第32話 〈鉄の幼子亭〉を開店した。スタートダッシュに失敗した。
「じゃあ、俺達はそろそろ行くわ。明日よろしくね」
「おう。適当な所で行くわ」
ジャン達に俺達のお店――――〈鉄の幼子亭〉の開店について連絡した俺とメリアさんは、そんな挨拶と共に部屋から退室し、そのまま真っすぐ〈土竜亭〉から出た。
「帰ろっか。なんか私、疲れた……」
俺の繰り出す渾身の土下座を受けたメリアさんは、疲労困憊といった様子だ。
うん、気持ちは分かるよ。俺もさっさと帰って布団に入りたい。全力の謝罪というのは体力と精神を削るのだ。
でもそれができない理由がある。
単純に、挨拶に向かう場所がまだ残っているからだ。
「帰りたい気分なのは俺も同じなんだけどね。まだ行かなきゃいけない所があるんだ」
「えー…………。どこ?」
「……エリーさんとこ」
「おおう…………」
メリアさんが額に手を当てて天を仰いだ。
気持ちは分かるよ。俺も正直あまり行きたくない。でも行かなきゃいけないんだよ……。
なので、全力でエリーさんの元へ行く必要性を説く事にした。自分にも言い聞かせる為に。
「〈鉄の幼子亭〉開店の挨拶と、金属の売買契約を結ぶだけだからすぐ終わるって!エリーさんが契約内容作ってるから俺達が口をはさむ余地なんてないくらい完璧な内容になってると思うし、内容確認!締結!終了!って感じにすぐ終わるよ!それさえ終わっちゃえばエリーさんも元の感じに戻るって!……あと、お店に来てくれそうな人を一人でも増やしたいから、開店の挨拶は必須だよ!」
「……………………まあ、宣伝は必要だよね」
長い沈黙の末、苦渋の選択といった様子でメリアさんが頷いた。
なんとか説得に成功して俺もホッとしたよ。
…………万一『レンちゃんだけで行ってきて』なんて言われたら、俺の心が砕けてしまう所だったからな。
「よし!じゃあチャッチャと行ってチャッチャと終わらせちゃおう!」
「おー!」
……
…………
そんな感じでお互いを鼓舞したのは何時間前だったか。
「「………………」」
俺達はトボトボという擬音がぴったりな様子で屋敷への帰路についていた。
エリーさんの元に向かう前は頭上で輝いていた太陽も、今は大分低い位置まで沈んできており、周囲は赤く染まっている。
というかすでに暗くなってきている。
もう夜と言っていい時間だろう。
エリーさんのお店を出てからこっち、ずっと無言で歩いていた俺達は、そろそろ屋敷に到着する、といった所まで来た所で、二人揃って大きくため息をついた。
「疲れた……」
「だねえ……」
エリーさんの元へ契約の確認とお店を出す事の報告に行った訳だけど、改めて、以前俺が作って提出した草案に対して突っ込みとお叱りをたっぷりといただいた。
結局契約については、ほとんどエリーさんが作り直した物を確認してサインしただけで終わった。
想像以上にこっち側に有利な内容になっていたのには驚いたけど、それを口に出すとまた俺が言葉のサンドバッグになってしまうのでやめておいた。 これ以上何か言われると心が折れちゃう。
契約締結までエリーさんは刃物のような雰囲気を漂わせていたんだけど、おずおずと食事のお店を出す事を伝えるとちょっと前までの雰囲気が霧散し、とても朗らかに応援してくれた。
開店が明日だと伝えた瞬間、目がつり上がったから、必死に理由をでっち上げて納得してもらった。前の世界も含めて、あそこまで必死に頭をフル回転して言い訳したのは初めての経験だった。二度と経験したくないけど。
そんなこんなでお疲れモードの俺達なのだ。
「今日はさっさと寝よう……。開店初日から寝坊とか目も当てられないし」
「そうだね。……あー」
「何その『あー』は。なんか思い出しちゃった?」
…………え?何?まだなんかあんの?もう今日は終わりで良くない?俺達がんばったよ?休んでもバチは当たらないと思うよ?
「うん……。夕食の準備、してないな……って」
「…………これから食事の準備するのかー」
ジャン達の元に向かったのは昼前だった。昼食を食べるには微妙な時間だったからエリーさんとのお話が終わってからちょっと遅めの昼食ないし早めの夕食にしようとおもっていたんだ。
多少長引く可能性も考慮はしていたが、まさかここまでとは……。
「料理自体は沢山あるし、これを出せば……」
「だめだよ。それは明日お店で出す分。今日出したら明日の分の料理がなくなっちゃうよ」
確かに彼女達はよく食べる。あんなほっそい腰のどこに入っているのか疑問に感じてしまう程に食べる。
だが、考えてほしい。昨日俺達が作った料理は飲食店である〈鉄の幼子亭〉で提供する為に作った物だ。
飲食店で提供するという事は、それなりの量が必要な訳で。
それが、俺達含めてたった十五人(しかも全員女性)に食い尽くされるなんて考え難いだろう。
「え、いや、さすがにそこまでは食べないでしょ……」
「……だといいねー」
そんな、『あー、明日は大変だなー』みたいな顔しないでいただきたい。
まじか。メリアさんの試算ではまじで食い尽くされるのか。
「………………あー、うん。作ろっか。万が一ってこともあるだろうし」
「それがいいと思うな」
まあ、結果としては、作って正解だった。
一応昼食は摂ったらしいのだが、その昼食というのが、例の生臭いゼリーだったそうで。
一度美味しい食事を覚えてしまうと、ただ栄養を摂るためだけの代物であるゼリーはなかなか耐え難いらしい。
普段は言ってこない『夕食はいかがなさいますか?』って台詞を聞いた時は不思議に思ったが、目で全力で『美味しい物食べたい!』って言ってるのを見て察した。目は口ほどに物を言うって言葉を思い出したよ。
疲れた心と体に鞭打って、頑張って料理を作ったよ。もちろんメリアさんにも手伝ってもらってね。一人で作るとか死んじゃう。
で、何を食べたいのかとリクエストを聞いてみたら、クロケットだった。
正直な話、ここ数日で見たくないくらい作ったからできれば勘弁願いたかったが、十三人分の熱い視線を受けた状態では嫌とは言えず、諦めて作る事にした。
余ったら明日お店で提供する分に回そうと思っていたんだけど、ただの一個も残らなかった。無表情ながら鬼気迫る勢いでクロケットを口に詰め込んでいく――――でも食べ方は綺麗――――メイド達に、内心ちょっと引いたのは内緒の話。
常識的に考えて、あんな細い腹部にあの質量は入らないだろ。…………胸とかお尻の辺りに追加の格納スペースでもあるんだろうか。
そんな異世界の不思議について思いを馳せている内に、なんとか食事を終え、床についた。明日はお店が繁盛しますように。
……
…………
………………
そしていよいよやって参りました。今日は俺達のお店、鉄の幼子亭の開店日。
昨日はヘロヘロで布団に入ったが、興奮でなかなか寝付けなかった。子供か。…………子供だったわ。少なくとも体は幼女だったわ。
結局ほぼ徹夜に近い状態で朝を迎え、同じような感じだったらしいメリアさんと、全くもっていつも通りなメイドと三人でお店を向かった。
組合の依頼票張りだしに合わせて、開店時間は結構早めにしたので、辺りはまだちょっと薄暗い。
依頼を受けた冒険者達が、活動前に食事を摂るのを見込んでの開店時間という訳だ。
「よーし!いよいよ今日から〈鉄の幼子亭〉の営業開始だ!気張っていこー!」
「おー!」
おれとメリアさんが掛け声と共に元気良く手を振り上げる。その行動には追従せず、深々と頭を下げるメイド。今日のシフトはルナのようだ。あれかな?開店初日だし、統括個体がうんたら~って奴なのかな?
「挨拶します。誠心誠意勤めさせていただきます」
「よろしく!……それじゃあ、〈鉄の幼子亭〉、開店だ!」
俺達の新しい日々が始まる。
……
…………
で、気合を入れて開店したのが数時間前。
「お客さん、来ないねえ……」
「ほんとだねえ……」
もう日はそれなりに高くなってきており、そろそろお昼といった時間帯。
来客、ゼロです。
「さすがに初日から大繁盛!とまでは考えてなかったけど、これはさすがに予想外だ……」
「レンちゃん、これ、やばくない?」
「やばいね……」
さすがにこの状況はメリアさんも危機感を覚えたらしく、不安そうな顔をしている。多分、いや確実に俺も同じ顔してるだろうけど。
二人してこれからの日々に戦々恐々としていると、ガチャリ、と唐突にドアが開く音が。
「いないのかー……?おい、いるじゃねえか」
ジャン達だった。
そりゃいるだろ。営業時間中なんだから。
そんな事を考えつつも、俺は喜色満面。
やっと……やっと来た!初めてのお客さんだ!
「いらっしゃい!いやー、ジャン達が記念すべきお客さん1号だよ!」
「……やってんのか?」
さすがに開店しているのか確認されるとは思わなかった。昨日説明したじゃん。
「そりゃやってるさ。今日開店だって言ったじゃん」
俺の言葉にジャンは大きなため息をついた。眉間に深い皺が寄っている。なにあの顔。怖い。
俺、そんな顔されるような事やったっけ?
「…………ちょっと来い」
その怖い顔のまま手招きしてきた。
カツアゲ?カツアゲですか?
なんで呼ばれたのかよくわからないけど、なんか怖いんでここは回避を……。
「え?いやでも営業時間中だし……」
「いいから。すぐ済む」
「ア、ハイ。……おねーちゃん。お店お願いね」
無理でした。いや、怖い顔で呼ばれると拒否できないね。俺の小心者っぷりが遺憾なく発揮されたよ。
「はーい」
ドアをくぐるジャンの後を追って俺もお店を出る。どこに行くのかと思ったら、お店を出てすぐの場で、こちらを向いて立ち止まっていた。
俺がお店から完全に出、背後からドアが閉まる音が鳴り響いた所で、ジャンが俺を指さした。いや、俺じゃないか。俺の後ろっぽい。
「あれ見ろ」
振り返ってみると、ジャンが指差したのは今まさに閉まったお店のドアのようだ。
「ドアがどうしたの………………あーっ!」
「ま、そう言うことだ」
違った。
ジャンが指差していたのは正確にはドアではなかった。
ドアに取り付けられている小さなプレート。
それは今朝急遽取り付けた物で、店名である〈鉄の幼子亭〉という文字が刻まれている。
開店直前になって『このお店、看板なくね!?』と気付いた俺が、慌てて作った物。
暫定的に作成したものなので、【金属操作】で鉄板から作ったなんの飾りっ気もない物だ。長期間使うと錆びちゃうので、早い内にちゃんとした物に変えないと…………。
で、このプレート。
店名以外にもお客さんにとって必要な情報がわかるようにしてある。
あれだ。クルッとひっくり返すと『開店』と『閉店』が入れ替わる奴。
これを使えば、お客さんも一目でお店が開いてる事が分かるってんで導入してみたんだ。
で、ジャンに指さされたプレート。
『閉店』になっていた。
「……………………」
俺は無言で『閉店』と書かれた看板に手をかけ、ひっくり返した。
すると、あら不思議。『開店』に変わりました!
……。
あー、まじかー……。そりゃ『閉店』って書いてあったらお客さんなんて来ないわー……。
ジャンが俺を見る顔、あれ、アホの子を見る顔だったみたいですね……。
「お前、商売する気、あんの?」
ジャンのストレートな言葉が俺の心に容赦なく突き刺さる。
「ありすぎて空回ってるんだよ……。そういうことにしといてくれ…………」
俺はがっくりと項垂れながらなんとかそう言って改めてジャンと共に〈鉄の幼子亭〉の中に入った。
一目で分かるくらい凹んだ様子の俺を見て、メリアさんがパタパタと足音をたてながら近づいてきた。
「なんかすっごい落ち込んでるけど、何があったの?」
「………………今日、扉にプレート取り付けたじゃん?」
「うん。ひっくり返すだけで今開店してるのか分かるって便利だよねえ」
「取り付けた時は『閉店』にしてたじゃん?」
「そりゃねえ。あの時点では開店してない訳だし」
「ひっくり返すの忘れてた」
「………………」
俺の言葉に、メリアさんはビシリと音を立てて固まった。
固まっている最中に今日の記憶を思い返していたんだろう。やがてがっくりと肩を落とした。
「完っ璧に忘れてたねえ……」
「俺たちはなんつー時間の無駄を……」
自分たちのアホさ加減にベッコベコに凹んでいると、ジャン達に声を掛けられた。
「おーい、客いるんだぞー。そろそろ給仕してくれー」
ああ、そうだった。幸先はとてつもなく悪かったけど、もうお客さんがいるんだ。開店している事は周知されるようになった訳だし、これからお客さんが来る可能性があるんだ。凹むのは閉店後でいい。
…………スタートダッシュどころか、スタートした瞬間に、一歩目で足を滑らせてすっ転んだ状態なので、お客さんが来る、と断定できる気分じゃないのが悲しいけど。
「はーい!じゃあおねーちゃん、給仕頼んでいい?一連の流れを確認しとこう。知り合いなら、ちょっとくらいしくじってもなんとかなるし」
申し訳ないが、ジャン達には練習台になってもらおう。まあ屋敷でも散々練習したし、問題ないとは思うけど、念のためね。
「わかったー」
「ルナはおねーちゃんの接客を見て確認して。できれば表情も」
できれば、表情の動かし方とかを見て学んでいただけると、俺としても大変ありがたいです。お客さんのためにもなるし。
「畏まりました」
「レンちゃんはどうするの?」
「俺は注文受けてから先の確認をするよ。ってことで厨房行くね」
言いながら俺は入口とは逆方向に歩を進める。
開店して数時間。
遅すぎるスタートだけど、がんばるぞ!