第45話 ルナを救う為の処置をした。
「発動。【女神レストナードの加護】」
【女神レストナードの加護】。
その効果は、『女神レストナードの【権能】を用いて事象に干渉できる』というぶっ飛んだものだ。
ざっくり言うと、発動者の想いにより、触れたくない物を透過し、触れたい物に触れる事ができる。
もちろん、神の力をそのまま使用することなんて人の身では到底不可能なので、かなりダウンスケールしているし、【能力】が適用されるのは、右手の指先から肘までと目だけ、らしい。
しかも、干渉できるスピードは遅く、干渉中は亀のような速度でしか手を動かす事ができない、
そして、与えられる影響も大した事はない。
本来、質量を持たず触れる事など不可能であるはずの魂に触れる事が可能となるが、少しだけ魂の形を整えて歪みを矯正したり、魂についた汚れ――小規模の呪いや瘴気、日頃の行いにより発生する汚染等――をちょっと除去したりできる程度だ。
だが、この【能力】と、俺が元々持っていた【能力】を併用する事で、ルナを救う事ができる。
【女神レストナードの加護】で俺自身の魂に干渉し、少しだけ切り離す。
切り離した〈魂の欠片〉は、そのままの状態ではすぐ消滅してしまう為、【魔力固定】で固体化する事でそれを防止。
そしてルナの体内に埋め込み、【魔力固定】を解除する。
ルナの体内で元の状態に戻った〈魂の欠片〉は、時間と共に定着する。
そう。これから行うのは、魂の移植手術だ。
魂は存在するだけで魔力を生み出す。
例えその場所が、造られた存在であるホムンクルスの中であっても例外ではない。
つまり、魔力の枯渇で昏睡状態に陥ったルナの体内に魂を定着させる事ができれば。
魔力が供給される事により、目覚める可能性は高い、という事だ。
まあ、その一連の作業を行う為に、俺としては非常にやりたくない事をやらなきゃいけない訳だが。
【能力】を発動した瞬間、ルナの胸元に置いた手が淡く光った。その状態で少し力を込めると、軽い抵抗と共にルナの体にずぶずぶと埋まっていった。
手が体の中に入った瞬間、ルナの体がビクンッと一度大きく痙攣した。
ルナの胸に埋まった手全体に生々しい暖かさを感じる。
その事実が、俺がこれからやらなくてはならない行為と、それにより発生する結果を嫌でも想像させる。
その想像から逃げるように俺は口を開いた。
「さっき言ってた『別の存在に変える』っていうのは、言い方を変えると、生まれ変わらせるっていう事なんだ。ホムンクルスから、人間へ」
「否定します。不可能です。そのような所業、それこそ神でもなければ」
皐月が俺の言葉を間髪入れずに否定した。まあ、普通に考えればただの夢物語だし、当たり前か。
俺が皐月の立場でも『現実見ろボケ』って思うだろうし。
だが出来る。その神様から力を授かり、やり方を教えてもらったんだ。これで失敗したら、俺は全力でレストナードをぶん殴る。
前回はまるで歯が立たなかったけど、それは脇に置いておく。気持ちの問題だよ、気持ちの問題。
ルナに埋まった手をゆっくりと、でも確実に進めていきながら答える。
「そう。普通は不可能だ。だがここには人間の器とも言える、ホムンクルスの肉体がある。ホムンクルスと人間の一番の違いは魂の有無。だったら、ホムンクルスに魂が宿れば、もうそれは人間だ」
そして、指先がゆっくりと蠢く肉塊に触れた。ソレは一定の周期で拡大と収縮を繰り返す。
――――トクン…………トクン…………トクン…………トクン
その動きは部屋に響く音と完全に同期していた。
「だが一つ問題がある。魂というものは、すでに生きているモノ、つまり、生命活動を開始しているモノに後から宿ることはない。だから」
俺はその肉塊――心臓を手で慎重に包み込んだ。
さあ、この時が来た。
これからやる事は、俺が最も忌避する行為。
緊張と恐怖で体が震えだすのを、大きく深呼吸する事で抑え込む。
何回か深呼吸を繰り返し、震えが収まった事を確認し
「一度、その生命活動を停止させる」
力を込めて握り締めた。
ビクン、ビクンと手の中で暴れるルナの心臓。それを合わせるように、ルナの体が大きく痙攣し、全身を固定しているベルトがギチギチと音を立てる。
――――ドトッ!トグッ!ドクッ!ドクン!
一定の周期で響いていた心音が乱れる。
握り潰さないように、でも動きは止めるように。
生きる為に必死に動こうとしているルナの心臓を、細心の注意を払って握り続ける。
――――トクッ…………トッ…………ト…………ッ……………………
握り続けて、十秒程経っただろうか。抵抗を続けていたルナの心臓が停止した。
ベルトを千切らんばかりに痙攣を続けていた体は最期に大きく痙攣し、そして全ての力が抜けた。
力なくベッドに全身を預けるその姿に、もう生命の兆候は現れない。
ルナの心音を拡大して部屋に響かせていた蓄音機から一切の音は流れず。
ゆっくりと上下していた胸が動く事もない。
ルナは死んだ。
俺が殺した。
俺が殺した俺が殺した俺がころしたおれがころしたオレガコロシタオレガオレガオレガ!
「うぶっ!」
初めての殺人に精神が軋みを上げる。すさまじいまでの吐き気が込み上げ、視界が白く染まり、意識が遠のいていく。
だがここで気絶するわけにはいかない。ここで気を失えば、本当にルナがいなくなってしまう。
「…………っ!」
空いている方の手で〈拡張保管庫〉から適当な金属を取り出し、【金属操作】で針に変える。
そしてそれを、勢いよく太ももに突き刺した。
「ぅぎっ!?」
太ももで痛みが弾ける。歯を食い縛り、痛みによる絶叫をギリギリの所で飲み込む。
痛すぎて涙が滲む。
――だが、気絶するのは防げた。
少し離れた場所から、ギリッと歯を食いしばる音が聞こえたが、そちらに目を向ける余裕も、時間もない。
ここからまた時間との勝負だ。
昔、何かのテレビ番組で心肺停止からの生存確率について説明していたのを思い出す。
真剣に見ていた訳じゃないのでうろ覚えだが、時間経過でどんどんと確率は下がっていき、確か四~五分程度で確率は五割を切ったはず。
一秒でも早く処置を終え、心拍を復活させなければならない。
だが焦ってはいけない。焦りは不要なミスを招く。
繊細に、細心の注意を払いながら、最速で事を為す。
ゆっくりと針から手を離してから、ルナの胸に埋まったままだった手を一度引き抜く。
目を瞑り、淡い光を放ち続ける手を自分の胸に宛がう。ルナの時とは違う、硬い感触に薄く笑うと、そのままぐっと力を込めた。
すると、ルナの時と同じように、手が俺の体内へ侵入する。
「ぐっ!?」
すさまじいまでの不快感に声が漏れ、一瞬手が止まる。
気を落ち着かせようと、改めて一度大きく深呼吸をすると、埋め込んだ手が、膨らんだ肺によって両側から圧迫されるのを感じてしまい、余計強く体内の様子を意識してしまった。
これではいけないと、息を止めて肺の伸縮を抑え、できるだけ意識の外の置くようにしてから、侵入を再開する。
一ミリ進むたびに押し寄せる不快感をなんとか飲み込み、手を体の奥へ進めていく。
そして、手首まで埋まった辺りで手のひらに目的の物が触れた。我ながら不安になる速度で鼓動する、俺の心臓。
たが心臓その物に用があるわけじゃない。魂は心臓の中心部に、重なる形で存在しているのだ。
人差し指と中指を揃え、意を決して心臓に突き入れた。
本来であれば致命傷になるその行為は、【女神レストナードの加護】により心臓に一切の傷を付ける事が無かった。
心臓の中へ埋まっていく二本の指。指全体で、しかも心臓の内部から鼓動を感じる、という二度としたくない経験をしながらゆっくりと奥に進めていくと、指先に硬いような、柔らかいような、不思議な感触のものが触れた。
閉じられた瞼の裏に浮かび上がるのは、金色に縁取られた銀色の球体。俺の魂だ。
自分自身の魂を見るとか、普通では絶対得られない経験だな。
ここはさっきよりもさらに慎重に事を進めないといけない。
失敗すると、俺の魂に修復できない傷が付く。
傷がついたらどうなってしまうのかはレストナードは教えてくれなかったが、普通に考えて、生命の根幹である魂に傷が付いていい事なんてあるはずがない。
俺は、ゆっくりと突き入れた二本の指を開き、魂の端っこをちょっとだけ摘まみ――――千切った。
「んぎぃっ!?!?!?」
その瞬間に、今まで経験した事のない痛みが全身を襲った。
身体中をくまなく、それこそ細胞一つ一つに痛覚信号を叩きこまれているような激痛。余りの痛さに全身から脂汗が噴き出し、心臓が危険なほど早鐘を打つ。滲んでいた涙が溢れて頬を伝っていくのを感じる。
小指の先程にも満たない、ほんの小さな欠片を千切り取っただけでこれとは。これが魂が引き裂かれる痛み。痛すぎて地面をのたうち回りたいのを、〈魂の欠片〉を摘まんでいる、指先以外の全身の筋肉に渾身の力を込める事でギリギリ押さえつけ、体内からゆっくりと手を引き抜いていく。
「ぐ……ッ…………がぁ!」
胸に埋まっていた手が完全に外に出たその瞬間、【魔力固定】を発動。〈魂の欠片〉を魔力で包み、固めた。
不定形である魂が、俺の白色の魔力が包みこまれる事で球状に固定され、特に設定もしていないのに光沢が生まれている。
その見た目は、まるで小さな真珠のようだった。
「ブハァッ!ハア!ハア!」
無事〈魂の欠片〉を固体化できた事を確認して、今まで止めていた呼吸を再開した。
なんとか、〈魂の欠片〉を摘出することに成功した。だがここまでは所詮前座。本番はここから。
この〈魂の欠片〉をルナの心臓に埋め込み、魂を外界から遮断している【魔力固定】の殻を消し去れば、魂を得たルナの肉体は活動を再開する、はずだ。少なくともレストナードはそう言っていた。
力を込めすぎて、小さく痙攣し始めた足に喝を入れ、〈魂の欠片〉を持ったまま再びルナの胸に手を埋めていく。最初の時と比べ、手に感じる温度が下がっている。今現在、ルナは死亡していて、ここで俺が魂の移植に失敗すれば、残った温かさも次第に薄れていき、冷たい死体に成り下がってしまう。それを再認識させられる。
【魔力固定】によって物質化しているはずの〈魂の欠片〉は、何故かルナの肉体に影響を及ぼす事なく、俺の指と共に沈んでいく。
未だ全身を襲う痛みに加え、緊張と恐怖から震えだした手を、もう片方の手で無理矢理抑え込みながら、ゆっくりと手を進めていき、とうとう心臓に到達した。俺が無理矢理鼓動を止めた時から沈黙を続け、ただの肉塊となってしまっているそれに指を侵入させ、内部に欠片を置く。
不安から、設置した場所に間違いがないか、自分の魂の位置と比較する事で何度も確認してから、ゆっくりとルナの体内から手を引き抜いていく。
手を完全に抜き切り、そのまま額の前で両手を組み、成功を祈りながら【魔力固定】を解除する。
「ルナ!帰ってこい!」
〈魂の欠片〉を外界から保護していた殻が消え、ルナの体内で魂が剥き出しになる。そして
――――ドクンッ
ルナの心臓が鼓動を再開した。
処置前とは違う、力強い心音が部屋に響き渡る。
「カフッ」
ルナの口から苦しげな吐息が聞こえた。心拍の再開と共に、自活呼吸も戻ったようだ。
部屋に響く心音と、上下する胸を見て、無事成功した事を確信する。
「これで、終了…………。もう少ししたら……目が覚めると、思うけど、移植した魂が、定着してないから…………一日は、安静、に――――――」
「レンちゃんっ!?」
そこが限界だった。
絶え間なく全身を襲う激痛と、極度の緊張から解放された反動で一気に意識が遠退いていく。
メリアさんが俺を呼ぶ声が遠くから聞こえ、床に倒れこむはずだった体が柔らかく抱き止められた感触を、ぼんやりと感じた所で、俺の意識は完全に闇に飲まれた。