第63話 何の変哲もない一日が始まった。
【翼】を展開する。
産声を上げるかのように、その威容を見せつけるように大きく広げられた純白のそれは、陽光を反射して煌めきながらしなやかに動き、主たる俺を包み込む。さながらそれは、か弱き者を外界から守る繭のよう。
美しくも力強い存在感を持ったその翼による守護は――――神速の一刀で呆気なく破られる。
切り裂かれた【翼】の隙間から見えるのは灼熱の炎のような赤髪。【翼】を切り裂く為に振り抜かれたその手に握られたナイフは、暖かな陽光を反射しているにも関わらず、冷たく、鈍い輝きを放っていた。
閉ざされていた繭が割り開かれ遮る物は無くなってしまったが、それを為したナイフは未だ引き戻されてはおらず、わずかな猶予を俺に感じさせる。
今のうちに一度距離を取り、態勢を整えようと足に力を込めた俺の視界の隅で、何かがこちらに向かってくるのが見えた。
そちらに意識を向け直すと、それは拳。ナイフを握っていたのとは逆の手が力強く握りしめられ、一個の砲弾となって俺に撃ち出されていた。
直前まで意識がナイフに向けていたせいで反応が遅れ、すでに回避不能な所まで迫っている。全身のバネはおろか、ナイフを振り抜いた遠心力すらも乗せた一撃が眼前に迫り――――轟音と共に結界に阻まれた。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
「だ、大丈夫!? すっごい音したけど……」
拳を抑え、声にならない呻きをあげながらその場に蹲るメリアさんを見て、戦闘態勢を解除――訓練を中断して駆け寄る。
まじ大丈夫かな? 骨折とかしてたらどうしよう……。
「いったたたた…………。あー、うん、大丈夫。硬い物殴ったせいで痛かっただけだから。骨も折れてないみたいだね」
……まじですか。大型トラックが正面衝突みたいな音したんだけど。
そんなレベルの衝突音させといて、痛いだけで済むとは……。
「そ、そう。ならいいけど……。それにしても……うん。分かってはいた事だけど、やっぱり、【翼】は物理攻撃には無力みたいだね」
まあ、【翼】は結界で防げない魔力による攻撃を防ぐために作った物だし、物理防御力は考慮してないからね。表面積を増やす為に中空になってるし。
「そうみたいだねえ。でも邪魔なことに変わりはないよ。排除するのに一手使わされちゃうし、なんか距離感も狂わせられちゃうんだよねえ。大きく見えるっていうか、近く見えるっていうか……」
「そうなの? …………ああ、〈膨張色〉か」
「ボーチョーショク?」
「うん。赤とか白とか、そういう系統の色って、実際の距離より近く見えたり、膨らんで見えるんだよ。まあ目の錯覚だね。俺の【翼】って真っ白じゃん? そのせいで実際より距離が近く見えるんだろうね」
「へぇ~。だから短剣が空振ったのかあ」
「……え? いや普通に当たってたじゃん。【翼】真っ二つになったじゃん」
「ほんとは【翼】だけじゃなくて、【翼】ごと斬るつもりで振ったんだよ。でも〈ボーチョーショク〉のせいで、少し踏み込みが足りなかったみたいだけどねえ……。そのせいで出す予定のなかった二手目を出さなきゃいけなくなっちゃったよ」
たははーってメリアさんは笑っているが、俺にとっては恐ろしい内容があったぞ。
何『【翼】ごと斬る』って。人間って斬られたら死んじゃうんだよ? なのになんでそんな躊躇いも無く実行しちゃうの?
しかもさー。
「その二手目の威力が半端なかったんだけど…………」
明らかに一手目のナイフより、二手目の拳の方が威力が高かった。今の結界、割りと本気で張ったのに罅入ってるし。毎日少ない自由時間を遣り繰りして訓練して、結界の強度も大分上がったはずなのに。自信なくすなー……。
「あー。そりゃそうだよ。元々私、徒手格闘が専門で、短剣は洞窟で暮らすようになってから仕方なく使うようになったし」
「え? そうなの?」
まじで? そんな付け焼刃で……いや、洞窟で暮らすようになってからって事は、なんだかんだ十年近くナイフを使ってるのか。
……うん。全然付け焼刃じゃないわ。年数だけ見たら結構熟練者だわ。
それにしても、徒手格闘が専門かー……。
「ふむ。……武器変える? 籠手とか」
刃物は難しいけど、金属製の籠手なら【金属操作】で割と簡単に作れると思う。
本当は刃物も【金属操作】で作れたらいいんだけど、刃が上手く付けられないんだよな。
なので、今メリアさんが使ってるナイフは、いまだにイースに始めて来た時に、エリーさんの店で買った物を使っている。冒険者としての活動をほとんどしないから、いい物に買い替える必要もないしね。
「うーん、それもいいんだけど、刃物もそれはそれで便利なんだよねえ。ちょっぴりだけど間合いが伸びるし、殺すのも楽だしねえ。打撃だと殺すのに時間かかっちゃったりするし、殺したら殺したで中身とかぐちゃぐちゃになって、食べられる場所が少なくなっちゃったりするんだよねえ……」
「そ、そう…………」
なんというバイオレンス。怖いっすメリアさん……。中身がぐちゃぐちゃになるまでぶん殴るとか……。
「よし、じゃあ訓練を再開…………あ、もういい時間だねえ。今日はこれで終わろうか」
あら、もうそんな時間?
時計――はないので、空に目を向ける。……確かに、太陽の位置が高くなってきている。そろそろ動き出さないと遅刻してしまいそうだな。
「りょーかーい」
そんな感じで本日の訓練は終了。
斬り飛ばされた【翼】に触れて【金属操作】を発動。回収して背中に回収する。
なお、以前までは『背負い紐の付いた金属塊』とでも言うような、なんとも無骨というか、アンバランスな形状だったそれは、今ではそれなりに見栄えのする形状に……端的にいうと〈ランドセル〉の形状になっている。
……うん、ランドセル。いや、俺が決めた訳じゃないよ?
ジャン達への依頼が終わった後、屋敷に戻った俺は、鏡を見たんだ。どんな状態になっているのか確認する為に。
そして鏡に映った俺――――背中にでっかい荷物を背負った幼女の姿――――を見て、『ランドセル背負った小学生みたいだな』と思ってしまった訳だ。
するとあら不思議。あっという間に金属塊が変形、ランドセルの形状に変わってしまった、という訳だ。
…………まああれだ。【翼】の時と一緒だね。今回も完全にイメージが固定されてしまったらしく、変更がきかなかった。実際、我ながら犯罪的に似合っていると思ってしまっているから尚更だろう。
この姿を初めて見た時のメリアさんとルナが、自分自身を抱きしめながらやばい顔でクネクネしていたが、それについては頑張って忘れようとしている。……いやだって、正直かなり気持ち悪かったんだよ? 顔もかなりやばかったし。
……
…………
二人で益体もない会話をしながら屋敷に戻る為に歩を進める。
……まあ訓練というか、一方的に稽古を付けてもらってるだけな気がするが。
以前、それを申し訳なく思って謝ったら、『レンちゃんの防御が硬くなっていくのが実感できて私も安心できるから気にしなくていいよ』と言われた。
まあ同時に『レンちゃんって防御については頭おかしいくらい硬いけど、攻撃はからっきしだよねえ』とも言われた訳だが。
実際、訓練中にメリアさんに攻撃を仕掛けてもほとんど当たらないし、当たったとしてもきっちり防御されてしまう。うーん……【身体強化Ⅱ】で結構スピードも上がってるはずなんだけどなあ。
メリアさん曰く、『いくら速くても、攻撃される場所とタイミングが分かってれば回避も防御も簡単』らしい。なんという達人的回答。俺にはとても真似できない。だからこそ結界も【翼】も全周防御を主眼に置いている訳なんだけどさ。
それにしても…………この世界に来てからそれなりに時間が経ったけど、未だに『攻撃する』という事への拒否感が無くならない。ぶっちゃけ、訓練でメリアさんに攻撃を仕掛けるのすら結構なストレスになっている。なので最近は、攻撃性能は最低限にして、防御に特化しちゃおうと考えている。まあその防御についても、『頭おかしい』って言われたのはさすがにちょっとショックだったけど。
いくら防御特化に舵を切っているとはいえ、全く攻撃しないと訓練にならないので、一応こちらからも攻撃を仕掛けるようにはしているが、メリアさんの訓練になっているかは甚だ疑問だ。スピードだけは我ながらそれなりの物だと思っているので、そういう相手への対処を学ぶ役には立っている…………といいなあ。
屋敷に戻り、軽く水浴びをして汗を流したら、しっかりと朝食を食べてからイースの街へ。このタイミングで、明日以降の食材や調味料を購入する。複数店舗を周る必要があるが、各店舗で購入する食材は、ある程度契約で決まっているのでサクサク進む。この時に変わった出物がないかの確認もするが、今日は特に興味をそそられる物はなかったので、購入するのは契約してる食材だけ。仕入れが終わったら、その足で〈鉄の幼子亭〉へ向かう。
「「おはようございます。レン様、主」」
「「おはようー」」
〈鉄の幼子亭〉に着いたら、先に来て、開店準備を始めている給仕担当のメイド二人に挨拶。俺達も準備を手伝――――おうと思ったら、すでにメイド二人の手で粗方終わらせた後で、ほとんどやる事が無かった。いつも通り。
……うん。まあ、メイド達が俺達よりも早く出勤してるからね。そうなるよね。
ちなみに、俺とメリアさんの名誉の為に言っておくと、メイドが早出しているのは俺の指示じゃない。『雑務をレン様や主にさせる訳にはいきませんので』との事だ。俺達も、最初は早めに出勤して手伝おうとしてたんだけど、それを受けたメイド達がそれよりさらに早く出勤する、というループに突入してしまい、最終的に俺が折れた。いやだって、最後の方ではメイド達、前日入りとか始めたからね……。食堂の開店準備で前日入りとか意味が分からないよ。料理の仕込みの為、とかじゃないよ? ただの掃除とかそんなんでだよ? そろそろ早朝手当とかつけないといけないなあ。
そんな事情もあり、俺達が出勤するのは開店直前。揃いのエプロン――いつか制服とか作りたいなあ、とか思ってる――を着けたメンバーの前で朝礼を行う。
「おはようございます。今日もまあいつも通り、連絡事項はありません。今日も一日、頑張っていきましょう」
正直な所、わざわざメンバーを集めて連絡する事もない、というか、あったとしても同じ屋敷に住んでいるんだからそこで言えばいいし、緊急の要件が発生したとしても【念話】で済む話なのだが、気持ちを切り替える為の儀式としてやっている。ぶっちゃけ必要そうなの俺くらいだけど。
朝礼が終わると、いよいよ開店だ。
俺が厨房に入ると同時に、給仕の一人が入り口のドアを開け、表の看板を『開店』に変える。
「お待たせ致しました。〈鉄の幼子亭〉開店です」
「「「「いらっしゃいませー!」」」」
開店待ちをしていたお客さんを給仕が次々と席に案内していき、注文を受け、それを厨房の俺に伝えてくる。
どんどんと集まる注文を聞き、俺は改めて気を引き締めた。
さあ、一日の始まりだ。
今日も忙しくも落ち着いた、平穏な一日でありますように。