第34話 久しぶりに冒険者組合に行った。
翌日。
昨日と同じく、開店前の仕入れを終わらせた俺とメリアさんは冒険者組合に来ていた。
早朝にも関わらず、掲示板の前にはこれから貼り出されるであろう割りのいい依頼を受けるために、冒険者の人達が集まっている。
今日は俺たちは依頼を受けに来たわけではないので、ちょっと前まで俺達もあそこにいたんだなー、とか考えながら歩を進め、受付に向かう。
「すみませーん」
「はい。どういったご用件……」
ジャンプして上半身を受付に乗せながら声を掛けると、何か書類作成をしていたらしい受付嬢さんが顔を上げながら用件を聞こうとして、途中でフリーズした。
「…………………………えーっと、おねーさん?」
プチフリだと思って少し待ってたけどなかなか復帰しないので、声を掛けてみる。これで復帰すればいいんだけど。
「…………ハッ!?」
お。復帰した。
「ひ、ひつ礼しまひた!ほ、本じちゅはどういったご用きぇんでひょうかっ!?」
めちゃくちゃ噛んだ。ちょっと考えられないくらい噛んだ。
恥ずかしかったようで、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
大丈夫かこの人?と思いながら俯いてしまった受付嬢さんを改めて見てみると、なんとなく見覚えがある顔だった。
誰だったかしら?と脳内で検索に掛けてみると、一件ヒットした。
この人、冒険者登録をする時に最初に受付をしてくれた人だ。
途中で下腹部を押さえて受付から離れちゃって、別の受付嬢さんにバトンタッチしたんだよね。
確かあのときは幼女モードしてた頃だったな。いきなり態度が大きく変わっちゃったら受付嬢さんも困惑するだろうし、久々にやるか。最近やらなくなったし、ちょっと恥ずかしいんだけどな。ちょっと舌足らずな感じを意識してっと……。
「おねーさん、だいじょぶ?」
「あ、は、ひゃい!?だいじょぶでふ!?」
どこからどう見ても大丈夫じゃなさそうなんだが……。まあ本人が大丈夫って言ってるんだし、いいか。話を進めよう。
「んとね、んとね。ここで、おりょーり配っても、いーですか!」
「お、お料理?」
「あい!」
受付嬢さんの相槌に手を挙げながら返事をした。両手を挙げると受付から落ちてしまうので片手だけ。前回はそれで痛い目に遭ったからね。俺はちゃんと学ぶのだ。
「はうっ!?」
「ちょっとアリューシャ!?どうしたの!?」
……返事した途端に、受付嬢さんが下腹部の辺りを押さえて蹲ってしまった。
他の組合員さんの言葉に弱弱しく片手を挙げて応えているから、意識を失った訳ではないようだ。
それを見た他の組合員さんは心配そうにしながら離れていった……あれ?心配そうっていうより、迷惑そうって感じに見えるのは気のせいか?
受付に突っ伏すような形なので、すぐそこに受付嬢さんの後頭部が見える。
てかこの受付嬢さんの名前初めて知ったわ。アリューシャさんって言うのか。
にしても、話の途中で突っ伏すなんて、よっぽど体調が悪かったのかな。俺のせいではないはずだけど、なんか罪悪感があるな……。
「アリューシャおねーさん。お腹いたいの?だいじょぶ?」
「っ!?」
なので頭を撫でてあげた。これで体調が良くなることはさすがにないけど、気休めにはなるかもしれないし。頭撫でられるのって結構気持ちいいしね。
予想以上にサラサラした髪を、手全体で感じながら頭を撫でた瞬間に、受付嬢さんから息を飲むような声が聞こえ、同時に体がビクンッと大きく震えた。
まさかこんな大きな反応を示すなんて……ちょっと触れられるのもつらいのか。いや、頭を撫でられるのが嫌いなのかもしれないな。こりゃ悪いことをした。
「ご、ごめんね……」
慌てて頭から手を離して謝った。すると今度はフルフルと小刻みに震えだして……。
「ちょ!?血!?すっごい血が出てるよ!」
受付嬢さんの顔の辺りから引くくらいの勢いで血が流れてきた。受付に血溜まりが広がっていく。
「ちょっとアリューシャ!何してるの!?誰か拭く物!書類が汚れちゃう!」
俺の出した声に素早く反応した他の組合員さんが、慌ててアリューシャさんの近くに駆け寄り、アリューシャさんの髪の毛を雑にワシッと掴んで頭を持ち上げる。その隙に、別の組合員さんがアリューシャさんの顔に布をこれまた雑に押し付けて、これ以上の出血を防ぐ。血溜まりがこれ以上広がらない状態にすると同時に、さらに別の職員さんが手早く書類を回収し、血塗れの受付を拭き清めていく。
…………素晴らしいチームワークだと思うけど、アリューシャの扱いがひどくない?アリューシャさんの容体より書類の救出の方が優先度高かったし。
布を押し付けられる時に、一瞬アリューシャさんの顔が見えたんだけど顔面血塗れで口は半開き。さらに白目まで剥いていた。鼻から下が状態がひどかったから、吐血でもしたのかもしれない。
そんなひどい状況にも関わらず、アリューシャさんの表情は満面の笑顔に見えて、なんかめちゃくちゃ怖かった。
あまりの状況にその場から動くこともできずその場に突っ立っていると、清掃が終わったらしく新しい受付嬢さんが席に座った。
ここ、そのまま使うの?血は拭き取ったかもしれないけど、匂いが充満してるよ?
「職員が、大変失礼しました。アリューシャに代わって私が……あら、レン様じゃありませんか」
「あ、クリスおねーさんだ。こにちわー!」
誰がどう見ても業務続行不可能なアリューシャさんが受付の奥に運び込まれていった代わりに、席に座ったのは、アリューシャさんに代わって最後まで処理を行ってくれた、クール系受付嬢さんのクリスさんだった。
なんで名前を知ってるかというと、クリスさんが俺とメリアさんの担当だからだ。
特定の冒険者に担当がつくのは、本来であれば高レベルにならないとありえないのだが、組合側で必要と判断した場合――――大体は問題児――――には特定の受付嬢をつけて管理を一元化する、らしい。クリスさん俺達の担当になった時に名前と一緒に本人から聞いた。
それを聞いた時は、俺達も問題児認定されてしまったのかとビクビクしたが、俺達の場合はそういう訳ではないらしい。
確かに大体の場合は問題児につけるのだが、組合側で保護しておかないとまずいと判断された場合に、担当をつけることもあるそうな。俺達、というか俺の場合は、数十年振りのレベル0の冒険者。しかも可愛らしい女の子ということで、組合で保護していることを、周囲にアピールしておかないと様々な面倒事に巻き込まれる可能性がある、と判断されたそうな。
……可愛らしいと言われてもあまり嬉しくはないけど。男にとって『可愛らしい』は誉め言葉ではない。外見は確かに幼女だが。
「組合側でそこまでしているにも関わらず、レン様とメリア様はほとんど依頼を受けませんがね。受けたとしても採集系ばかり。まあ、採集系の依頼は人気が低く、必要最低限しか受けない冒険者が多いので、組合としては有難いのですが」
「ははは……向いてなかったんだよ」
俺が頬を掻きながら言った。クリスさんと話す時は幼女モードを解除しているので、割と素の話し方だ。俺達の担当になると聞いた時に、『長期間関係が続くんだったら、このまま演技続けてたら疲れるなあ』と思って、話し方を戻してみた。
クリスさんは始めはちょっと驚いたみたいだったけど、すぐに慣れたようだった。
俺の言葉にクリスさんは微笑みながら頷いた。
「その事を怪我をする前に理解し、退く判断が出来るのはとても賢いですよ。大体は日常生活に支障が出るくらいの怪我を負ったりして、取返しの付かない自体になって初めて理解するものですから」
まじかよ。普通、何回か依頼受けてみたら違和感を感じるだろ。『あ、俺これ向いてないわ』って感じるだろ。
「ほとんどの冒険者は、その違和感を『まだ慣れてないだけ』だと勘違いして、そのまま続けてしまうんです」
成り上がる夢を諦められないんですよ。とため息混じりにクリスさんが教えてくれた。
その言葉を聞いて俺は首を傾げた。
本当にそういうことなんだろうか?確かにそういう人もいるだろう。でも本当に全員がそうなんだろうか?
ただ単に、他に就ける職業がないだけなんじゃないのだろうか。
この世界の人々は学力が低い。貴族とかはがっつり教育されてるのかもしれないけど、庶民が通える学校なんて存在しないから、勉強する機会なんてほとんどない。だから計算は簡単なものでもゆっくりとしかできないし、文字だって、自分の名前と日々の生活に最低限必要な単語くらいしか読み書きできない。周りがみんなそうだから、お互いに教え合って知識を高めあう事もなかなか難しい。
だから、読み書き計算が必要な商人や公務員……じゃなくて文官か。にはコネや伝手がない人はそうそうなる事ができない。
「そうでした、今日はどういったご用件で?」
ぶっちゃけてしまえば、冒険者というのは日雇いの肉体労働者だ。『冒険者は体が資本』というのはちょくちょく聞くが、それは言い換えれば『体が丈夫であれば他の要素はそこまで必要としない』という事だ。レベル9とかレベル10とかまで行けば各国のトップと謁見したりする機会もあるかもしれないけど、そこまで行けるのはほんの一握り。大体はその半分、レベル5になればいい方だ。依頼料の算出や書類関係の処理は組合側でやってくれるから、冒険者はそういったデスクワーク的な事は何も考える必要なく、ただ受けた依頼内容の通りに体を動かして、組合にその成果を持っていけば、組合がそれを判断し、適正な金銭に変換して手渡してくれる。そこに頭を使う要素はほとんど存在しない。
「レンちゃん?……おーい」
なので、庶民にとって、将来の職業の選択肢は『実家の家業を継ぐ』か『冒険者になって日銭を稼ぐ』くらいしかないんじゃないだろうか。
いや、本当は選択肢はそんなに狭くない。考えれば色々見えてくる物もあるだろう。でも『考える』という行動は自身の持っている知識を元にしか行えない。元々持っている知識が少なかったら、いくら考えても選択肢は増えないのだ。
他に就ける職業がなくて、しょうがなく冒険者をやってるなら、仕事を提供すれば飛び付いてくるんじゃないか?今はまだ仕事の内容は思い付かないけど。
いやいっそ根本的な解決の為に勉強する機会を設けて……教える側がいねえな。
「レンちゃん!帰ってきて!」
「ぅわぁ!?」
何の前触れもなく視界一杯にメリアさんの顔が現れてめちゃくちゃびっくりした。
「要件。聞かれてるよ」
「ああ、ごめん」
メリアさんに声を掛けられて思考の海から帰ってきた。そうだ。今日は用事があって来たんだった。
まずは自身と家族の生活を安定させる。じゃないといくら考えた所で、結局は何もできないで終わるだけだ。
いやまあ、それはいいんだけどさ。
「おねーちゃんが話しても良かったんじゃない?」
説明は昨日したから内容は知ってるよね?
「ん?………………あっ!……あーあーあー」
なんで、俺の言葉を聞いて、最初『何言ってるのこの子?』みたいな顔してから、ハッとした顔に移行したの?
「……ごめん。なんか、『レンちゃんが話さなくちゃいけない』って思い込んでたみたい」
「えぇー…………」
なんでそうなる?てゆーか、普通は俺みたいな幼女から提案するより、メリアさんみたいな大人から提案した方が受け入れられやすいんだけど……。
「まあいいけど。えっと――――」
ちょっと釈然としない気持ちになりつつも、かくかくしかじかと説明する事暫し。
「ふむ。レン様とメリア様が始めた食事処の宣伝のために、組合内でお店で提供している食事を振る舞いたい、と」
「そうそう。といっても提供するのは一品だけ。それも一人当たり一口で食べられるくらいの量しか出さないから、組合の中に入ってるお店にも迷惑は掛からないと思うんだけど」
「迷惑以前に、組合内での販売行為は、一部の許可された業者しか認められていませんよ?」
「販売行為?いや、お金は取らないよ?」
「え?」
「え?」
お互いに『何言ってるのこの人』という表情のまま見つめ合う俺とクリスさん。いや、さっき説明したよね?
「……それは、無料で提供する、ということですか?炊き出しですか?」
「いやいや、そんな慈善事業じゃないよ?てゆーか冒険者に炊き出しなんて必要ないでしょ。うちが提供する新しい料理を食べてもらって、味を知ってもらおうと思っただけだよ」
「…………そんな事のために、少なくない費用を使って食事を提供するのですか?正直理解に苦しむのですが」
試食のメリットを分かってくれないことに俺がびっくりだよ。
んー。なんか分かりやすいたとえ話とかないかなー……。
「あー……。たとえばさ、お昼時に、とある屋台が目に入りました」
「は?はあ」
「そこの店主は初めて見る人で、売っている料理も初めて見る物です。クリスさんならどうする?」
「素通りして行き慣れたお店に行きますね」
おお、即答だ。クリスさんはチャレンジャーじゃなく安全志向っと。
「でも美味しいかも知れないよ?」
「逆に口に合わない可能性も十分に考えられます。折角お金を払って食べたものが口に合わないと悲しくなります」
その状況を想像したのか。クリスさんの眉がへにょっと下がった。
……何この人。かわいいんですけど。
「ゴホンゴホンッ!……だよね。じゃあさ、その屋台の店主が、お試しって事で売り物を無料で少しだけくれるって言ったら?」
「そうですね。それならば物は試しという事で………………なるほど」
ここまで説明してやっと理解してくれたようだ。でも多分これは、クリスさんの理解力が低い、という訳ではないんだろう。物を販売することで利益を得るはずの商人が無料で品物を提供する、という事自体が有り得ないんだろうな。
どんだけがめついのこの世界の商人。『損して得取れ』って言葉を知らないのか?…………知らないよね。別世界の言葉だし。
「確かに、その方法であれば、例えそれが未知の食べ物でも、手を出す人は一定数いそうですね」
「でしょ?」
「ですが、組合内でそういった行いが許可されるどうかは不明です。前例がないもので。組合長に確認しますのでお待ちください」
「「はーい」」