第188話 依頼の日になったので、侯爵様のお屋敷に向かった。色々地獄だった。
メリークリスマス!(とりあず言っておけスタイル)
侯爵様から、奥さんの護衛(という建前で、実際の所は王女様の護衛)の日程を聞かされた俺とメリアさんは、そこから鬼のように働いた。それはもう、寝る間も惜しんで働いた。なんてったって出発まで三日しかないのだ。一秒だって無駄には出来ない。
とは言っても、〈鉄の幼子亭〉に出たり、冒険者として依頼を受けまくった、とかではない。
料理を作りまくった。
これはもう大量に、アホかと思う程作った。
侯爵様がかなりヤバイ状態だった為、詳細を聞く事ができなかった。それ故、状況がさっぱり分からない。
人数も、片道にかかる日数も、なにもかもだ。
その間、〈鉄の幼子亭〉で出す料理を作り置きしなくてはいけないのだが、日程が不明な為、どれくらい作れば足りるのか皆目見当がつかない。
前回、メリアさんの故郷に帰った時は、その見通しが甘かった為に店で出す料理が底をつき、ルナ達は自分たちが食べる分まで店で出す分に回したそうだ。
なんとか液、とかいう薄緑色の液体を飲めば生活に支障はないそうだが、あんなモン食事じゃない。ただの栄養補給だ。
肉体的には問題ないのかもしれないが、食事というものは、ただ肉体の維持だけに行う物ではないのだ。
美味しい物を食べる事で満たされた気分になる。
料理、食事という物は肉体だけではなく、精神の栄養補給でもある。
食事の概念がなかった、俺達と暮らす前だったならまだしも、〈食べる〉事の楽しさ、重要性を知った後のあの娘達にには、毎日美味しい物を食べてもらいたい。
というかそれ以前に、あんな不味いモンを飲ませるとか、仮にも食堂をやってる身がやっていい事じゃないだろう。
という訳で、一日かけてイース中の食材を買い漁り、残り二日間は完徹で料理を作り続けた。
そのお陰で、料理保管用の〈拡張保管庫〉一杯に料理を詰め込む事が出来た。
むしろ容量オーバーで、〈拡張保管庫〉を追加で作ったくらいだ。
これだけあれば、俺達が不在の間も、料理がなくなって自分たちの分を削る、なんて事態にはならないだろう。…………と、思いたい。
そんなデスマーチの中冒険の準備を整える事が出来ていなかったのだが、メイド達が手分けして冒険の準備を整えてくれた。まじで感謝である。
そんなこんなで、なんとか迎えた依頼当日。早朝。
俺達の顔を見た瞬間、ギョッとした表情を浮かべた門番の人に門を開けてもらい、お屋敷の敷地に入ると、そこにはすでに何台もの馬車が並んでおり、沢山の人達が各々、慌ただしく出発の準備を行っていた。
その中に侯爵様の姿を認めた俺達は、到着を伝える為に近づいた。
「む? おお、来たか。今日から妻達を宜しく…………大丈夫か? 死にそうな顔をしているぞ? 何かあったのか?」
侯爵様は俺達に背中を向けていたが、残り数メートル、といった辺りで俺達の接近に気づき、振り向いた。そして、俺達の様子を見た瞬間に飛び出す心配の言葉。まあ、二人揃って酷い顔してるだろうし、それに関しては仕方がない。
仕方がないが、こっちにも言いたい事がある。というか今出来た。
「侯爵様と似たような理由です。まあ、なんとかするんで大丈夫です。というかそう言う侯爵様だって、三日前よりさらに顔色が悪くなってますよ? あれからもほとんど寝てないんでしょう? 領主様がぶっ倒れるとか洒落になってないですからね?」
「そこの一線くらいは弁えているさ。知っているか? 限界というのはな、ずっと超え続けるのは無理だが、ちょっと超えてすぐ戻る、という事は可能なのだ」
いや、そんな格言みたいなニュアンスで社畜臭溢れるセリフを言わないでください。しかもそれが理解できてしまう自分が悲しい。
「言ってる事はすっごい分かりますけど、そんなの長続きしませんからね? 俺達が出たらとりあえず一段落でしょうから、ゆっくり休んでください」
「えぇぇぇ…………。なんでレンちゃん分かっちゃうの……? 私には理解できないよ……」
俺と侯爵様の会話を隣で聞いていたメリアさんが、疲労の滲む顔に恐怖の感情を浮かべながら一歩後ずさった。
うんまあ、社会人やってると、たとえ勤め先がブラック企業じゃなくても、そういう修羅場の一つや二つの経験はあるんですよ。こっちの世界ではそうそうないけどね。
「うむ。貴殿らが出立した後、諸々の後処理を終わらせれば一段落だな。その後休ませてもらうさ。もうひと踏ん張り、といった所だな」
「ま、まだあるんですか……? あの、本当にお体にはお気をつけて……」
「ははは。ありがとう」
「…………ジルベルト様、出立の準備が整いました」
死にそうな顔の人(俺)の隣で、死にそうな顔の人が、死にそうな顔の人(侯爵様)を慮る、という状況。そんな地獄を破る声。
「ああ、ハンスか。分かった。それでは妻と王女殿下を呼んでくれ」
「かしこまりました」
声の主もまた死にそうな顔だった。仲間が増えただけだった。
「………………ハンスさんも、休ませてあげてくださいね」
「無論だとも。一段落したら休暇を取らせるつもりだ」
「…………私が言うのもおかしな話かもしれないけど、出発前からボロボロの人が多すぎじゃない……? 大丈夫なのこれ……?」
ちょっとふらつきながら俺達の元を離れるハンスさんの後ろ姿を眺める三人の半死人。
メリアさん、大丈夫だよ。実際に向かうのは俺達だけで、侯爵様とハンスさんはイースに残るから。
……
…………
「あ。来たみたい」
「…………やっぱ、女性の準備に時間がかかるっていうのは、どこの世界でも変わらないんだなあ……」
出発直前の状況にもかかわらず、いまだ忙しそうな侯爵様の邪魔をしてはいけないと、侯爵様から離れて暫く。
同行するらしい人達との挨拶や、護衛対象であり、何故か自分たちも乗る事になっている馬車の確認なども終わってしまい、完全に手持無沙汰になって馬車の前で突っ立っていた所で、メリアさんが目的の人物がやってきた事に気づき、声をかけてきた。
いやほんと、すっげえ待った。時計がないから正確な時間は分からないけど、とにかくすげえ待った。
ぶっちゃけ仮眠でも取りたい所だったが、大量の人の目がある状況でそんな事が出来るはずもなく、寝不足による頭痛と戦いながら、ひたすら立ち続けていた。しんどいです。
霞む目を擦り頭を振って、飛びそうな意識をなんとか覚醒させてから、メリアさんが見ている方へ首を回し――――目を見開いた。
「…………うそん」
「言いたい事は分かるけど、残念ながら嘘でも見間違いでも、幻でもないんだよ……。さすがは貴族様と王女様だよねえ……」
俺達が自分の目を疑っている中、王女様と侯爵様の奥様はまっすぐ俺達の方へ歩みを進めてくるが、その歩みはとてもゆっくりだ。
そりゃそうだ。二人とも、がっつりドレスとか着てるんだもん。スカートの部分とかすんごいふんわりしてるし、肩も出てるし、なんならアクセサリーぽいのまで着けてる。
あれ? これから旅なんだよね? 俺の勘違いだった? 実は王都って滅茶苦茶近いのかな?
「メリアさん、レンさん。今回は私の我儘を聞いてくださり、ありがとうございます。短い間ではありますが、宜しくお願いしますね」
「……こちらこそ、ご指名いただき誠にありがとうございます。微力の身ではございますが、全身全霊で護衛の任を務めさせていただきます」
宝石のように輝く笑顔で、俺達に声を掛ける王女様。相変わらず超かわいい。
…………かわいいのだが、今はそんな当たり前の事実より、どう見ても旅装ではない、なんなら『これから舞踏会ですのよオホホ』とか言われた方がしっくり来る恰好に意識が割かれてしまっている。
「あら? いかがされました? ……ああ、この服ですか? これから王都への旅となりますので、簡素な物にしたのですが、少々やりすぎてしまったかしら……」
俺が絶句していると、王女様がちょっと不安げな様子で自分の服を気にし始めた。
…………まじで? これで簡素なの? いやまあそりゃ、王女様と奥様が馬車から出る事なんてほとんどないだろうから、どんな恰好をしてても関係ないとは思うけども……。
王族ってなんか、こう……、すげえ……。俺達一般ピーポーとは感覚が違いすぎる。
「……失礼致しました。素敵なお召し物でしたので、つい見とれてしまいました……」
「まあ! ありがとうございます! 良かったです! 時間をかけて選んだ甲斐がありますわ!」
とりあえず、ご機嫌を損ねてはいけないとドレスを褒めると、花が咲いたように華やかな笑顔を浮かべる王女様。
…………今回の旅、今までの物とは桁違いに大変かもしれない……。
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