんたも当事者だろ。
――――という思いが顔に出ていたようだ。俺の顔を見たアイオールさんは、苦笑しながら首を横に振った。
「俺はあくまで衛兵隊の隊長であって、ロンズ様のお目付け役という訳じゃないからな。……いきなり詰所に来たと思ったら、何の説明もなしに『何人か付いてこい!』ときたもんだ。しかも、こっちの返事も聞かずにさっさと歩き出すんだぞ? さすがに当主様の長男を一人で街を歩かせる訳にはいかんから、しょうがなく、責任を取れる人間として隊長の俺が付いてきたって訳だ」
……すげえなあのガキ。自分の行動で発生する迷惑とか全く考えてない。こういうのを傍若無人って言うんだろうな。
そしてなんと、アイオールさんは隊長さんだったらしい。
あれか。社長の息子が好き勝手やるのを、後ろから付いて行って必死に尻ぬぐいして周る課長的な。
中間管理職って辛いね。俺は下っ端で部下とかいなかったからよく分からないけど。
「なるほどねー。で、その特別な物である決闘を、俺が受けるのは問題ないの? 俺、貴族じゃないけど」
貴族同士じゃないと認められない! とかだったら前提条件すら満たしていない事になる。
「ああ。爵位を持たない者が、貴族に対して決闘を申し込む事は不可能だが、受ける分には問題はない。……だがまあ、本来であれば断った方が無難だろうな」
あ、断れるんだ。問答無用かと思ってた。
「断れるの!? よし断ろうレンちゃん! 貴族様と喧嘩なんて、良い事一個もないよ!」
メリアさんも、断ることが出来るとは知らなかったようで、足を止めて俺の肩を掴み、俺と目を合わせて説得を試みてきた。心配の感情が溢れんばかりに伝わってくる目だ。
うん。まあ、メリアさんの気持ちは分かる。俺がメリアさんの立場でも同じようにしただろう。
だからこそ、俺はメリアさんから視線を外し、俺達に合わせて足を止めていたアイオールさんに視線を移した。
「……ねえアイオールさん。決闘ってお互いの言い分を通すのに使われるって認識なんだけど、そこは合ってる?」
「ああ、合っているな」
「強制力は? 負けた方が駄々こねたら覆ったりするの?」
「いや、覆らん。決闘には必ず立会人が付くんだが、作法として、決闘前にお互いの言い分を宣誓し、立会人がそれを認める、という物がある。宣誓を認めた以上、立会人は履行に責任を負わなくてはならん。覆された場合、立会人には重い罰則が適用される。爵位の没収すら有り得る程のな」
そのせいで、決闘なんて最近行われる事はなかったんだけどな。とアイオールさんは笑った。
「へー…………」
想像以上にガチな奴だった。これは慎重に決めないといけないか…………。
そして思い出す。あいつがメリアさんを斬ろうと振り下ろした剣を、体捌きを。
結果――――
「受けるわ」
「は!?」
「ちょ、ちょっとレンちゃん!?」
驚かれた。
いやでも、あいつ、めっちゃ弱そうだったよ? 剣はほぼ腕でしか振ってなかったから、遅かったし、軽そうだった。棒立ちで重心も高かった。俺も、人のことが言える程剣に精通してる訳じゃないが、それでも正直負ける気がしない。絶対メリアさんの方が一万倍くらい強い。
どれだけ喚いたって勝敗は覆らず、勝者の言い分を通す事が出来る。
そして俺は負ける気がしない。
だったら受けて損はない。むしろお得だとさえ言える。
「思い直せ! 決闘に使う武器は稽古用に刃を潰した物だが、それでも鉄の塊だぞ! 大の大人でも受ける場所によっては命に関わるというのに、お前のような子供が受けたら……!」
「そこは問題ないけど、貴族様に逆らっちゃ駄目だよレンちゃん! 貴族様に逆らったりなんかしたら、有る事無い事でっち上げられて処刑されちゃうよ!」
「問題ないのか!? 一番問題な部分だろう!?」
なるほど。有る事無い事でっち上げられて処刑、か。まあ可能性がないとは言いきれない所だな。
「じゃあ、そんな事考える事もできないくらい、徹底的にボコボコにしてやればいいんだよ。第一おねーちゃん。あの程度の攻撃が、俺に届くと思う?」
「………………問題ないねっ!」
「でしょ?」
「そこで手のひらを返すのか!? 危険なんだぞ!?」
アイオールさんが目を見開いた。まあ、この人は俺の結界について知らないからね。しょうがないね。
少なくとも、あいつの攻撃じゃあ、罅どころか傷一つ付かないよ。
……
…………
目的地である練兵場に到着した。
ここに来るまで、アイオールさんは一生懸命に決闘を受けるのを止めさせようと頑張っていたが、聞く耳を持たない俺達に折れたようで、最後の方は『危ないと思ったら即降参するんだぞっ!』と、決闘を受ける事自体を止めるようには言わなくなった。
俺達三人の前には一枚の扉。左右に目を向けるとそこそこの高さの塀が続いている。がっちりとした石組みの塀で、中を伺うことは出来ない。
アイオールさんが懐から鍵を取り出し、扉の鍵を開ける。重そうな音と共に扉を開き、先へ進むアイオールさんに付いて、扉の向こう側に足を踏み入れた。
塀の向こう側は広場だった。二十メートル四方くらいだろうか。俺達が入ってきた入り口と逆方向に平屋の建物が見える。
「…………狭くない?」
俺の呟きが聞こえたようで、アイオールさんが苦笑しながら説明してくれた。
「非常時の避難場所としての意味合いが強いんだ。練兵場と言ってはいるが、各自が自主訓練する程度しか使わん。合同訓練は街の外でやるのが通例なんだよ。で、向こうに見えるのが衛兵の詰所だ。ロンズ様はあそこでお待ちだろう。呼んでくるからここで待っていろ」
「わかった」
アイオールさんが詰所に向かって歩き――あ、走り出した。全力疾走だ。
……あー、うん。あのクソガキ、待つってことが出来ないみたいだからね。どうせどれだけ急いだ所で、『貴様は僕をどれだけ待たせれば気が済むんだ!?』とか言ってキレるんだよ、きっと。
結構待たされるかと思ったが、アイオールさんが詰所に入って数分でガキが出てきた。ガキの後ろには、始めて見る男の人が一人付いてきている。アイオールさんは出てこないようだ。俺達をここに連れてきた時点でアイオールさんの仕事は終わったんだろう。お疲れさまでした。
「毎度毎度、貴様は僕をどれだけ待たせれば気が済むんだ!?」
そしてガキは開口一番キレた。
「何がおかしい!?」
余りにも予想通りすぎる反応に、つい吹き出してしまった。
「…………いや、ごめんごめん。なんでもないよ。で? 早速始めるのか?」
なんとか笑いを噛み殺し、そう返すと、ガキは『もの知らずが』とでも言うように鼻で笑った。
「ふんっ! これだから庶民は! 決闘には手順というものがあるんだよ!」
そこでガキは一緒に来た男に目配せをした。
それを受けた男はおもむろに腰に佩いた剣を抜き、地面に突き刺した。直立した剣の柄頭に両手を置き、声を張り上げる。
「此度行われるは神聖なる決闘なり! お互いの譲る事の出来ぬ物をぶつけ合う行いなり! 此度の決闘の立ち会いはイース第二衛兵隊隊長である私が務める!」
そこでガキが腰に靡いていた剣を抜き、天に掲げた。
え? 何これ? 演劇?
「我が求めるは貴様が働く店の即時閉店! 並びに関係者のイースの街からの退去である!」
そこまで一息に言い切ったガキはその姿勢のまま俺を見た。
……まじで? 俺もあれやるの? 助けてメリアさん……っていない!? いつの間にあんな後ろに!?
「………………えー、お、俺が求めるのは、関係者への謝罪。…………あー、あと、今後、営業の妨害になる事柄の、き、禁止だ」
はい、無理でした。
剣がないので、代わりに棒を天に掲げるまではやったけど、ガキみたいに自信満々に大声を張り上げるのは無理でした。
いや、いきなり演劇やれ、とか言われても困るわ。俺は役者の経験なんてないんだよ! 演劇なんて小学校の学芸会以来だよ! その時の配役は村人Cだったんだよ! 台詞も『そうだそうだ!』って合いの手を入れるだけだったんだよ!
…………んだよその小馬鹿にしたような目は! それっぽくなってて、意味が通ればいいだろうが!
「……双方の願いは聞き届けた! お互いの思いを剣に乗せ、ぶつけ合い、己が願いを押し通せ! それでは、はじ――――」
「待て」
芝居がかった開始の合図を、突然響いた渋い声が遮る。驚きを全身でアピールしながら、ガキが勢い良く振り返る。
建物から出てきたのは、ゴツいガタイのイケオジだった。短く切り揃えられた髪と、整えられた口髭が滅茶苦茶似合っている。着ている服も地味めながらとても品が良く、これまた良く似合っている。無駄にキラキラしたガキとは大違いだ。
「ち、父上!?」
ガキの親父さん? …………って、イースの街の領主で侯爵様じゃねえか! 初めて見た!